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2012年11月 2日 (金)

「正直な日本人」…幕末~明治の面影を探ろう!

 349回目のブログです。

“過ぎ去れば 昨日の遠し今日もまた  夢の話と なりぬべきかな”
与謝野晶子(歌人・明治11~昭和17

 過ぎ去ってみれば、昨日も遠いことのように見え、今日もまた遠い夢の話となってしまうのでしょうか…。

 つい昨日や今日のことでも、遠い彼方の夢物語になるのですから、時代の大きな変革を経験すれば、ある単純な風景を眺めても、歌人や俳人は、深い感懐を覚えるのでしょう。

 “降る雪や明治は 遠くなりにけり”(中村草田男・昭和6年)

 先日、NHKBSプレミアムの番組で『にっぽん微笑み国の物語』“海の向こうに遺された江戸”“時代を江戸に巻き戻せば”の二本を見て深い感銘を受けました。(NHKもこんな良質な番組ならば大歓迎ですが、偏向番組だけはいただけません)

 ひとりは、英国の女性旅行家イザベラバード。彼女が明治11年(1878)来日し、東北・北海道を旅行した映像と「日本奥地紀行」に書かれた印象を紹介しています。

 幕末から明治の初期にかけては、江戸時代の雰囲気がまだまだ色濃く残されていました。

来日の最初は、日本人を「小さく 醜く 親切そうな縮こまった がに股で 猫背で 胸板の薄い 貧相な人々…」とみていたのですが、「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」「この“日出づる国”ほど安らぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国はどこにもほかにはありはしないのだ」というふうに、驚きと賞賛に変わっていったのです。

 もうひとりは、米国の動物学者エドワード・モース(18381925)です。モースは、明治10年(1877)来日、東京大学教授、大森貝塚の発見者としても有名。動物学者のかたわら、日本人のあらゆる生活民具の収集に尽力しました。それは、日本人3600万人は藝術的美意識が極めて高い民族ではあるけれども「この国のあらゆるものは、日ならずして消え失せてしまうだろう」とみなしたからに他ならなかったからです。

 モースは、大正6年(1917) 『日本その日その日』(Japan Day by Dayを著しました。それらの中から、番組の冒頭では、江戸の雰囲気を残している明治初期の日本人の特徴を次のようにまとめています。

 日本人の特徴
礼儀正しさ
自然に対する愛
他人への思いやり

美徳や品性を日本人は生まれながらに持っている。
    これは、恵まれた階層の人々だけでなく、
    最も貧しい人々も持っている特質である。

 この地球上で日本人ほど自然と生きものを愛する国民はいない。

 日本は「微笑(ほゝえみ)の国」である。

 私たちの先祖が、それも、つい少し前の祖先が、このような優れた徳性、特質をもっていたことを外国人から指摘されて初めて気づくのですが、モースの日本観察を一部引用してみましょう。

 汽車に間に合わせるためには、大いに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前に行く人力車のこしきにぶつかった。車夫たちはお互いに邪魔したことを微笑で詫び合っただけで走り続けた。私は即刻この行為と、我国でこのような場合に必ず起こる罵詈雑言とを比較した。

何度となく人力車に乗っている間に、私は車夫が如何に注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けるかに気がついた。また今迄の所、動物に対して癇癪を起したり、虐待したりするのは見たことがない。口小言を言う大人もいない。

 人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。

 日本人が正直であることの最もよい実証は、三千万人の国民の住家に錠も鍵もかんぬきも戸鈕も――いや、錠をかけるべき戸すらも無いことである。

 いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。赤ん坊時代にはしょっ中、お母さんなり他の人々なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、五月蝿く愚図愚図いわれることもない。日本の子供が受ける恩恵と特典とから考えると、彼等は如何にも甘やかされて増長してしまいそうであるが、而も世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。・・・・・・

 田舎の村と都会とを問わず、富んだ家も貧しい家も、決して台所の屑物や灰やガラクタ等でみっともなくされていないことを思うと、うそみたいである。

 善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っている。

 衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である

 鋭く暖かい指摘のオンパレード、まさに目から鱗ですが、100数十年まえのわが国がこのような国民であったことに半信半疑、驚きを隠せないとともに、ある種の誇りにも思えます。

 たしかに、名著として高い評価を受けている渡辺京二逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー1900円)を読めば、幕末から維新にかけての幾多の外国人旅行者が捉えた日本文明の特徴が、心からの愛情を持って書かれていることに気づきます。

 しかし、戦後世代に属するわたし達は、いわゆる戦後教育(…現在も全く変わらず)において、わが国は権力者が人民を圧迫した汚濁の歴史であり、江戸時代は暗黒の封建社会、明治から太平洋戦争までは悪辣な帝国主義、と教えられましたから、モースが描く明治初期の穏やかな国民生活を読んで戸惑いを覚えるのも事実です。

 どうして、わたし達は、日本人や日本社会のことを悪しざまに言うことになってしまったのでしょうか。それは、戦後、日本人の伝統的心情の崩壊を目論む占領政策に迎合した日教組教育によるところが極めて大きと考えます。

 その影響もあり、現在の社会は、孤立した自己中心主義や弱き者への陰湿ないじめ問題に象徴されるように、モースらが描いた江戸末期~明治の日本社会とは真逆の「礼儀正しさ・自然に対する愛・他人への思いやり」を欠いたギスギスしたものになってしまったように思えてなりません。

 今、わが国は、相変わらずの経済不振、でたらめな混迷政治、変質した不安社会に喘いでいます。臨時国会も始まり、いずれにしても近いうちには総選挙になるでしょうから、各党のリーダーは、幕末から明治期の日本社会の良き面影に心をかよわせながら、日本国家、日本国民、日本社会の優れた特徴を引き出す政策をぜひ掲げて欲しいと祈るばかりです。

 渡辺京二さんの「逝きし世の面影」や幕末明治の外国旅行者の著作を読まれることをお薦めします。

 日本の特質は何かについて、静かに思いを廻らしてみようではありませんか。

 私は「凛とした精神を持つ“微笑(ほゝえみ)の国”」を理想としますが…。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

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