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2012年4月27日 (金)

朝日VS石原…尖閣への姿勢・どちらが国益にかなうか!

 322回目のブログです。

“ 須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇 ”
(芭蕉・俳聖・江戸前期)

須磨寺の緑は深く、日差し強ければ強いだけ木陰も濃く、目くらみするほどの木下闇(こしたやみ)。その深い翳のなかにたたずめば、遠い昔のことが偲ばれ、木の葉が微かな風に揺れるにつけ、いずこからか、平敦盛が吹く哀しい青葉の「笛の音」が聞こえてくるようだ…。

 やはり芭蕉の俳句は素晴らしく“吹かぬ笛聞く”などは、わたし達に歴史のなかの情景を絶妙に想い起させてくれます。

今、NHKのドラマで平清盛が放映されていますが、歴史を無茶苦茶に解釈しあまりにも軽く扱いすぎた演出のため、視聴率で苦戦しています。平清盛の甥である平敦盛は、源平一ノ谷の合戦で熊谷直実に討たれた悲劇の人…ドラマではどのように表現されるのか知りませんが、悲しや悲しや、享年わずかに16歳。敦盛は横笛の名手であり、この歴史的場面は唱歌となって心ある人々に歌われています。

   青葉の笛唱歌・明治39年)
作詞 大和田建樹 作曲 田村虎蔵

  一.一の谷の 軍(いくさ)破れ
    討たれし平家の 公達(きんだち)あはれ
    暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
    聞えしはこれか 青葉の笛

 二.更くる夜半(よは)に 門(かど)を敲(たた)
    わが師に託せし 言の葉あはれ
    今はの際(きは)まで 持ちし箙(えびら)
    残れるは「花や 今宵」の歌

 源氏と平家、その戦については興味津々、両軍の心情、特に敗者となった平家には、「青葉の笛」に歌われているように、ある種の感傷と哀傷を催します。が、これはあくまでも古の歴史に刻まれた日本国内での戦でした。

 ところで今、四周を海に囲まれたわが国は、周辺の各国から、もちろんのことドンパチの「戦」ではなく、ソフトパワー・ハードパワーを駆使しての「準いくさ」として、権益を狙われ続けていると言っても過言ではないと思います。

 その最たるものが“尖閣諸島”およびそれを含む“海域”の権益を脅かしている中国(中華人民共和国・Peoples Republic of China・CHINA・シナ)ですが、その背景には、1989年以来毎年二桁の軍事費の増加があります。現在ではわが日本国の3~5倍の軍事力を有するようになり、まさに軍事国家、軍事超大国をひた走りに走り、極めて危険な存在となっているのは世界が認める所でもあります。

 その軍事超大国を目指す中国に親しみを感じ、日中友好の旗を高々と掲げ、争いを極力避け、膝を床まで屈し、現代皇帝(国家主席)の謁見に喜悦の涙を素朴に流し、主張を即時に取り下げ、議論を棚上げし、暖かい懐に抱え込まれている人々、すなわち特別に親中である人々が、わが国にかなり多くいることは周知の事実です。そして、その中心に位置するのが新聞やテレビなどのマスコミであることに目を向けなければなりません。

  尖閣買い上げ―石原発言は無責任だ

  石原慎太郎・東京都知事が、米・ワシントンで、沖縄県の尖閣諸島を都が購入する計画だと明らかにした。
そもそもこれは東京都の仕事ではないはずだ。日本人が上陸しただけで反発してくる中国のことだ。問題はいっそうこじれるだろう。政府の外交に悪影響を与えることを承知で大風呂敷を広げるのは、無責任としかいいようがない。
そもそも、都民の税金を使って島を買うことの説明がつくかも疑問だ。石原氏には、新党構想が取りざたされ、税金を使って選挙向けのパフォーマンスをしているようにも見える。
           (2012/4/18 朝日社説一部抜粋)

 石原都知事が、東京都による尖閣諸島購入計画を発表してから、マスコミは蜂の巣をつついた様相を呈し、産経と読売を除き、朝日、毎日、中日、東京、日経、琉球新報、フジTV、NHKほとんどのマスコミが購入反対の意向を示し、中国に対してややこしい問題を起こす石原都知事はけしからん、と反石原ムードの醸成に余念がありません。

 一方、橋下大阪市長、仲井真沖縄県知事、中山石垣市長は賛意を表しました。仲井真知事は(個人所有より)何となく安定性がある」中山市長は「好意的に受け止めている。石垣市との共同所有が望ましい」と前向きに評価、現地のリーダーが持つ不安感に応えたこととして受けとめられました。

