「武士道」…日本の精神…を今読む!
329回目のブログです。
“波の上ゆ 見ゆる小島の雲隠り あな息づかし 相別れなば”
笠金村(万葉集)
(遣唐使が立つ時に贈った歌)あなたの船が出帆して、波越しに見える小島のように、遠く雲に隠れるように見えなくなって、これでお別れかと思うと溜息が吐かれ、悲しいことだ…。
遣隋使、遣唐使…わが国をより豊かで優れたものにすべく、彼らは生命をかけて隋や唐に赴いたのですが、まさに永久の別れ、見送る側もそれに応え、心情をつくして歌を贈りました。国家的使命への厳しい覚悟の船出とそれに対する心を込めた和歌は、まさに強くて豊かな精神を示しているといえるのではないでしょうか。
翻って、今日、わが国のリーダー、指導者、藩屏(はんぺい)は、たとえ、国家的使命への厳しい覚悟を示さねばならない局面があったにしても、それを敢えて避けようとする弱くて細い精神の持ち主になっていると言わざるを得ません。
その要因として、使命感の無さ、あるいは、使命感の喪失を指摘しても間違いはないと思いますが、今、リーダー(政治家・官僚・他)には、強い精神、強い“日本の精神”が求められており、それのひとつとして「武士道」の感覚と行動を挙げることが出来ます。
わたしに武士道精神を語る資格はありませんが、著名な新渡戸稲造の著書を紹介します。学生の頃読んだことはあるのですが、あらためて読むと目を覚まさせられます。
著 者 新渡戸稲造
書 名 『武士道』(BUSHIDOU The Soul of Japan)
出版社 PHP文庫・岩波文庫・他各社より出版
新渡戸稲造は、旧五千円札の肖像で広く国民に知られる存在となっています。文久2年(1862)~昭和8年(1933)。札幌農学校では同期に内村鑑三などの後に名を成した友人等と切磋琢磨、東大から欧米の大学を経て、台湾総督府技師、京大、東大の教授、第1高等学校、拓殖大、東京女子大等の学長を歴任するなど、農学者、教育者として著名な存在です。
「武士道」の初出版は明治32年(1899年)、38歳の時ですが、新渡戸稲造は英文で、欧米からまだまだ認められていない日本民族を理解してもらうために、すなわち、日本男児の伝統的精神を正しく伝えるべく、渾身の力で、平明に書いたものです。その心根、心の奥底は、サブタイトルの“BUSHIDOU The Soul of Japan”(武士道…日本の魂)に如実に表れているのではないでしょうか。
この本は世界各国で翻訳出版され高い評価を得ましたが、特に第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトは、深い感動を覚え、友人、家族にこの本を配りました。そして大統領は「BUSHIDOU」に書かれた精神を体現した日本を信頼し、日露講和条約の調停を買って出るほどの親日家となったのです。
春秋の筆法に従えば、新渡戸稲造の「武士道」によって日露戦争に勝利したと言うこともでき、わたし達日本人は、セオドア・ルーズベルトに対して、足を向けて眠ることはできません。(念の為つけ加えますが、素晴らしき親日家の第26代のセオドア・ルーズベルト大統領と、反日・人種差別主義の第32代フランクリン・ルーズベルト大統領とは全くの別人です)
それでは、各章のタイトルを掲げましょう。
第1章 武士道とは何か
第2章 武士道の源はどこにあるか
第3章 義―武士道の礎石
第4章 勇―勇気と忍耐
第5章 仁―慈悲の心
第6章 礼―仁・義を型として表す
第7章 誠―武士道に二言がない理由
第8章 名誉―命以上に大切な価値
第9章 忠義―武士は何のために生きるか
第10章 武士はどのように教育されたのか
第11章 克己―自分に克つ
第12章 切腹と敵討ちー命をかけた義の実践
第13章 刀―武士の魂
第14章 武家の女性に求められた理想
第15章 武士道はいかにして「大和魂」となったか
第16章 武士道はなお生き続けるか
第17章 武士道が日本人に遺したもの
これを眺めてみれば、おそらく少し以前であれば、古臭い言葉だと一蹴(はねつけること)されかねないものでしょうが、今見れば、何と、キラッと輝いて見える言葉も多々あることに気づきます。
それは、わたし達が、現代の世相に、国民精神の劣化と弱化を感じており、国民精神の再構築を願うなかで、「武士道」に、ある種の心の縁(よすが)になりうるものを読み取ろうとしてからに違いありません。
たとえば、7章の「誠」―武士道には二言がないと指摘されても、今の政治家にそれを求めることは絶望的です。口から先にペラペラ、嘘も平然、それも一つや二つならまだしもほとんど全て、国家の基本さえ忘却の彼方へ、自らの責任は一切口にせず、たとえ口にしても後は無視、など、武士たるべき政治家が三言、四言は平気、その言動は武士道の真逆にあると言わざるを得ません。
武士道とは何か…それは、この本を読めば理解がすすみますが、武士道の源(仏教・神道・孔子・王陽明)について、この本から一部を引用してみましょう。
「仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。具体的にいうならそれは危難や惨禍に際して、常に心を平成に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった」
「神道の自然崇拝は、われわれに心の底から国土を慕わせ、祖先崇拝はそれをたどっていくことで皇室を国民全体の祖としたのである。私たちにとって国土とは、金を採掘し、穀物を収穫する単なる土地以上のものである。つまりそこは先祖の神聖な住処なのである。それゆえに私たちにとって天皇とは、法治国家の長、あるいは文化国家の単なる保護者ではなく、それ以上の存在となる。いうなれば天皇は地上における天の代表者であり、その人格の中に天の力と慈悲とを融合しているのである」
「武士道は、道徳的な教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となった。君臣、親子、夫婦、長幼、朋友についての“五倫”は、儒教の書物が中国からもたらされる以前から、日本人の民族的本能が認めていたものであって、それを確認したにすぎなかった」
「武士道におけるあらゆる知識は、人生における具体的な日々の行動と合致しなければならないものと考えられた。このソクラテス的教義は、中国の思想家・王陽明が最大の擁護者となり、彼は知識と行動を一致させると言う意味の“知行合一”なる言葉を生み出した」
その他、目から鱗の言葉が続々と出てきます。日本人として、日本民族として、堂々とした自信を回復する素晴らしい言葉に触れることができ、明日への勇気が湧いてきます。今まさに“深刻な時代”だからこそ、武士道精神に学ぶこともあるのではないでしょうか。
――いま、拠って立つべき“日本の精神”――
『 武 士 道 』 新渡戸稲造著
を推薦します。ぜひお読みください。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。 (私の父は、玉砕した)。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2012年6月15日 (金) 14時06分