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2012年8月 3日 (金)

国民に「信」を問うこと…これが総選挙の目的だ!

 336回目のブログです。

皇御国の        武士(もののふ)
いかなる事をか     勤むべし
ただ身に持てる     真心を
君と親とに      尽くすまで

    武士に二言は     無きものと
手に取る名槍     日本号
酔足固く       踏締めて
舞うか一節(ひとさし) 黒田節

 これは、ご存知の「黒田節」(♪酒は飲め飲め/飲むならば/日の本一の/この槍を…)の10番と12番の歌詞です。

 同じお酒を飲むならば、このように豪快に、気宇壮大に、誠実一筋にいきたいものですが、世の中はそれと真逆の、不誠実、ちまちま、公よりも私の現象で満ち溢れているように思えてなりません。

 京都祇園祭、大阪天神祭も終わり、関西は酷暑、熱暑で毎日ヘトヘト状態が続いていますが、節電が10%弱行きわたり、原子力発電も稼働したために、何とか停電は免れるのではないかと見通されています。

そんな時「脱原発・反原発」のデモが官邸前で頻繁に行われるようになりましたが“原発をどうするのか”についてのそもそもの哲学と冷静な議論が欠けているように思えてなりません。

 その最大の原因は、政治がぐちゃぐちゃになっていることだと考えますが、ここに気づくままを述べたいと思います。

原発問題

 福島原発事故が発生してからは、政治の方針としては、脱原発が何か前提のようになっている感があります。デモも「反原発」「脱原発」のみが花盛り(7/29・警視庁発表1万2500人なるも、主催者発表は何と20万人・東京新聞)

 たしかに1万2500人はそれなりの数字ですが、主宰者側の言う20万人は煽りに煽った嘘の数字(プロパガンダ)ですから、このデモは、真の反原発、脱原発の人々だけでなく、左翼リベラルイデオロギーやいわゆる市民運動家が大半だと言うことが出来るでしょう。

 マスコミも、脱原発を当然視するような報道が多く、原発推進の論者が排除されるなど、冷静な議論が遠ざけられています。

 先般、国会事故調査委員会が最終報告を提出しましたが、真の事故原因を検証しておらず、災害の対処については人災と断定しました。真の事故原因は勝俣社長時の蒸気凝縮系機能の除外であったと言われていますし、原発災害の責任は首相と原子力委員会にあります。

 しかしながら、未だ誰も責任をとらず、処罰もされていないことは、異常、異様と言わねばなりません。班目春樹原子力委員長は即時退任、菅総理大臣(当時)は議員辞職し、法廷あるいは国会特別委員会にて裁かれるべきであり、勝俣東電会長(当時)は腹を切るべきではないのでしょうか。

 本来はそうであるべきにもかかわらず、菅氏は、福島原発事故から国民を護ったのは自分であり救世主であるとの脳軟化症的錯覚に陥るとともに、反原発の市民運動先導者として大活躍している始末です。無責任、能天気、所詮は、市民運動家にすぎなかったアジテーター人間を総理に選んだ民主党議員やわたし達国民のいいかげんさと不明に問題があったと言うべきでしょう。

 わが国の基盤インフラである電力、その中心に位置する原子力発電のあり方については、興奮した感情論は排し、冷静な理性でもって判断を下すべきです。マスコミ(特にテレビ)はあまりにも煽りすぎであり、もっと国の将来に責任を感じ、真実の報道と冷静な議論の場の提供に努めなければなりません。

 反原発論者のなかには、原子爆弾=放射能被爆=恐怖=悪魔として認識する一方、原子力発電=放射能汚染=恐怖として、原子力発電=原子爆弾と連想する人がかなり存在していますが、これは間違いです。原爆と原発は全く異なります。さらに、この問題をイデオロギー闘争に利用、裏で扇動、暗躍している輩がいることにも目を向けなければなりません

 福島原発事故により一人でも死亡者がでたのかどうかの調査が必要ではないのか。事故が「人災」であったのであれば、優れた技術管理システム、高度な危機管理システムを確立すれば対処可能ではないのか。良い原発といわれる「トリウム熔融塩炉」の開発導入などなど、検討すべきことを総合的に検討して、結論を得ても遅くはないのではないでしょうか。わが国は技術立国です。技術の最先端を創造、応用、実用しなければならない存在だということをあらためて認識すべきです。