 ここで、尖閣諸島購入に猛烈に反対する朝日などの主張をわかりやすくまとめてみましょう。

中国が反発し問題がこじれる。
中国を刺激すべきではない。
日中は話し合い、連携すべきだ。
大風呂敷であり無責任だ。
政府の外交をないがしろにするものだ。
沖縄の地方自治権を犯すべきでない。
尖閣諸島に手を出すことは東京都の仕事ではない。
都民の税金を使うべきではない。
石原新党向けの税金を使ったパフォーマンスだ。
東京都よりも政府が所有する方が理にかなう。

 これについてわたしなりの考えをアトランダムに記しました。

  中国船(漁船&軍船)が、一昨年秋に尖閣海域での体当たり(衝突)事件を起こしたにもかかわらず、その後領海侵犯を激増させている現実がありますが、この期に及んでもまだ中国(一党独裁軍事大国)の「跳梁跋扈」(ちょうりょうばっこ・思うままにのさばり、勝手な振る舞いをすること)を、朝日などのマスコミは何の憂いもなく受け入れる、あるいは歓迎するのであろうか。信じられない。

  日本政府は、日本と中国との間には領土問題は存在しないと言っているにもかかわらず、日本のマスコミはどうして中国を刺激することになると騒ぎたてるのか。

  これは、日本国において、埼玉県の一民間人から東京都という自治体への所有権移転の単純な問題であり、騒ぐことがどうかしている。

  東京都は、小笠原諸島、南鳥島(わが国最東端)、沖ノ鳥島(わが国最南端)などの海洋権益を守るノウハウを有しており、そのノウハウを駆使して尖閣諸島および周辺海域を防衛するのは、まことに正鵠を得ており、へなちょこの日本政府を大いにバックアップすることにつながるはずだ。石垣市長、沖縄県知事、東京都知事の三者がスクラムを組んで尖閣を守ろうとする貴い志にいちゃもんをつけるマスコミの神経は狂っており、度し難いほど濁っているのではないか。

  朝日などは、ありもしない従軍慰安婦の問題、純然たる国内問題である教科書の問題、同じく靖国参拝の問題など、騒ぎに騒いでわが国の国益を損なった過去を有しているが、またまた同様のビヘイビアで国益を毀損し、中国へ権益を渡そうとするのであろうか。

  というのは、平成17(2005)327日、朝日新聞論説主幹の若宮啓文氏いっそのこと竹島を韓国へ譲ってしまったら、そして島を友情島にすれば…と夢想」と記し、物議を醸した経緯がある。同じ発想で、朝日新聞は、尖閣諸島を中国へ譲り、これも友情島にすればいいと内心思っていても不思議ではない。わが国のマスコミはそれほど中国や朝鮮に膝を屈しているといえるのではないか…いよいよ日本の領土が危ない。

  どうして中国に対してのみ「日中友好」と言う言葉を高らかに頻繁に唱えようとするのか。なぜ、日米友好、日印友好、日露友好などなどを日中と同等に高らかに唱えないのか、不思議でならない。

  政府が買い上げればいいのではないかとの意見もあるが、政府は、従来の自民党政権もそうだが、今の民主党政権は特に領土問題に極めて関心が薄く、信頼感に乏しいため、東京都および石原慎太郎知事を現在の地権者が選んだのは十分納得できることだ。

  尖閣諸島については、わが国政府の継続的な考えられない程の弱気な姿勢から見て、何か中国と「密約」があるのではないだろうか。密約は日米間だけにあるのではなく、日中間にもあるように思えてならない。

いずれにしても、石原都知事の国益を見据えた思想(思考)と勇気(行動)は、真の政治家と言っても過言ではないと思います。

わたしは、このニュースを聞いて、正直ウーンと唸りました。こんな手があったのかと。わが国において、政治家も、学者も、評論家も、マスメディアも、誰も考え付かず、誰も動こうとしなかったことを大胆に提示、行動に移す鮮やかな政治力量にはほとほと感心します。たとえ、主義、主張は違っても、石原氏の腹の座った大胆さには瞠目(どうもく・驚いたり感心して目を見張ること)しなければならないのではないでしょうか。

 タイトルの結論は、石原都知事は国益にプラス朝日新聞は国益にマイナスで間違いないでしょう。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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コメント

わが父は、昭和17年にフィリピンで玉砕した。
旧大須賀町の忠霊殿の草刈りをしながら、「遺族会を通じての奉仕も、私の代で終わりだ。若者には、この作業は興味がない」と会員のМさんは言う。
戦死者への追悼は、我々の世代では祖先祭りになり変わっている。米国式の国家による永代追悼にはなっていない。
戦死者は、国が存続し発展するための貴重な犠牲者であるという考えはこの国にはないようである。
尊い犠牲者のことは、我が国では子供・若者にも教えられていない。

