「頽廃社会」…これは責任感なき政治が原因だ!
348回目のブログです。
“唐衣 着つつなれにし妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ”
在原業平(ありはらのなりひら・平安初期・伊勢物語)
何度も着て身体になじんだ美しい着物のように、慣れ親しんだ妻を都に置いたまま、遠くへ来てしまった旅路の、この何とも言えない侘しさが、いましみじみと感じられる…。
業平が、三河の国(愛知県)八橋で杜若(かきつばた)の花を見て、各句の頭に「か・き・つ・は・た」の五文字を読みこんだ折句として有名な和歌であり、教科書でもよく取り上げられています。
情趣がありますね、言葉が生きていますね。これは、単に平安時代だからとか、歌人だからというわけではなく、時代を担う上層階級の人たちが生々とした言葉を使って生きてきたことを示しています。
ひるがえって今日、わたし達は「言葉」「日本語」にあまりにも鈍感になって来ているのではないでしょうか。それは、国家リーダーの責任感なき発言を見れば一目瞭然、言葉に精神(=知性mind・心spirit・意志will)を窺うことが出来ないからです。
■ 無責任正党は自民党だ(菅前首相)
54基の原発のほとんどは自民党政権時代にできたもの。国の存続が危なくなるような事故を経験しながら、将来の原発政策を提示しないのなら、無責任政党=自民党だ。
(10月15日 菅直人・ブログより)
こういう人を反省のかけらもない人と言います。自民党を無責任政党と罵倒するのであれば、菅氏がリーダーである民主党は一層無責任政党と言えるのではないでしょうか。マニフェストひとつをとっても明々白々であるのは、今や国民の基本的認識となっていますが、そんなことをも無視して、厚顔にも、相手を誹謗するだけの前総理大臣とは、…悲しくなりますね。
自分が自衛隊の最高指揮官(TOP)であることさえ知らなかった菅氏が原発事故での対応に遅れをとったことなどの反省も一切なく、逆に得々と手柄話にするなど、無責任の極みというべきでしょう。まず、自らを省みて言を発すべきです。
■ 尖閣諸島国有化のわけ(前原国家戦略相)
前原氏は「石原さんが(都による購入を)言い出さなかったら、この問題は起きていない。海上保安庁も自衛隊も持たない都が<尖閣を守る>と気合だけで言ってもらっては困る」と批判。都が尖閣諸島を購入していれば「調査で何度も上陸するか工作物を作り(日中両国が)紛争になる」と述べ、首相が国有化を決めたことに理解を求めた。
(10月12日 毎日新聞一部抜粋)
又しても「他人が悪い」です。民主党やご自分は一切悪くなく、他人が悪いとは、ちょっと片腹痛いのではないでしょうか。思い出してみよ、尖閣海域で、中国船が海上保安庁船へ体当たりしてきたときの民主党政府の腰抜けの対処(たとえばビデオ公開せず)に、国民は大いなる批判と怒りを示したことを。さらに、東京都への尖閣寄付金が15億円も集まったことも。まずは、時の政権与党である民主党に責任があることを認識すべきでしょう。
■ 枝野蓮舫“仕分けコンビ”復興予算流用問題で
開き直り連発 自公に責任転嫁
東日本大震災の復興予算の「流用」問題を審議した18日の参院決算委員会で、かつての「仕分けコンビ」が開き直りとも取れる発言を連発した。
枝野氏は「被災地以外に予算が使われていることは、理由も原因も全然別の話だ」とまくし立てた。
蓮舫氏は、「もともと内閣が出した復興基本法案は対象を被災地に限定していたが、自民党、公明党からの建設的な意見も踏まえ、対象は日本全国になった」と、より露骨な形で自公両党に流用問題の責任を転嫁し、逆に政権与党としての責任を棚上しようとする姿勢が浮き彫りに。そこには、かつての「仕分けの女王」の面影はなかった。
(10月19日 産経新聞一部抜粋)
やってくれますね。言ってくれますね。所得税・住民税・法人税の増税によって、東日本大震災の復興に寄与しようとする国民の“和の心”(絆・共同体意識)を平気で踏みにじる民主党政府の、まるで日本人の心を有していないが如き歪な精神、不純な心に、すべての国民はあきれはてています。この段階にきても、未だ反省が一切ないとは……。
先日、10月14日、野田首相は海上自衛隊の観艦式で訓示を垂れました。それは、帝国海軍の士官学校である海軍兵学校における五つの訓戒「五省」でした。
一、至誠に悖(もと)る勿(な)かりしか
一、言行に恥づる勿かりしか
一、気力に缺(か)くる勿かりしか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
一、不精に亘(わた)る勿かりしか
これは、自衛隊に対してではなく、そのまま野田首相に向けられるべき戒めです。マニフェスト違反を犯して消費税増税を成立させたのですから、速やかに総選挙で信を問うべきなのに、ダラダラ、グズグズ引き伸ばすのは、至誠に悖り、言行に恥づるのではありませんか。いやはや……。
今の政府与党は、責任感がなく、その自覚さえ遠くに追いやり、常に他に責任転嫁を行っていますが、この姿は、まさしく中国や韓国や北朝鮮と同じように見えてなりません。日本人なら日本人らしく潔さを発揮すべきではないでしょうか。
組織のリーダーに求められる最も重要な資質は「危機感」と「責任感」を有することだと言われています。今の政治リーダーは、おそらくは多少の危機感は持っているでしょう(?)が、上述のように責任感には極めて乏しいものがあると言えましょう。
その結果、社会が無責任感覚の行き着くであろう“頽廃”現象があちこちに充満してきています。頽廃は腐敗とは異なり、その回復は容易ではありません。
【頽廃】道義がすたれ規範意識がなくなること
【腐敗】精神が堕落して生気がないこと
(新潮国語辞典・新潮社)
そういう意味で、わが国のリーダーには、国家のためにも、社会の為にも、危機感と責任感は自覚してほしいとねがうものです。
こんな混沌とした社会で、第3極を目指そうとしている日本維新の会の橋下代表(大阪市長)は、はたしてどのような人柄でしょうか。橋下氏の著書から引いてみます。
『なんで「国民のために、お国のために」なんてケツの穴がかゆくなるようなことばかりいうんだ!政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!』
(「まっとう勝負!」小学館より抜粋)
橋下氏は、国家・国民のためではなく、最高権力(すなわち総理の座)を握るのが目的であることを率直に述べています。そのためにはウソ、裏切り、何でもあり、が真骨頂、道理で、鷹の目の厳しさではなく酷薄無情なポピュリストであることだけは、わたし達も充分認識しておく必要があると思います。
それにしても、責任感なき政治はおさらばしたいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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