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2011年7月22日 (金)

“安全神話”の深層をえぐる!

 282回目のブログです。

   “ かくばかり 経がたく 見ゆる 世の中に 羨ましくも 澄める月かな”
(藤原高光・平安時代中期)

 このように過ごしにくく思える世の中に、まことにうらやましいのは、何の悩みもない澄んだ月だなあ…。

 現実の世の中は、澄める月のようにはいかず、悩み多いものですが、今年のような大震災を受けると、悩みを通り越してしまい、ややもするとある種のあきらめの気持ちになりそうです。

 特に、福島原発に関しては、事故発生後の菅氏(ニッポン市民の首相)以下、政府、東電の対処にはあまりにも不様、不誠実だとの印象しかありませんが、なぜこのようになったのでしょうか。仕方ないとあきらめるのではなくその原因、深層を考えてみたいと思います。

 先日、テレビで福島原発事故の原因である電源喪失について特集していました。それによると、アメリカはスリーマイル島原子力発電所事故(1979)後の1980年には、事故発生の想定のなかで電源喪失が生ずれば大変なことになるとの認識から、電源喪失対策を講じており、その詳細は日本にも伝えられていたそうです。

 しかしながら、わが国の原子力技術者、設計者、管理者は、それを無視し、学ばなかったたのです(原子力村=原子力安全委員会・政府原子力保安部門・東電・原子力学者)。当時の原子力技術者等はテレビでその事実を認めていましたが、それが今回の福島原発事故につながっているにもかかわらず、反省や悪びれるところは微塵もない様子に驚きを隠せませんでした。

 そのムードは現在の原子力関係者にも蔓延しており、誰も、本当の内心では、自分達は正しく対処してきたし、今も正しく対処しているつもりであり、事故は、大地震や大津波によるもので仕方のないことと思っているはずです。

彼らは、なぜ反省もせず、責任も感じていないのでしょうか。わたし達はこのような事故が生ずれば、それはその関係者特有のこと、他人事として見がちですが、所詮わたし達は日本人、同じ穴の貉(むじな)、同じメンタリティ(心的傾向)を有していることを認識する必要があります。

 それは、わたし達が“安全神話”に全面的に寄りかかっていることにあると思います。考えてもみてください。憲法の前文からして、世界の善意、近隣諸国の善意を信じれば、平和すなわち安全を保持できると規定しているのですから。

 わが国最高法規である憲法が、世界各国の善意を信じよというのですから、「自然」についてもやさしく信じなければなりません。しかしながら、現実は真逆であり「国家」「自然」も普段は穏やかでおとなしい存在ですが、いざと言う時は暴威、猛威、牙をむき出してくるのは、歴史をすこしでも学んだ人はすぐ理解できることではないでしょうか。

 にもかかわらず、わたし達は、大東亜戦争後60数年間、学校の教科書で、マスメディア(新聞・TV・雑誌)で、憲法前文の思想を大脳に刷り込まれてしまったのです。これはたった今も続いていることです。

 これは、国に限ったことではなく、企業をはじめとするあらゆる組織にもあてはめられ、つきつめれば、日本国憲法は、厳しいリスク管理を考えなくてもよろしい、もっと正確に言えば、「厳しいリスク管理を考えてはならないと諭しているのです。

 外国からの侵略はけっしてありえないので国の安全を守る自衛隊は不必要であると繰り返し繰り返し教えられたわたし達が、自然の暴威はけっしてありえないので普通の安全管理程度でよいと判断するのは、理の当然というべきでしょう。

 わが国を守る自衛隊を疎んじてきた国民、軍事知識を欠く政治家や官僚、誤った教育に奔走する教育界が、わが国の“緩み(ゆるみ)”について猛省しなければ、またまた同じような事故を起こすに違いありません。

 「水と安全はタダである」とよく言われますが、これほど間違ったフレーズはありません。これは何もない穏やかな時の話であって、一旦問題が生ずれば、全く逆で「水と安全ほど高いものはない」のであり、したがって、普段より「安全」というものに留意しなければならないのです。

 そのためには、わが国は、根本的に体質改善をしなければならず、それは憲法改正」に尽きと思います。憲法を改正し、わたしたち国民に安全意識、国防意識を持たさなければ、またまた大災難(侵略と自然災害)で壊滅状態に陥ることになるのではないでしょうか。

 ここで、あらためて、憲法の前文を読んでみましょう(一部抜粋)

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ』

 一読、全くのお笑い種、本来敬うべきわが国の憲法前文ながら、吉本新喜劇よりも喜劇でしょうか。「われらの安全と生存」を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」保持しようとは。(言葉ではなく、実態として、平和を愛し、わが国に一切迷惑を掛けない国…まさか、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、ロシア連邦、いったいどこの国のことを述べているのでしょうか、どなたか教えていただけませんか?)

 安全と生存は自ら確保しなければならないのは、古今東西、不滅の真理です。不滅の真理に逆らった憲法前文思想が福島原発事故につながったものであり、憲法改正を主張しないビジネスマンは企業人として失格であり、企業に於けるリスク管理にけっしてタッチしてはなりません。(これが福島原発事故から学んだ最も大切なことではないでしょうか…他山の石)

 わが国の由緒ある神話は永い歴史をつむぐ糸の種として、日本国民の誇るべき宝ですが、戦後憲法から生み出された安全神話はわたし達を滅ぼしかねない、捨てるに値するガラクタです。

憲法改正…これしか日本再生はありません!

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です

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コメント

福島第一原発は、日本で最初の商業用原発です。日本の会社はどこも作れないので、米国のGEがすべて米国で設計し、建設も行い、試運転もしていわゆるfull-turn-key案件として40年前の1971年に出来上がったものです。
その、GEが米国仕様で設計したものを東電は全く変えることなく今まで使用しているのです。
GEは重要な点についてはこれまで、費用は東電もちで、十分に保守を行ってきているので、東電としては、減価償却が終わった後は長持ちして利益が上がる設備として、周辺機器を日本製に取り換えることはあっても、設計を変えることなど考えられなかったのではないでしょうか。
私は1971年に福島第一の1号機を見学に行き、2008年には3か月ほどGEの労働者として保守作業を手伝いましたが、タービン建屋の中は基本的に何も変わったところはありません。電機関係の設備は一番下の地下で、非常用ディーゼル発電機も元々そこです。
これらは日本人の憲法に対する対応と極めて似ていると思いました。
なお、テレビで見た元技術者が後悔の念を見せないのは本当に驚きました。私の同級生で4号機のベントの設計に関与したことのある元技術者は、事故の1週間後の話ですが、今回のことは、私の半生を否定されたことだ、と痛恨の思いを述べていました。

投稿: M(松下純一) | 2011年8月 7日 (日) 20時59分

米国はTMI(スリーマイルド島)事故の教訓に鑑み、各事業者に対してアクシデントマネジメント(過酷事故対策)を規制化しました。アクシデントマネジメントとは、例えば、異常が発生し、非常用炉心冷却装置(ECCS)もすべて故障した場合には、本来、消火用に使うポンプで炉心に注水し、燃料を冷却するといった対策です。
IAEAもその有効性を認め、各国にアクシデントマネジメントを取り入れるよう要請しました。これに伴い、日本でも、1992年5月に、原子力安全委員会がシビアアクシデントに対するアクシデントマネジメントの整備を勧告し、7月には国が各電力会社にアクシデントマネジメントの整備を要請しました。しかしながら日本のアクシデントマネジメントは、規制ではなく電力会社の自主的な努力とされたのです。
そのことを記した文書が、原子力安全保安院の次の文書です。
「軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備結果について」評価報告書(平成14年10月、経済産業省 原子力安全・保安院)(http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g21206bj.pdf#search='アクシデントマネジメント 原子力')
『我が国の原子炉施設においては、現行の「原子炉等規制法」に基づき、設置許可から運転段階に至るまでいくつかの段階にわたる安全規制、いわゆる多段階規制の体系が構成され、それぞれの段階で安全性が確認されており、現実にシビアアクシデントが起こるとは工学的に考えられない程度にまで安全性が高められているといえる。一方、国内外においては確率論的安全評価(以下「PSA」という。)及び、シビアアクシデントに関する事象進展の解明等の技術的知見が蓄積されてきたことを踏まえ、これらの知見を我が国の原子炉施設に適切に反映させることにより一層の安全性向上を図り、国民の信頼を得ることが重要であるとの認識が高まり、アクシデントマネジメント(以下「AM」という。)の整備が望まれた。当省は、平成4年5月の原子力安全委員会決定としてAM の整備を強く奨励するとの声明を受けて、平成4年7に電気事業者に対して軽水型原子力発電所の原子炉施設ごとにPSA を実施すること、AM の整備を実施すること、及びそれらの結果を報告することを要請した。』

国はもう既に十分な安全規制を行っているのだから、これ以上の規制を行う必要性は無い。しかしながらIAEA等の勧告に基づき、原子力安全委員会が要請してきたので、国としては仕方なく事業者にAM策を行わせることとした。まぁー、そうは言ってはいませんが、同じようなものです。

しかしながら3月11日の東電の実態はどうだったでしょうか?
細野大臣がIAEAに報告した報告書の「アクシデントマネジメント対策の徹底」という項には次のように書かれています。
『アクシデントマネジメント(AM)対策の徹底
今回の事故はシビアアクシデントに至ったものである。シビアアクシデントに至る可能性をできるだけ小さくし、又はシビアアクシデントに至った場合でもその影響を緩和するための措置として、アクシデントマネジメント対策は福島原子力発電所においても導入されていた。今回の事故の状況をみると、消火水系からの原子炉への代替注水など一部は機能したが、電源や原子炉冷却機能の確保などの様々な対応においてその役割を果たすことができず、アクシデントマネジメント対策は不十分であった。また、アクシデントマネジメント対策は基本的に事業者の自主的取組みとされ、法規制上の要求とはされておらず、整備の内容に厳格性を欠いた。さらに、アクシデントマネジメントに係る指針については1992年に策定されて以来、見直しがなされることなく、充実強化が図られてこなかった。 このため、アクシデントマネジメント対策については、事業者による自主保安という取組みを改め、これを法規制上の要求にするとともに、確率論的評価手法も活用しつつ、設計要求事項の見直しも含めて、シビアアクシデントを効果的に防止できるアクシデントマネジメント対策を整備する。』(原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書、http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/iaea_houkokusho.html)

 3月の11日の東電の対応は、どうだったでしょうか?
 噂では「電源車が無かったので、自衛隊に要請した」とか、「電源車が来たにも係わらず、低周波ケーブルが無く接続が出来なかった」とか、あるいは「手動でベントをしようとしたが、真っ暗で経路がわからなかった」とか、自主的保安にしては余りにもお粗末な対応です。AM策ですから、真っ暗な中で行うのは当然です。そのことを考えれば、避難経路等同様に夜光塗料で経路表示する等の措置が必要です。先の保安院の報告書にもあるとおり、このようなAM策は事業者の安全を向上させるためではなく、「国民の信頼を得るため」ですから、事業者が形式的になるのは当然です。

平成14年にAM策を規制としなかったのは、十分に安全の限りを尽くしているとする傲慢な電気事業者の圧力に経済産業省が屈したのか、経済産業省が自ら電気事業者に配意したかのいずれかであり、この時の関係者を明らかにし、官僚は責任をとらすべきと思います。しかしながら、このようなことも明らかにされることなく、闇に葬られるのでしょうか?

投稿: 官僚の責任を追及 | 2011年7月29日 (金) 09時00分

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