素晴しきかな古都…嵐山・嵯峨野を歩く!
319回目のブログです。
“ 袴着て ひとり立てるも 花見かな ”
(伊藤信徳・江戸前期・俳人・談林派)
普通の花見はにぎやかに見るものだが、袴を着け、あらたまった気持ちで、ひとり桜の木の下にたたずんでいるのも、桜の花見には、また相応しいものと言えよう…。
桜の開花宣言はやっと出ましたが、まだ蕾が多少ふくらんだ程度であり、にぎやかな花見にはあと1週間くらいかかりそうですが、上の俳句にあるように、一人で眺める花見も“乙なもの”(味なもの)かも知れません。
さて、先日、京都の嵐山・嵯峨野を散策しました。ルートは、JR京都駅→JR嵯峨嵐山駅→ジオラマ京都JAPAN→トロッコ嵯峨駅→トロッコ亀岡駅→トロッコ嵐山駅→常寂光寺→長神の杜→二尊院→嵯峨鳥居本→化野念仏寺→清凉寺(嵯峨釈迦堂)→京福電鉄嵐山駅→京福電鉄四条大宮
■ ジオラマ京都JAPAN
トロッコ嵯峨駅に隣接した鉄道模型のテーマパーク。わが国最大級のジオラマ(仏語diorama・展示物とその周辺環境や背景を立体的に表現する方法)では京都の町並みや清水寺などの著名な寺院、御所などを精巧な模型で再現。実物の電気機関車の運転操作によって、その周辺を鉄道模型が疾走しますが、これは小学生や鉄道マニアにとっては得難い経験となること間違いありません。
■ トロッコ列車
全長7.3km、片道25分、途中には4か所のトンネル(隧道)あり。トロッコ列車は嵐山から亀岡まで、名勝“保津川”に添っていますから、トロッコから眼下に眺める保津川の渓谷美には、ウットリとしてしまい、乗客のすべてがドッと歓声を挙げたのもうなずけます。
運転手もサービス精神旺盛で、最も美しい渓谷の2、3ヵ所(保津川架橋の上)では列車を止め、解説もしてくれました。また、保津川下りの船に出くわすことが出来ましたが、これはまさに“一幅の絵画”と言えるでしょう。それにしても見事な風景です。
■ 常寂光寺
トロッコ嵐山駅から小倉池を見ながら歩くとすぐにある日蓮宗の落ち着いたお寺です。百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあり、境内からは京都で最も美しいと言われる嵯峨野を一望できました。本当は紅葉の秋が見ごろでしょうが、静かに眺める春の嵯峨野もそれなりの価値があります。
常寂光寺には、百人一首を選んだ藤原定家の小倉山荘「時雨亭」があったとされていますから、ここで定家の和歌を三首。
“結びおきし秋の嵯峨野の庵より床は草葉の露になれつつ”
“小倉山しぐる心の朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉”
“吹き払ふもみぢの上の霧はれて峯たしかなる嵐山かな”
■ 長春の杜(小倉百人一首の歌碑)
小倉百人一首は定家が小倉山の時雨亭で撰集したものであり、小倉山は百人一首の発祥の地とされ、先年、嵯峨・嵐山に百の歌碑が配置(5地区)されました。ここ長春の杜地区には19首の和歌がいろんな形状の自然石に彫られ、解説も付されています。さすがに歴史を誇る嵐山・嵯峨野、いつかは百首すべての歌碑めぐりをしたいとの思いを強く持ちました。
■ 二尊院
平安時代初期の建立、天台宗の大きなお寺であり、釈迦・阿弥陀の二つの如来像を本尊とすることに由来して二尊院と称されます。わたしたちは総門の前から参道を見通しただけで過ぎましたが、この参道は京都でも有数の紅葉の名所として知られており、次回チャンスあれば参拝したいと思っています。
■ 嵯峨鳥居本
二尊院から少し歩くと嵯峨鳥居本に到ります。ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定され、町家風民家と茅葺き農家のふたつの風景が、遠き昔はこうであったのかと何とも言い難い懐かしさを催させてくれます。落ち着いた素晴らしい町並みです。
■ 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
鳥居本の町並みのちょうど中間に化野念仏寺(浄土宗)があります。このお寺は約1200年前、弘法大師(空海)が野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのが始まりとされています。およそ八千体の無縁仏となった石佛・石塔が配列安祀されている様は、わたし達生者に何か語りかけているようであり、心の底まで厳粛にならざるを得ませんでした。
ところで、本堂にお参りした時、お焼香をしましたが、そこに「お焼香」の意味と作法を説明した文章がありましたので、ここに記させていただきます。お焼香の回数は宗派によって異なるようですが、ご参考までに。
『本来、お焼香というものは、仏前の香炉に香を薫じ、礼拝供養するのが本当の意味であります。お焼香には一回・二回・三回するのがあります。
一回:一心不乱に霊を念じ香を薫じる
二回:戒香(心身を清める)・定番(心身が清浄になる)
三回:三毒(むさぼり・いかり・おろかさ)を焼き捨てる
聖霊への供養の場合は、一回が本儀に思われます。
次に作法(動作)のことですが、お焼香するには、まづ右手の親指と人差し指で香をつまみ、そのままこれを仰向けて左のたなごころで受け、うやうやしく頂き、おもむろに薫じます。心をこめてお焼香してください』
最後に清凉寺を経由して、京福電鉄(いわゆる嵐電)嵐山駅から、風情のあるチンチン電車に乗って帰路に着きました。
この散策で、古都の魅力を再認識しましたが、その魅力は放っておいて維持できるものではなく、関係者の方々の並外れた努力によるものだと思いました。あらためて敬意を表します。
嵐山・嵯峨野を歩き京都の文化の一端に触れて感じたこと。それは、今をときめく橋下大阪市長(大阪維新の会代表)において「政治力」には濃厚な感性を感じられますが「文化」に対しての感性がかなり希薄に思えることです…。
政治には乾いた実行力が要求されますが、文化には潤いと永い年月が必要とされますから、そんな観点をも加味して奥行きのある斬新な政治に取り組んでほしいものです。
それにしても、古都散策、名所旧跡・寺社めぐりは、今流行りの言葉でいう“癒し”そのものであることを実感しました。
名所旧跡・寺社めぐりをお薦めします。
次回も
時事エッセー
です。
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