「有終の美」…これが野田最終内閣の役割だ!
346回目のブログです。
“心なき 身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ”
西行(平安末期~鎌倉初期・新古今和歌集)
ものの情趣を解さないわたしでさえ、この情景の趣きはしみじみと知ることができようものだ。鴫(しぎ・嘴や首が長い旅鳥)が飛び立ってゆく秋の沢の夕暮よ…。
西行の有名な和歌であり、三夕の歌のひとつに数えられていますが、あと二つは。
“見渡せば花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ”
藤原定家(小倉百人一首選者)
“寂しさは その色としもなかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ”
寂連(新古今和歌集選者のひとり)
3首の名歌、秋の夕暮れが、絵画的にも、心情的にも、その情趣をしみじみと感じさせてくれますが、この平成の御代においても、林、森、丘、山、あるいは沢、川、河、湖、海などどこにでも赴き、心静かに自然に耳を傾けじっと目を凝らせばその情緒に浸ることができるのではないでしょうか。
しかしながら、世の中、何か、がさつになって来ているようで、日々、ざわざわと喧騒に巻き込まれており、心の余裕を失いつつあるのではないかと思う今日このごろですが、こんな観点からわが国の政治を考えてみたいと思います。
先日の10月1日、野田改造内閣が発足しました。民主党政権になり鳩山氏、菅氏に次いで三人目の総理大臣、しかも野田氏が総理になってからまだ1年1ヶ月にもかかわらず、3度目の改造、もう、ばかばかしくて、あほらしくて、見る気も起きません。
それでも、この内閣人事を見れば、政治家は大臣病に取り憑かれていることがよくわかります。なにせ、民主党議員のなんと58人がこの3年間で大臣ですから、大臣の値打ちも落ちたものであり、大臣という極めて重要な地位を貶めた鳩山・菅・野田の各首相の責任は極めて大きいものがあります。
野田新内閣は、民主党に好意的なメディアでも「フェアウエル内閣(さよなら…)」「卒業記念…」「思い出づくり…」「たそがれ…」と評され、あげくのはては「在庫一掃内閣」と揶揄される始末です。
いわゆる適材適所とは程遠く、野田首相は、箔が付くであろう「大臣」という餞別(farewell presents)を与党民主党議員に見境もなく配ったことは明白です。
それにしても、もう、内閣の体をなしておりません。特にエネルギー問題の核心である原発について、原発推進派の田中真紀子文科相と原発ゼロ派の枝野・前原大臣の差異が著しく、閣内の意思がまとまらないのではないでしょうか。
また、10月19日発足した原子力規制委員会は、その委員長を、自民党などの野党の同意を得ずして「国会閉会中という禁じ手」を使って強引に民主党だけで決めました。これでは、原子力エネルギー問題が単なる政争の具にされ、本来、科学的に、経済的に、冷静に判断されるべきものが、そうならないのは火を見るよりも明らかです。
原子力規制委員会の田中委員長は「原発再稼働について、規制委員会は科学的判断のみを行い、再稼働の最終判断は政治の責任で行うべきである」との立場を主張しているのに対し、野田首相は「原子力規制委員会が主導的役割を果たすべきであり、政治は介入しない」と、再稼働の全責任を委員会に丸投げしています。
ことはわが国の極めて重要なエネルギー政策ですから、これは、誰が考えても、田中委員長の主張が正しく、科学的判断は委員会、それを踏まえて最終判断を首相(内閣)が行うは当然であり、これが本来の政治のはずです。
さらに10月9日から国際通貨基金(IMF)・世界銀行(WB)の総会が日本で開催されていることについて。188ヶ国の財務相・中央銀行総裁らが集まる大掛かりで重要な国際会議ですが、野田首相は、なんとその直前に、内閣改造の一環としてわが国の財務大臣を交代 (安住氏⇒城島氏)させたのです。
国際的にわが国の存在感を示す絶好のチャンスに新人の大臣ですからどうしようもありません。何のために国際会議開催を勝ち取ったのか理解に苦しみますし、国内政局に注力し、国際関係をおろそかにする、あまりにも国際感覚の無さを嘆かざるを得ません。このことについて先進国メディアから物笑い(Poor host-Japanと表現)になっているのも肯けます。
そのほか、喫緊(きっきん・差し迫って重要なこと)の課題としては、デフレ対策、尖閣・竹島・北方領土対策、中国対策など数多く存在しますが、マニフェストは一切実行せず、日本国の立場を弱体化させ、汚濁(おじょく・よごれにごること)にまみれた、幼稚な民主党内閣では、そんな難問を切り拓くことは出来ないのではないでしょうか。
そのためにも、政権交代、あるいは政界再編成を急がねばならず、早急に総選挙を行い、国民の意思を確認する必要があります。にもかかわらず、民主党政権は、いまだに臨時国会を開こうとさえしていないのです。国政の放棄、遅滞、先送りは国会議員の為すべきことではありません。恥を知れと言いたい。
マスコミでは、衆議院選においては、民主党は敗北するだろうと騒いでいますが、もしもそうであるとするならば、民主党は、ここで“有終の美”を飾るべきだと考えます。
それは、遅滞している法案と引き換えに衆議院の解散を速やかに行うこと。
民主党政治は、ほとんど全ての人が認めるように、夢と理想は一応高かったが、現実の政治においては「醜悪」な政策しか実行できませんでした。そうであるとするならば、最後は、国民に「美学」を示さねばならず、それは「きれいな引き際」を見せることにほかなりません。
民主党政治の有終の美は、一刻も早い総選挙を行うことではないでしょうか。
有終の美を飾りましょう。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント