言葉は“言霊”だ!…政治家のことばを考える
290回目のブログです。
“萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花”
山上憶良(万葉集)
萩の花、尾花(すすきの穂花)、葛の花、なでしこの花、おみなえし、藤袴、朝顔(今の桔梗)…鑑賞を目的とした「秋の七草」として、万葉歌人・山上憶良が和歌にしたものです。
まだまだ昼日中は残暑厳しい時もありますが、本格的な秋を迎え、山上憶良が千数百年前の万葉時代に詠った秋の七草を静かに鑑賞するくらいの心の余裕を持ちたいものです。
そうはいうものの、世の中はなかなか思うようにいかず、世論調査(せろんちょうさ)によれば圧倒的な支持を受けたように見える野田新内閣が、複数大臣の幼稚な言動で、はやピンチにたたされ、さざ波どころか、轟沈への道まっしぐら、大荒れの様相を呈しています。
各メディアで散々取り上げたところですが“大臣の言葉”を今一度整理しておきましょう。
▲一川保夫防衛相
「安全保障は素人だが、これが本当のシビリアンコント
ロール(文民統制)だ」
▲鉢呂吉雄経済産業相
「残念ながら周辺町村の市街地は人っ子ひとりいない、
まさに死の街という形だった」
「やっぱりひどいと感じた。(記者に突然服をなすり
つけてきて)放射能をつけたぞ。いろいろ回ったけど、
除染をしないと始まらないな。除染をしっかりしない
といけないと思った」(毎日)
▲平野博文国会対策委員長
「今の内閣は不完全な状態で、十分な国会答弁が
できない」
これらの言葉を聞いて、まさに、のけ反りかえりました。あまりにも幼稚な表現であり、普通ならば、次のように言うべきでしょう。(高位の方にこんな小学生むけの初歩的な指摘をするのは、はまことに礼を失しているとは思いますが…)
・「安全保障は日本国の根幹でもあり、みなさんのお力を
頂きながら、最善の努力を傾ける覚悟です」
・「このままでは、まさに死の町にならんとしていますが、
政府として最大限の施策を講じ、元のとおり、あるいは
元以上の町に復興させるべく全力を傾けます」
・“放射能をつけたぞ!”は決して言ってはならない言葉
です。世間は、おちゃらけを許すほど寛容ではないのです。
(鉢呂氏はそんな表現はしていないとのことですが、それ
なら堂々とメディアに反論し、辞職すべきではありません)
・「初大臣が多いのでお手柔らかにお願いします」
こんなところでしょうか。今、民主党幹部は、これらの言葉がいわゆるオフレコであったにもかかわらず、記者が漏らしたとしてメディアへの発信に制限を掛けようとしていますが、これはまさに言語道断。民主党が鎧の内に隠し持つ言論封殺、全体主義的体質が垣間見えるようです。
大臣たちの問題発言は、オフレコかどうかというような高度なものではなく、低次元の要素、すなわち「言語力が幼稚」「人間性の欠如」「大臣が公的立場の役職であることの認識欠如」にあります。
わが国は、古来より言霊の国、言霊の幸映える国と言われてきており、わたし達の先人は上下こもごも言葉を大切にしてきました。
特に国の藩屏やリーダー層は言葉を、自在に、豊かに、丁重に使えないようでは失格とみなされ、言葉の使い方、使う姿勢に問題があった時は責任をとらされてきたのです。…「綸言汗の如し」一度口から出た言葉は取り返しがつきません。
最近は、大企業の社長、高級官僚、ジャーナリストはもとより、このような大臣、さらには総理大臣といえども大層口が軽く、重みを欠く発言は聞き飽きるほどあります。特に鳩山氏、菅氏はそうであり、国のリーダーとしての志ある言葉を、真摯に、丁寧に、豊かな語彙で語る場面を聞いたことがありません。少々情けないなと思うのは一人わたしだけでしょうか。
それでは、的確な言葉づかいとはどんなものでしょうか。わたしは、第一に論理的な言葉、第二に感性豊かな言葉、第三に知性あふれる言葉であると考えています。これが基本的な教養というものですが、論理性を学ぶには、起承転結が明確な漢詩が最適、感性を磨くには万葉集などの詩歌や小説が良く、知性を磨くには敬語に熟達することと古典にふれることが一番ではないでしょうか。
さて、ここで、問題発言をした鉢呂経産相(あっけなく辞任)に対しての自民党石破茂政調会長の感想を掲げます。
『経産大臣とか、政治家以前の問題で、人間としてどうなんだいということだと思う。辞任なさるか、そうでなければ総理が罷免をするか、そうでなければ(国会は)動きません。それはわれわれ党利党略で言っているんじゃなくて、この原子力災害からの復旧復興ということが野田内閣の最優先課題であり、国家の最優先課題です。
それを扱う経産大臣が、今ね、福島の子供たちがあちこち行ってどうやっていじめられているか。放射能来たぞっていじめられてみんな泣いているわけですよ。そういう子供たちや、あるいは農産物が風評被害で売れない人たちや、水産物が売れない人たちや、そういう人たちの気持ちを少しでも考えたら、絶対そんな行動に出ない。絶対出ない。それはうっかりしていたとか、配慮が行き届かなかったとかそんな話じゃなくて、そもそもそういう気持ちがないってことです。
被災者の気持ちが分からない人が、どうしてこの原子力災害の復興が担えるのか。私はそれは考えなくても分かることだと思う。これ以上もう論評したくないし、あまりに悲しいなという思いがします』
率直な感想ですね。これがわたし達国民の気持ちを背負う政治家の姿ではないでしょうか。鉢呂氏とは人間性にあまりにも差があると思います…。
「言葉の力」と言えば、誰が見ても、最近の政治家では小泉純一郎元首相がダントツでしょう。その小泉純一郎氏のつい最近の講演のなかから、一部引用します。
『目標を決め、政策を実現したら、次は違う問題が出てくる。つまり、政治の難しさとは計画を立てた時とはまったく違う状況が出てくることにある。だから、政治家はつねに問題に直面している。しかし、そこから逃げてはいけない。問題をきちんと見て、それを解決していくのが政治家なんです。問題を解決するには国民から信頼されなくてはならない。そして、国民が政治家を信頼するかどうかは、自分の言った言葉を守るかどうかです。政治家はつねにそこを問われている』
素晴らしいですね。小泉元首相の講演会は常に超満席、立錐の余地なし、講演の後では小泉首相再登板の熱気があふれているそうですが、さもありなん、政治家としての小泉元首相の言動は凛としていたため、国民の信頼は非常に厚く、その好印象が現在も続いているものと思います。
レベルの落ちた政治、国家・国民を意識しない政治、ペコペコした政治、だらけた政治…こんな諸相をみれば、小泉純一郎首相待望論もむべなるかなです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です
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