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2012年4月13日 (金)

マニフェストを捨てよ、日本の政治を目指そう!

 320回目のブログです。

“またや見ん 交野のみ野の 桜狩 花の雪降る 春の曙”
(藤原俊成・平安後期~鎌倉初期)

 ふたたびこのような情景に出会うことがあるだろうか。交野(かたの・大阪枚方市)の桜狩において、桜の花が雪のように散る、この美しい春の曙のみごとな景色よ…。

 いよいよ桜の季節、櫻花爛漫ともいうべき満開の時を迎えました。一年でもっとも華やかではありますが、その散り際には何とない哀愁を感ずるであろうとの微かな予感を懐きつつ、花見を楽しむことは、内心のよろこび、いやが上にも盛り上がるところです。日本人に生まれてよかった!…暫しの幸せを感じる今日この頃。

 春の情景は全ての人々に気持ちの良い恩恵を与えていますが、世俗の喧騒は、特に権力者のいさかいは見物者(国民)にある種の判断を求めています。

 それは、橋下大阪市長と朝日新聞との論争であり、橋下市長はツイッター(80)で、朝日新聞は論説面で行行われました(J-CASTニュースより)。

 朝日社説では、小沢氏らは民主党議員として、党が消費税増税路線の結論を出したからには、協力することが「政党として守るべき党内民主主義の最低限のルールである」と指摘。小沢氏らの「やり方」について「筋が通らない」「これでは民主主義が泣く」と批判。「民主党でも大阪維新の会でも、党員なら政党として手順を踏んで決めた結論には従うこと、それが党内民主主義だ」と主張。

 それに対して橋下市長は「朝日新聞はまだ民主主義が分かっていないようだ。野田首相が消費税を唱えて代表に選ばれたことを、小沢先生が従うべき根拠にしているが、それは民主党内部の話。民主党内部の話よりも政党は国民との約束(=消費税増税せず)、対外的約束が一番重要だ。民主党はその理解が不十分だ」と主張

 要するに、朝日は「党内を優先」、橋下市長は「国民との約束が最優先」として、相互に譲らずバトル全開、罵倒、諍い、けんか、数日間の丁々発止と相成っています。

朝日と橋下氏のどちらに正当性があるかと言えば、当然ながら橋下氏の方に歩があるのではないでしょうか。外国との約束(国際条約) >日本国民との約束>党内の約束(党内規定) は、世界の常識ですから、国民との約束は党内事情よりも優先されなければならないのは言うまでもありません。朝日の見識の無さが露呈しました。

 ここで、いわゆる「マニフェスト」について考えてみたいと思います。

【マニフェスト】(大辞泉)

国政選挙では政党が、地方選挙では候補者が政権獲得後に実施する政策を具体的に挙げ、実施時期と予算措置について明確に有権者に提示した文書。

 わが国では、マニフェストという言葉は比較的新しく、約10年前から使われるようになり、その意味するところは、いわゆる選挙公約とは異なり、

何をやるか(具体的な施策)
いつまでに(具体的な実施期限)
どれくらいやるか(具体的な数値目標)

を明示するとともに、事後検証を担保することで、有権者と候補者との間の委任関係を明確化することを目的としています。

 ところで、わが国で高らかに唱えられたマニフェストの実態はどうなっているのかを現民主党政権の例から検証してみましょう。

  × 八ッ場ダム建設中止
× 予算の組み替え
× 子ども手当
× 高速道路無料化
× 後期高齢者医療制度廃止
× ガソリン税暫定税率廃止
× 最低時給1000円
× 天下り廃止
× 公務員総人件費2割削減
× 議員定数削減
× 企業団体献金廃止
× 米軍普天間飛行場移設

 その他、消費税増税などもあり、マニフェストは総崩れであること、一目瞭然ですが、これは、果たして民主党だけのことと見るべきでしょうか。わたしは、自民党でも、大阪維新の会でも、みんなの党でも同じ結果を招来するのではないかと考えています。

 なぜならば、今の国会議員の全てに、具体的な施策・具体的な実施期限・具体的な数値目標をパーフェクトに実行しようとする政治家としての覚悟、知識、見識を見出すことができないからです。

 国民への約束を反故にして何ら痛痒を感じない姿勢は、わが国の優れた国民精神をスポイルし、頽廃に導くものであり、ある意味で深刻な国家的犯罪とでも言うべきものではないでしょうか。したがって、国民との約束を守れないのであれば約束すべきではないのです。

 近年、政治家が政治家としてのあるべき姿から大きく乖離していることは衆目の一致するところですが、こんな状況に陥った要因に次の3点を挙げたいと思います。

  自国の安全保障を米国に依存することにより、わが国は愚者の楽園と化し、政治指導層に緊張感が失われてしまっています。明治維新の英傑は西洋列強を相手に闘い、国防の重要性を骨の髄まで認識していた点において、今のリーダーとは天地の差異があります。

  国益や国家を軽視する戦後イデオロギーの後遺症である左翼リベラリズムの桎梏(しっこく・自由な行動を束縛すること)から今も脱しておりません。鳩山氏や菅氏などはその典型であり、民主党ばかりではなく、自民党などにも数えきれないほどの左翼リベラリストが存在します。

  政治家に選良意識が欠落。代議制民主主義は、エリートと非エリートとの差異を前提に、エリートに国政を委ねることであるにもかかわらず、現状は、政治家であるエリートが一般国民である非エリートに猫なで声ですり寄っている有様です。マスコミによる政党支持率調査に一喜一憂する政治指導層をみれば一目瞭然。
また、マニフェスト中心主義は政治責任を国民に押し付けるものであり、選良意識を前提とする代議制民主主義を無用のものにしつつあります。これは極めて危険なことであると指摘したい。

 政治家には存分の政治的力量を発揮してもらわねばなりません。そうであるとすれば、このマニフェストは、日本の政治風土、政治体質に合わないものであり、思い切って捨て去るべきではないでしょうか。わが国の文化に合致しないものをめぐって空回りしているのが現実であることを率直に認めるべきだと考えます。

 その昔、劇団主宰者・寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』という著名な作品がありましたが、それにあやかって言えばマニフェストを捨てよ、日本の政治を目指そうとなります。

 わたし達国民は、上に記した①~③に合致する立派な人財(>人材)を政治家として選び、その政治家に政治を付託し、国家・国民の繁栄を期することが最大のポイントではないでしょうか。

 わが国は、今、国難の最中、累卵の危うき時にあり、優れた政治家を望むや切なるものがありますが、それについて、西郷隆盛は次の言葉を残しています。

 “命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり
      (内村鑑三「代表的日本人」西郷隆盛より)

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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コメント

野宗さんの見識に賛成です。自分で冷静に考える国民になる努力が必要ですね。(人やマスコミに言われるのではなく。)それにしても、マニフェストに安全保障、外交、財政を書いてしまったのが「国の信用」を失墜させたと思っています。 ますますのご活躍を。

投稿: 淺沼健一 | 2012年4月16日 (月) 10時06分

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