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2011年11月25日 (金)

素晴らしきかな古都…藤原京・橿原を歩く!

 300回目のブログです。
(とうとう300回を数えました!)

“ 斧入れて 香におどろくや 冬木立 ”
与謝蕪村(俳人・画家・江戸中期)

 枯れ木だと思って斧(おの)を入れたところ、鮮やかに匂ってくる木の香りには驚かされる。木々はすべて葉を落としているにもかかわらず、冬木の内部の生命力が脈々と生きていることに深い感動を催される…。

 秋も自然と深まり、山々はもとより公園の木々も色づき始め、いよいよ紅葉から落葉となりつつあるこの頃で、多少の侘しさも感じないわけではありません。

 先日、寒くもなく暑くもない好天気のもと、気の置けない友人10名と歴史のロマンと心のふるさとを求め、ウォーキングも兼ねて、奈良県の橿原を散策しましたが、橿原の地には、秋から冬の季節にもかかわらず、歴史という生命力が脈々と生きていることを、目の奥と心の中にはっきりと実感しました。

 コースは、京都駅集合、近鉄線で八木西口駅下車、ここからはウォーキングで「藤原宮跡」「今井町」「橿原神宮」を廻り、近鉄橿原神宮前駅解散、帰宅へとなります。

 およそ9~10kmの道程。奈良の市街地は何回か訪れたことはありますが、橿原はだいぶ以前に橿原神宮に一度参拝したことがあるだけで、今回は特に楽しみにしていました。さすがあんに違わず、橿原が神武天皇ゆかりの地であるなど、市全体の雰囲気がわが国の歴史そのものを感じさせ、得難い充実した散策となりました。

 藤原宮跡・藤原京

「藤原京」は飛鳥京の西北に位置し、日本の歴史上で最初、且つ最大の都城であり、最初の条坊制(東西に条・南北に坊の碁盤目)の都でもあります。規模は10里四方、25K㎡であり、平城京の24K㎡、平安京の23K㎡を凌いでいますから、かなりの規模だと言えます。

  「藤原宮」は藤原京の中心にあり、持統8年(694)から和銅3年(710)の16年間、持統・文武・元明三代の天皇が治められた日本の首都、すなわち日本国家の中枢だったのです。

  そこには、内裏・大極殿院・大極殿・朝堂院・朝集殿・朱雀門などが配置されていたのですが、現在は、わずかにそれらの建物の礎石を残すばかりです。

  しかしながら、藤原宮から、北に「耳成山」(標高140)、東に「香具山」(標高152)、西に「畝傍山」(標高199)のいわゆる大和三山の美しいシルエットが手に取るように眺めることができます。1300年前と同じ山々と空、万葉集にたびたび詠われた歴史に残る名山です。

  “春過ぎて 夏来るらし白栲の 衣乾したり 天の香具山”
(白栲=白妙=こうぞで作った白い布) (持統天皇)

  “大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ
   天の香具山 登りたち 國見をすれば
   國原は 煙立ち立つ 海原は
   鴎立ち立つ うまし國そ蜻蛉島(あきづしま)
   大和の國は”
    (あきづしま=日本の異称) (舒明天皇)

  橿原には万葉歌碑が二十数か所あります。数ある中から選りすぐられたものばかりですが、これら古代人の情趣あふれる素晴らしい万葉歌を素朴な万葉調で詠ってみたいものですね。

  今井町(いまいちょう)

「今井町」は東西600m、南北300mの、現在も江戸時代のたたずまいと情緒を残す「重要伝統的建造物群保存地区」です。周囲は環濠(濠がめぐらされている)となっており、江戸時代にタイムスリップしたような感じにとらわれます。

  町の歴史は天文2年(1533)にさかのぼり、寺内町として栄えるも一向宗のため織田信長に弾圧され、以後は商業自由都市として繁栄し「海の堺「陸の今井」と並び称されたそうです。陸の今井…たしかに、町並みにはかつての繁栄と人々の豊かな暮らしの足跡が覗え、なかなか良い表現だなと思いました。

  それにしても、今西家、豊田家、河合家など九軒の住宅や称念寺が重要文化財となっているなど、町全体が重文のオンパレード、目が眩むほどです。今もここで生活が営まれていますから、家並の保存には結構お金と気を遣っているのではないでしょうか。

  町の景観のために、町並みの中心部では電線類の地中化が行われており、素晴らしい見通しとなっていますが、このような諸策を講じられる今井町の方々の心意気には頭が下がる思いがします。

  橿原神宮

  今井町から橿原神宮に向かいましたが、途中「神武天皇陵」(畝傍山東北陵・うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)があります。時間の関係で、正式参拝はできず、全員遠くから参拝しました。(次回は御陵を参拝したいものです)

  「橿原神宮」は緑豊かな約50万㎡の広大な神域に建てられた神社で、わが国初代天皇・神武天皇と皇后・媛蹈鞴五十媛(ひめたたらいすずひめ)が祀られています。この地は、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったところ(日本書紀記述)ですが、背景にある青々とした空と畝傍山の深い緑、その前にそびえる檜皮葺(ひわだぶき・ヒノキの樹皮)の本殿・神楽殿の美しい調和とその醸し出す荘厳な雰囲気は、さすがに「大和の國」「やまとのくに」の礎を造られた神武天皇ゆかりの地だなと思わずにはいられません。

  今、わが国は国の基軸を喪失しつつあり、混迷の中、すすむべき道のない、羅針盤のない航海に出ており、国民全体が不安な気分に陥っているように思えます。このような時には、国家社会のリーダーは、この橿原神宮に額ずき、柏手を打つことで真の勇気と気概を持つことにもなるのではないでしょうか。今こそ、企業であれば創業の精神、国家であれば建国の精神に立ち返り、静かに思いを廻らすべきだと感じた次第です。

 橿原の散策、素晴らしいウォーキングでした。例によって、近鉄神宮駅前駅にてビールで乾杯、一日の疲れを癒しました。

 歴史の散策をお薦めします。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です

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コメント

300回踏破おめでとうございます。
なかなか歴史探訪には行けませんが汗をかいてうまいビールを飲むよう心と体に気をつけています。
そんな年になりました。
これからも清廉な発信を期待しております。

投稿: 高田大輔 | 2011年11月29日 (火) 23時13分

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受信: 2011年12月 9日 (金) 15時32分

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