鎖国時代と同様に、排他的であることが、自国の独立の唯一基礎となっているのであろう。
我々はどこから来たか、何者であるか、どこに行くかの内容は語られることはない。
過去の出来事は素早く風化し、未来の内容は不透明に見えている。
ただ、目の前の現在だけが信じられ、刹那は永遠と考えられている。
この国には、この世界のグランド・デザイン、マスター・プランは考えられていない。
哲学がないから、新しい社会の建設努力はどこにも見当たらない。ただ、世の中の修復と繰り返しの連続である。

を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族衰退の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年5月 3日 (木) 13時47分

 齋藤さんのコメント
『朝日新聞が石原批判をしているのは「親人権派・親社会主義」という立場からだけでなく、「インテリ集団」のはずの朝日新聞人が思いもつかなかった石原知事の独創的発想によって頭に血が上ったのではないでしょうか。知的論理を重ねる左脳派インテリ(一流といわれる官僚や教授に多い)は予想もしなかった方向からの主張や提案をされると、日頃の知性派の衣装を捨てて感情的かつ非論理的な批判を展開することが多々あります。それは自身の論理や知性の限界を公にされたという屈辱感も根底にあるからでしょう』
に、はたとひざを打ちました。齋藤さんの鋭い読みに感服します。おそらく、齋藤さんのおっしゃる通りだと思います。
 我が国のいわゆるインテリには、教科書通りの安易な回答はできても、「クリエイティブな発想」や「クリエイション(創造)」に弱く、コンプレックスを持つ人が多いですから、内心では、石原知事にやられたと思い、強烈な嫉妬心から、「ちくしょう、この野郎」と感情的に苛立っているのではないでしょうか。
 朝日などは感情丸出しの論となっており、その幼稚さには気の毒に思えてなりません。
 国益を守る外交には、石原氏のような燃えるような情熱と豪胆な腹が必要だと考えます。〆
           
 

投稿: のんちゃん | 2012年5月 1日 (火) 10時16分

核開発に狂奔していた中ソとの協調路線や反安保及び全学連への肩入れ、文化大革命時の親中共の報道姿勢と意図的な誤報問題など、朝日新聞は戦後一貫して、国の針路を左右する重大問題において国益を失する方向で報道を続けてきました。朝日新聞の主張と逆の政策をとっている保守政治家や官僚がいる間の日本は骨太でしたが、中曽根首相の頃から外交問題や防衛問題を中心に「朝日イデオロギー」に毒される政治家や官僚が増えてきたように思います。今日の領土問題や沖縄基地問題また混迷する民主党政権の問題も朝日新聞のプロパガンダの果実といえるでしょう。
 石原知事の今回の決定に賛成どころか日本人の一人として感謝もしています(寄付もさせてもらいます)が、朝日新聞が石原批判をしているのは「親人権派・親社会主義」という立場からだけでなく、「インテリ集団」のはずの朝日新聞人が思いもつかなかった石原知事の独創的発想によって頭に血が上ったのではないでしょうか。知的論理を重ねる左脳派インテリ(一流といわれる官僚や教授に多い)は予想もしなかった方向からの主張や提案をされると、日頃の知性派の衣装を捨てて感情的かつ非論理的な批判を展開することが多々あります。それは自身の論理や知性の限界を公にされたという屈辱感も根底にあるからでしょう。(大阪の橋下徹氏も弁護士時代からその独創的発言で朝日的インテリから激しい批判を浴びてきましたが同じ理由ではないでしょうか。)いずれにしても朝日論壇人も見ていると、社会主義革命ゴッコに狂奔したあげくに命を奪われたボンボン大学生や、あり余ったカネで国政を弄ぶ鳩山由紀夫氏らを思い重ねてしまいます。国民の生命や国家の安全を「知的エリート」と思いこんだ外務官僚や朝日人に託すほどに大衆は馬鹿ではないと信じます。

投稿: 齋藤仁 | 2012年4月29日 (日) 09時00分

 貴殿のメデイア批判(特に朝日の間宮氏発言)および石原知事への賛辞には100%いや1,000%同感です。
 拉致被害家族の横田さんご夫妻による”めぐみへの遺言(幻冬舎刊)”を読み感涙しました。私はこの悲劇(日本国家が拉致されたのだ!!”の対応に15年以上関り、一国民として懸命に行動してきましたが、政府や政治の中心までが浸食されている事を知るにつけ、自分の行動力の貧弱さに悔し涙を何度流したことでしょう。石原知事の言動には批判が多いとは承知してはいますが、事、領土問題、拉致問題への認識の強さと行動力には一層強い敬意を抱いています。

投稿: 岡村昭 | 2012年4月27日 (金) 06時59分

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