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2012年11月16日 (金)

「国民」or「市民」…今、日本に求められているもの!

 351回目のブログです。

“足ることを 知る心こそ宝船 世をやすやすと 渡るなりけり”
脇坂義堂(江戸後期・心学者)

 満足ということを知ることは宝船のように尊く、この気持ちを持てばこそ、世の中を容易に渡ることができるのだ…。

 世の中がギスギスしてくると、不平不満ばかりを懐くようになりますが、今あるものを大切にし、それなりに満足し、さらに感謝の心を持つようにすれば、世の中を上手くわたっていけるのだという、脇坂義堂の和歌は考えさせるものがあります。

 たしかに、ひとりひとりが、変な高望みをせず、肩肘張ることなく、それなりの生活に感謝しつつ日を過ごせば、穏やかな月日を重ねていけるでしょうし、こういう心構えも大切なことと認識しなければなりません。

 しかしながら、他は他として、ひとり、自分個人として、心の平安を得ることは大切なことではありますが、外部の敵、獅子身中の虫が、この世の中、社会、わが国を崩しにかかっていると言われている時には、社会・国がまとまって平穏を維持できるような姿勢を持つことが、より一層大事なことと言えるかも知れません。

 そういう観点から、わたし達は、今、一個人として「国民」の立場にあるべきなのか「市民」のスタンスを取るべきかということを考えてみたいと思います。

 3年前、メディア、文化人、国民の圧倒的な支持のもと、鳴り物入りで政権獲得を果たした民主党が、外交破綻、政策破綻、統治能力欠如、責任感欠如など、まさかここまで無残な姿を露呈しようとは誰も想像すらしなかったのではないでしょうか。

 この根本原因は、党リーダー達の不実な言動はもちろんのことですが、民主党の大半がサヨクリベラル思想から脱却していないことにあります。まことに残念に思わざるを得ません。

たとえば、党中枢である菅直人前総理は学生時代から左翼運動に熱中、枝野幸男前官房長官は学生時代より核マル派と誼みを通じ、社会主義社会、共産主義社会を目指してきました。したがって、かれらは、非効率であっても産業国有化、不規律であっても福祉バラマキの政策を推進しましたが、これらはすべてイデオロギーに基づいたものといわねばなりません。

 社会主義・共産主義を標ぼう、志向してきたわが国の左翼(サヨク)は、ソビエト連邦が崩壊し、中国が国家市場経済へ移行したために、それまでの看板をそのままにしていたのでは国民の支持を得にくく、表向きの看板を書き換ることにしました。

それが、「市民(市民派)と「環境(環境派)と「平和(平和派)です。

 もちろん、市民派にも環境派にも平和派にも、純粋な人々はいますが、それらの組織に左翼イデオロギーの持ち主が巧妙に多数潜り込んでいることは知っておかねばなりません。彼らは、たとえ実社会で、共産主義・社会主義が不合理で非人間的で非現実的なものだと理解しても、若いころ学んだ尾てい骨が依然として残っており、それを払拭することは容易ではないのです。

 近年、新聞やテレビで、しばしば「市民運動」や「市民集会」が取り上げられますが、これらはどうして「国民運動」とか「国民集会」と言わないのでしょうか。市民と国民の意味を辞書から引いてみましょう。

  【国民】国家を構成し、その国の国籍を有する者

【市民】市の住民
    政治的共同体の構成員で主権を持つ者

 市民を使った言葉としては「市民運動」「市民集会」「市民主権」「地球市民」および「市民意識」などがあります。現在わが国で使われている場面から判断すれば、「市民」は、「国家」「祖国」を意識しない、あるいは持たない、「非国家」「反国家」の考えであることに気づきます。

 要するに、あえて「市民」を強調する背景には、市民こそ主権を有し、権利を主張すればよく、それを押さえようとする国家は悪であり、不要なものという考えが根底にあるのではないでしょうか。

 ひとつの分かりやすい例として菅前首相を挙げましょう。学生時代に「市民運動」にのめり込んでいた菅氏は「国旗国歌法」に猛反対、市民の立場で行政をコントロールすると宣言、さらには、都庁・県庁・市役所を「東京都市民政府」「武蔵野市市民政府」などに改変し、実質的に国家を解体することを目指しているのです。

 これを見て皆さん何を感じられますか。市民主義者(=非国家・反国家主義者)の菅氏が昨年3月の原発災害にとったビヘイビアを見れば、彼が史上最低の総理大臣であったと内外で評されたことに納得できます。国家と言う大組織を無視して法に基づかない私的組織を乱立、米軍の緊急支援策を拒否するなど、市民派ならではの、結果的には大罪ともいうべきものを犯したからです。

 これは「国家・国民」の意識がなく「市民主義」というサヨクイデオロギーの持ち主である菅氏を「国家の総理大臣」に選ぶべきではなかったのに、選んでしまった民主党の不明、すなわちわたし達国民の不明を意味し、それが国家の悲劇にもつながったことを厳しく認識しなければなりません。

 それにしても「市民派」と言う言葉は薄汚れたイメージの言葉になってしまいました。本来は、純粋な一般市民の諸活動であったのですが、いつのまにかイデオロギーの色が着いてしまい、胡散臭い存在に成り下がったと言っても、決して言い過ぎではありません。

 今、わが国は、尖閣諸島・沖縄、竹島、千島・樺太を中華人民共和国、大韓民国、ロシアから略取されようとしている瀬戸際ですが、それを守るには「国民」の結束した意志が必要です。国境を理解するのは国民であって市民ではありません。市民意識は町内会程度止まりにして、今は国民意識が大事です。

 経済も不振、政治も混迷ですが、まず、国家あっての再建、復活、成長です。日本がバラバラになっては成るべきものも成りません。

 たとえば、昨今話題の第3極政治勢力のうち、みんなの党や日本維新の会などが「地方主権」などという寝ぼけた言葉を乱発しています。地方“主権”は政治用語上ありえないのです。本来「主権」とは「国家の統治権」を意味する語であることを知らない政治家は政治のイロハのイから勉強し直すべきでしょう。日本国を解体するのでなければ「地方主権」と言う言葉を使うべきではありません。

 こんな言葉を使用しているようでは、尖閣も竹島も断固として守る意志が無いように思えてなりません。「市民」ではなく「国民」として絶対に守るという意思もないからでしょうか、道理で、橋下徹代表は共同管理案を提議しました。橋下氏が日本国民ならば、地方主権と言う言葉を廃棄し地方分権と表現すべきです。

 「国民」と「市民」…これは言葉あそびではありません。

 現在、わたし達を取り巻くいろいろな局面では、市民感覚のステージもありますが、日本の国を考える場合は、国民感覚をベースにしなければならないと思います。

「市民」(市民派・市民主義)と言う言葉の底部に潜むたくらみには十分注意を払いましょう。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

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