 それにしても、現内閣の原発稼働の進め方は、筋が悪と思います。わが国のエネルギーや原子力発電についての哲学を“国民”に真摯に披瀝するとともに、きちっと手順を踏んで推進すべきでしょう。

 自然エネルギーの固定価格買い取り制度

 太陽光(メガソーラー)であれば、42円/KW・時、20年間固定の買取がなされることになりましたが、20年間固定というのはあまりにも競争を無視した、社会主義思想ではないでしょうか。こんなことばかり進めて行けば、日本企業の力は弱まる一方です。とにかく筋が悪すぎると考えます。

 綱領なき民主党

 民主党から小沢一派が脱党し新政党「国民の生活が第一」を結成しました。反自民党で結集した民主党は基本的な問題点を抱え過ぎています。

  政党であるにもかかわらず、未だに「綱領」がない。
「マニフェスト」をすべて裏切った。
幹部の「言動」がバラバラ、180度異なる。
自己の「責任」は一切認めず、他政党・他組織の責任にする。

 野田首相は原発推進するも、鳩山・菅元首相は反原発でデモの先頭に立つ。大幹部が相反、これ、同じ政党なのでしょうか。綱領がない故か、こんな状態では政党とは言えず、全く理解に苦しみます。筋が悪ですね。根本から立て直すべきではないでしょうか。

 マニフェスト違反についてネットでの川柳の一部を紹介します。
絵に描いた 餅にもならぬ マニフェスト
気をつけろ うまい話と 民主党
謎の鳥 ハトではなくて サギだった
もう遅い 一度やらせて 致命傷
悪いのは 全部自民か 他人のせい
 
(うまい!…こんなことで拍手しては駄目なんですが…)

 戦闘意欲なき自民党

 これだけ政権与党の民主党がガタガタ、ヨタヨタしており、政権奪取の最大のチャンスにもかかわらず、消費税増税の汚れ役を姑息に逃れるための3党合意に喜んで応ずるなど、闘う姿勢を窺うことはできません。自民党は、いまや、鋭い鷹の目から、弱々しく物欲しげな鳩の目の持ち主に堕したのでしょうか。

 また、55年体制を謳歌した過去のおいしい体験が忘れられない古い体質の人が未だに跋扈、温存されているのは、まことに筋が悪といわねばなりません。

 …こうして見てくると、わが国の政治は完全に壊れてしまったと言っても過言ではなく、今こそ、政治は国民に「信」を問うべきではないでしょうか。今の政治はあまりにも筋が悪すぎます。国民に「信」を問うことは、民主主義の基本のはずです。

 すでに述べてきたように、政党政治がこれだけ壊れているのですから、野田総理大臣は、可及的速やかに、解散、総選挙の日程を明言し、あらたな政党政治の確立に力を注がれてはいかがでしょうか。それが、わが国とわが国民の幸せにつながることは必定なのですから。

 さいごに、今年は明治天皇崩御100年、わが国の最も誇るべき明治時代と明治大帝から学ぶべきものは限りなくありますが、ここで、国家指導の原点をお示しになった御製を掲げたいと思います。

目に見えぬ 神にむかひて恥ぢざるは 人の心の まことなりけり
(明治天皇・御製・明治40年)

 心して背筋を伸ばしたいものです。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

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コメント

自民党が法案成立と引き換えに「国民に信を問うこと」を要求するのは党利党略であるという報道は如何なものかと思います。 民主主義の根幹に関わる問題と考えます。 党の綱領のない民主党は、16兆の無駄遣いをあぶり出し、財政を立て直す、だから消費税は20年上げない(鳩山氏)4年はあげない(野田氏)と言って政権の座につきました。 マニフェストに書いてあることはやる、書いていないことはやらない、とも。 しかし、政権をとってから、これらの「約束」が悉く破られている今、「国民の信」を問うことは当たり前。 独裁政権ではないのですから。 

投稿: 淺沼健一 | 2012年8月10日 (金) 08時28分

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