“猫”か“ヒラメ”か…野田総理の言動について!
297回目のブログです。
“物言はぬ 四方のけだものだにさえも
哀れなるかな 親の子を思ふ”
源実朝(鎌倉幕府3代将軍)
ものを言わない、いたる所にいる獣でさえも、しみじみと感動させてくれるではないか。親が子を愛するということは…。
源実朝は、獣でさえ有している親子の愛情がしばしば失われており、それを悲しんで詠んだものであり、心からの慈悲をあらわした優れた和歌だと思います。
さて、最近、新聞の社会面記事(いわゆる3面記事)を読むと、親子の情愛欠如としか言えない事件が数多く見受けられます。この原因は簡単なものではないと思いますが、時代を色濃く反映させたものであることは疑いなく、わたしはその遠因のひとつにわが国総理の言動があるのではないかと考えています。
○野田首相「靖国問題質問主意書」要旨(平成17年10月)
・「A級戦犯は戦争犯罪人にはあたらない」
・「すべての戦犯は平和条約と国会決議などにより、すでに名誉
回復しているのであるから、A級戦犯はもはや戦争犯罪人
ではなく“戦犯”合祀を理由にする首相参拝に反対する
論理は破綻している」
・「A級戦犯に対する法的誤認、社会的誤解を放置することは
人権侵害であり、認識を再確認することが人権と国家の名誉
を守るために緊要である」
・「靖国神社に総理が参拝することに何の問題があるのか」
●野田首相「靖国不参拝」を言明(平成23年9月)
・「内閣総理大臣在任中は靖国神社を参拝しない」
・「首相や閣僚の公式参拝は差し控えなければならない」
●野田首相「韓国顕忠院」に参拝(平成23年10月)
・10月19日、韓国を訪問した野田首相は「国立ソウル顕忠院」
を訪れ顕忠塔に参拝した。顕忠院は殉国烈士と護国の英霊が
祀られている国立の墓地である。
○野田首相自衛隊航空観閲式「訓示」(平成23年10月)
・菅氏のような無知識、能天気ではなく「自衛隊最高指揮官」
の立場をわきまえていた
・隊員の震災対応における勇気と真心に対して心から賞賛する
とともに自衛隊の任務を次のように説いた。
「我々が踏まえなければならないのは、自然災害だけではありません。いざという時にしっかりこの国を守れる自衛隊でなくてはなりません。挑発的な行動を繰り返す北朝鮮の動き、軍事力を増強し続け周辺海域において活発な活動を繰り返す中国の動き、我が国を取り巻く安全保障環境は不透明さを増しております。そのためにも、より一層の諸君の精励をお願いいたします」
●野田首相の内閣問題布陣(一部)
・法務大臣(平岡秀夫) 死刑非押捺・確信的サヨク
・厚生労働大臣(小宮山洋子) 主婦敵視・家庭破壊・個の優先
・防衛大臣(一川保夫) 防衛知識ナシ
・国家公安委員長・拉致担当(山岡賢次) 利権派・拉致関心ナシ
・行政刷新等担当(蓮舫) 国家レベル能力乏しい(2位では?)
野田首相の言動を5項目掲げましたが、これを概観すると、何とも掴みどころがなく、果たして信念があるのかないのか、サヨクなのか保守なのか、日本重視派なのか外国平伏派なのか、本当によくわかりません。
本当は保守なのにサヨクのふりをする、内心はサヨクなのに時には保守っぽく発言する“猫かぶり”なのか、あるいは、時と場合によって発言をコロコロ変える“ヒラメ人間”なのか、果たして真実はどこにあるのでしょうか。
靖国の問題は多少微妙なところがありますが、最近の内閣は非靖国か反靖国の姿勢をとり、短命な内閣に終わっています。そして、この問題を複雑怪奇にしているのが総理自身の姿勢だと考えます。野田首相の対応は、平成17年と平成23年を比較すれば、まるで180度異なっており、これを国家の基本姿勢だと考えるならば、残念ながら、野田総理の言動に「信」を置くことはできません。
それにしても、鳩山元首相は友愛宥和政治を標ぼう、菅前首相は市民サヨク政治を実践、中国の「南京虐殺記念館」を拝観、米国の「アーリントン国立墓地」に参拝、そして野田現首相は韓国の「国立ソウル顕忠院」を参拝。しかしこの三人はどなたも日本の「靖国神社」に参拝しません。
菅氏は一貫して反靖国ですから一応納得できますが、野田氏はあれだけ「他の総理大臣」には靖国参拝の正当性を求めながら、いざ自分となったらコロッと姿勢を変える、状況に応じて上司の目(外国である中国・韓国およびわが国のリベラルサヨク)を伺う、典型的なサラリーマン型ヒラメ人間ではないでしょうか。
しかし、そうあってほしくないものです。靖国神社は、明治2年、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社であり、内閣総理大臣として哀切と感謝の情をもって慰霊の参拝をしてもらいたいと願うものです。
国民は総理大臣の一挙手一投足を見ているものです。今、わが国は内外ともに難事の厚い壁に行く手を阻まれている感がありますが、“時代の打開”には不屈の精神力が求められています。それが、総理の力強い言動力であり、わが国民の精神に大きな影響を与えるようになり、冒頭に記した親子の情愛の欠如などという悲しい現実を変えていくことにつながると思います。
靖国にも参拝できない、そんな軟弱な総理が東京にはいますが、大阪では、橋下前知事が、まだ知事に在任中の10月20日、大阪護国神社の秋季例大祭に正式参拝されました(メディアは一切報道せず)。護国神社は国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社ですから、靖国神社と同じようなもの。知事の参拝は40数年ぶりということですが、日頃の言動からはうかがえない橋下知事の謙虚で誠実な姿勢には言葉もありません。
野田首相も橋下知事を学ばれてはいかがでしょうか。
180度のブレのある言動についてわたしなりの解釈をしてみました。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です
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