“時代祭”…古都の一日を遊ぶ!
296回目のブログです。
「歩月」(月を歩す) 文同
掩巻下中庭(巻をおおいて中庭に下れば)
月色浩如水(月色浩として水の如し)
秋気涼満襟(秋気涼しくして襟に満ち)
松陰密舗地(松陰密にして地にしく)
百虫催夜去(百虫夜をうながして去り)
一雁領寒起(一雁寒をおさめて起つ)
静念忘世紛(静念世紛を忘る)
誰同此佳味(誰か此の佳味を同じくせん)
文同は宋の詩人・画家。…秋の夜の月光が庭を皓々と照らし、涼しさを襟元に感じるなか、松の陰がくっきりと浮かび、虫の音も止み、一羽の雁が飛んでいく。この静寂の中では世の煩わしさをいっさい忘れることができように、素晴らしきひと時を一緒に味わう人はいないのだろうか…。
まさに、秋の夜の情景が目の前に浮かんできそうな優れた漢詩ですが、秋は夜だけではなく、素晴らしい昼の世界も存在しています。
つい先日、10月23日の日曜日、京都「時代祭」の観覧にでかけました。本来は10月22日でしたが、雨天のため順延になったものです。当日は、暑くもなく寒くもなく、絶好の秋日和、いやがうえにも期待感が満ち満ちてきました。
わたしは、かなり以前に一度、時代祭を街路で少しだけ観たことはありますが、今回は、知人から観覧券をいただき、それも出発場所である京都御所建礼門の真前という普通ではありえない一等席でしたから、つぶさに観ることができ、まさしく祭りを“堪能”しました。
「時代祭」は、葵祭、祇園祭とあわせて京都三大祭りの一つに数えられていますが、祭りが始まったのは、明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して建てられた平安神宮に因んだものであり、約2000人・牛馬数十頭の行列、距離約2km(御所~平安神宮)、真昼の12時から約4時間弱の壮大、華麗な、都ならではの絵巻、まさに一大ページェントと言えるものです。
それでは、時代祭を概観してみましょう。
維新勤王隊列
志士列
桂小五郎・西郷吉之助・坂本竜馬・中岡慎太郎・高杉晋作
真木和泉・久坂玄瑞・橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎・
吉村寅太郎・梅田雲浜・平野国臣・姉小路公知ほか
七卿落(三條實美・三條西季知・東久世通禧・壬生基修
四条隆詞・錦小路頼徳・澤宣嘉)
徳川城使上洛列
江戸時代婦人列
和宮・蓮月・吉野太夫・出雲阿国ほか
豊公参朝列
織田公上洛列
羽柴秀吉・丹羽永秀・織田信長・滝川一益・柴田勝家ほか
室町幕府執政列
室町洛中風俗列
楠公上洛列
楠正成・楠正季ほか
中世婦人列
大原女・桂女・淀君・静御前・藤原為家の室ほか
城南流鏑馬列(やぶさめ)
藤原公卿参朝列
平安時代婦人列
巴御前・常盤御前・清少納言・紫式部・小野小町
和気広虫・紀貫之の女ほか
延暦武官行進列
坂上田村麻呂ほか
延暦文官参朝列
「朝服」(朝廷に出仕するときの服)着用
神饌講社列
前列
神幸列(ご神体が他所に赴かれること)
第50代天皇・桓武天皇の「鳳輦」(ほうれん)
第121代天皇・孝明天皇の「鳳輦」ほか
【鳳輦】(ほうれん)とは
屋形の上に金銅の鳳凰を飾った輿(こし)。
天皇の晴れの儀式の行幸用のもの。
白川女献花列
弓箭組列(きゅうせんぐみ・弓矢をとる武士)
そのほか、名誉奉行などで京都市長・府知事・平安講社理事長・総長などの名士が列を組んでいましたが、これは職務纏め上での名誉ある晴れ舞台と見るべきでしょう。
それにしても、何と素晴らしき時代絵巻か。“鳴くよ鶯平安京”の794年に京に都が遷されてから明治維新までの1100年の永い年月「京都」が醸し出した、あるいは関わった文明・文化は、わが国の根幹をなす物心含めた貴重な財産とみなすべきものです。その観点からみれば、時代祭は、単なる風俗の羅列ではなく、わが民族の誇るべき文明、文化の、ほんの一端をわたし達の肌に感じさせるものと言えるのではないでしょうか。
