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2012年2月 3日 (金)

萎縮するな…躍動感ある社会を目指そう!

 310回目のブログです。

“ 桃李(とうり)もの言はざれども下自ずから蹊(みち)を成す ”
司馬遷(しばせん・中国前漢時代の歴史家
)
    
(「史記」)

原文は「桃李不言下自成蹊」。桃や李(すもも)は言葉を発して人を招くようなことはしないが、美しい花や美味しい実の魅力に引かれて人が争って集まってくるので、その下には自ずから蹊(みち・小径のこと)ができる…徳のある立派な人のもとには、特別なことをしなくても自然と人々が慕い寄ってくるものだ。…

 今、わが国のメディアの論調は、日本の将来への不安感をかきたてるものが多く、例えば、円高で経済は成り立たないのではないか、赤字財政で破産するのではないか、少子化でどうしようもないのではないか、公約(マニフェスト)を一切守らない政治では劣化が進むばかりではないか、原発問題も真実を隠蔽ばかりしているではないか、などなどを見たり聞いたりすれば、お先真っ暗なイメージしか湧いてきません。

 まあ、野田総理の言動が2年前と今日では180度異なり、二枚舌発言となっていることをみても、政治に「信」を置くことに躊躇せざるを得ず、まさに、司馬遷の「桃李成蹊」のごとく、すべからく徳のある人物をリーダーに掲げたいと思わざるを得ない今日この頃です。
 (参考:
http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo

 一般的に、政治は国民の諸相の写し絵であることは間違いなく、そのトップが徹底した「日本国家悲観論」に陥っているということは、国民がそのように感じていることを意味しているとも言えます。

こういう時に求められるのは、その悲観論を圧倒的に打破しようとする誠実な実行力に他ならず、いわゆる二枚舌は許されるべきものではなく、それはまさしく誠実さの真逆であり、説得力に欠けるものと言わざるを得ません。

しかし、ここで冷静に考えて、わが国の将来は本当に悲観的なのでしょうか。そもそも、わが国の知識層は、伝統的に悲観論大好きです。それは、悲観論さえ論じていれば、その結果がどうなろうとも発言に責任をとらなくてもいいからです。

 そのことを逆に考えれば、楽観論、積極論、上昇論を述べるのは、極めて「勇気」が必要なのです。例えば、円高をとってみても、単純に円高は悪いことばかりではないことも指摘しなければならず、円高のメリット・デメリットを計量することこそ必要でしょう。一方、急速な円高阻止への政府と日銀の協調体制による政策が速やかに実行されなければならないにもかかわらず、それが実行されていないことが大問題だと指摘しておきます。

 また、財源などでも、まだまだ掘り起しがいくらでも出来るにもかかわらず、なぜか、政治が弱気、不活発、不燃焼、…それらは、悲観論に染まりきっている所為ではないでしょうか。

 そこで、わたしは、日本人の底力を信じ「萎縮するな」と声を挙げたいと思います。日本人は、世界に比して、そんなに力のない国家であり、弱い民族でしょうか、また尊敬に値しない国なのでしょうか。下記をごらんください。

   Views of Different Countries’Influence(2011)
27ヶ国・28619人アンケート調査・英BBC)

            Positive    Negative
   ドイツ      62    15
   イギリス     58    17
   カナダ      57    12
   EU       57    18
   日本       57    20
   フランス     52    19
   ブラジル     49    20
   アメリカ     49    31
   
中国       44    38
   南アフリカ    42    27
   インド      42    29
   韓国       36    32
   
ロシア      34    38
   イスラエル    21    49
   パキスタン    17    56
   北朝鮮      16    55
   
イラン      16    59

 これを見てもわかるように、わが国をそんなに蔑んだり、悲観的に見たりするのは間違いであることがはっきりしています。お隣の韓国を見習えという「とんでも論」がマスコミを賑わしたりしていますが、韓国が世界で尊敬されていないことは、これを見れば一目瞭然。わが国は世界から一層敬される国を目指すべきであり、虫けらのように嫌われる存在になることは御免こうむりたいものです。

わが国は、今後、自信を持って日本文化を世界に発信するよう努力し、この面でも、現状の地位に甘えることなく、世界1位を目指すべきです。(間違っても、日本意識が薄い蓮舫元大臣が唱えるような「2位以下でもいい」と言うべきではありません!…2位以下でもよいとなれば、なし崩し、限りなく最下位に近くなり、韓国や北朝鮮の地位に落ちるのは必至でしょう。)

 そのためにも事実を直視し萎縮しないことが大切です。萎縮の反対語は「伸長」(勢いが広がること)「発展」(勢いなどが伸び広がって盛んになること)「活躍」(めざましく活動すること)「増長」(程度がはなはだしくなること・つけあがること)ですが、増長にさえならなければ問題はないのではないでしょうか。

 ところが、悠長に構えておられない懸念があります。先日「歌会始」があり、天皇陛下をはじめ皇族、召人、選者、入選者の和歌(短歌)が独特の調子で披講されましたが、平成に入ってから、若い世代の歌の応募が少なくなっているとのことです。

 そして、万葉の古から、歌は文字通り歌うものとして生まれ、声に出されて歌われてきましたが、最近は、散文的であり、難解な表現も多く、声に出して歌いたくなるような韻や調子を欠くものが増えているようです。

 和歌(短歌)は、わが日本の伝統文化の中心に位置するものです。太古から、和歌は声に出し、音読してはじめて人の心を動かすものであるとされ、言葉=言霊=精神と認識されてきました。にもかかわらず、最近は黙読することが普通となり、結果として言葉が弱くなってきているように思えます。

 その意味で、声高らかに歌う「歌会始の儀」は極めて大切な皇室、国家、国民の行事と言えましょう。近年、政治家・メディア・官僚・経営者・学者の言葉が極めて軽くなったのも「公」の精神の劣化もさることながら、韻、リズム、声を軽視してきたことにも一因があるのではないでしょうか。

 タイトルにも記しました「躍動感ある社会」を目指すためにも、演説、会話、和歌、俳句、随筆、記事、論文などすべてにおいて、精神()のこもった調子(リズム)がほしいものです。

 あらためて今、わが国は萎縮の気持ちを破棄し、伸び伸びした精神でもって「躍動感あふれる社会」を目指すことが必要だと考えます。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

弘志会(大阪)開催のご案内】
講 師 : ジャーナリスト 福島香織女史
      (元産経新聞中国総局・中国ウォッチャー)
演 題 :「中国メディアの今」 (仮題)
日 時 :324() 13:30-17:00
場 所 :たかつガーデン「藤」の間
     〒543-0021 大阪市天王寺区東高津町
7-11
         
電話
06-6768-3911
           http://www.takatsu.or.jp/

参加費 : 4000 (会食費・配布資料代)
連絡先 : 福井成範
fukuima@tree.odn.ne.jp
(
弘志会は、理想主義的保守主義の立場から多面的に
 学習する勉強会で、半世紀の歴史をもつ集まりです。
 ご参加をお待ちします)

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