しかし、これを観るにはわが国の歴史についてのある程度の知識があった方が良いと思います。わたしは日本史にはそんなに詳かではないのですが、たまたま一等の席でしたので、分かり易い解説をスピーカーから聞くことが出来、非常に助かりました。
ここで、ひとつふたつの感想を。まず、勤王の「志士列」で七卿落の7名が挙げられていますが、ほとんどの名を知らず、我ながらの勉強不足を痛感しました。最近は歴女(れきじょ)という歴史に関心のある女性が激増しているそうですから、歴男(れきだん)になり、わが国の真の歴史(いわゆる反日的リベラルサヨク史観ではなく、良識的日本史観にもとづくもの)に触れ、あらためて明治維新の燃え滾るエネルギーについて考えたいと思います。
次に目を瞠ったのが「楠公上洛列」です。時代祭とはいえ、楠公が一つの列として奉られていることに感動しました。楠木正成と言えば、千早城、建武の中興、湊川の戦いなどが浮かびますが、文武両道、勤王、尽忠の臣としてわが国を代表する最高峰の傑物であり、わたし達日本人が理想とする大人物でもあります。
正成(大楠公)は湊川の戦いの直前、我が子正行(小楠公)と桜井の駅(現大阪府三島郡島本町・山崎の近く)で最期の別れをしますが、その時の情景を推し量りつつ、涙をたたえながら、明治の著名な歌人・国文学者である落合直文は、唱歌「桜井のわかれ」を作詞しました。
「♪♪ 青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下かげに駒とめて 世の行末をつくづくと しのぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か」…これは1番の歌詞ですが6番まであり、多くの国民に歌われてきています。老若男女が口ずさむことのできる唱歌っていいですね。
ところで、現在の歴史教科書では、楠木正成公の扱いはコラム程度の扱いしかされていないそうですが、利を捨て、忠義に生きた、歴史の偉人に対しては尊敬の気持ちを持って、もうすこし暖かく大きく触れてもいいのではないかと考えています。
わが国のほとんどの歴史教科書は、自らの不純な心根があるために、偉大な人物に対して、その真価を理解しようとせず、ただ引きずりおろすことにのみ力を入れ過ぎている邪な傾向、すなわち偏向があります。
そもそも、歴史は人間の営為を物語るものであり、そうであるとするならば、人間そのものよりもイデオロギーに寄りかかっている現在の悪弊は猛省すべきではないでしょうか。歴史教科書がイデオロギーではなく、心豊かで凛とした人間の歴史に書き改められることを切に望みたいものです。
あらためて「時代祭」が正統な歴史感覚を有していることに驚きを覚えるとともに、さすがに歴史ある都は違うなと認識を改めたところです。
有意義な一日でした。歴史と地域に根付く祭りは大切にしたいものですね。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です
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コメント
平安神宮は、中学校時代の通学路にあり、往復時参拝したものです。大晦日に雪の庭園を散策したのも、楽しい思い出です。時代祭りには、大勢のアルバイト学生がいろんな人物に扮装していました。明治の中期には逆臣扱いだった足利尊氏も、近年になって参列が認められたそうですね。
正午の開始以前に、早朝から各講ごとに衣装揃えとお祓いをして、行列馬ともども御所の広場に集まってくる様子も、なかなか見ものです。
楽しい歴史絵巻の詳しいお話、ありがとうございました。
投稿: 被災者k | 2011年10月28日 (金) 09時23分