「飛鳥路」…晩秋に日本の心の故郷を訪ねる!
352回目のブログです。
“飛ぶ鳥の 明日香の里を置きていなば 君があたりは 見えずかもあらむ”
(持統天皇・万葉集)
(飛鳥より藤原へうつり給へる時の御製)
明日香の里を後にして立ち去ったなら、あなたのいる辺りは見えなくなってしまうだろうか…。
今日、11月23日は勤労感謝の日、国民の祝日です。勤労感謝の日はアメリカGHQの占領政策により昭和23年に制定されたものですが、それまでは新嘗祭(にいなめさい)と称され、古の飛鳥時代から、神々に五穀の収穫を祝ってきた日本の伝統行事です。
(私見ですが、GHQの占領政策は全面的に見直し、祝日名も、勤労感謝の日⇒新嘗祭or豊穣祭にすべきだと考えます。…もう、アメリカの占領政策からすべて脱却すべき!)
「飛鳥」…何と魅惑的なことばでしょうか。先日、気の置けない友人7人と、歴史のロマン、心のやすらぎを求め、併せて健康ウォーキングを兼ね、古都奈良で、悠久の歴史と自然に触れることのできる、日本の心の故郷(ふるさと)“飛鳥”(あすか)を散策しました。
前日までの雨は止み、わずかの曇り空、絶好の日和となり、メンバー全員、スタート前から、これから訪れる飛鳥路の千数百年前の天空に思いを馳せる喜びに満ち溢れていました。
コースは、近鉄飛鳥駅集合、吉備姫王墓、猿石、鬼の俎板(まないた)と鬼の雪隠(せっちん)、亀石、石舞台古墳、犬養万葉祈念館、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)跡、亀形石造物、酒舟石(さかふねいし)、飛鳥寺、蘇我入鹿の首塚、飛鳥水落遺跡、近鉄橿原神宮前駅解散。
○飛鳥駅から10数分くらいの欽明天皇陵に隣接するところにある、直径8mほどのこじんまりした円墳が「吉備姫王墓」(きびつひめおおきみのはか)。吉備姫王は欽明天皇(29代)の孫にあたり、皇極・孝徳天皇の母、天智・天武天皇の祖母です。
この柵内に「猿石」が4体安置されており、その造形はなかなか素朴、ユーモラスであり、古代人の豊かな感性を偲ばせてくれます。
○さらに10数分のところの高台に「鬼の俎板(まないた)」、麓に「鬼の雪隠(せっちん)」と称される、元はひとつの古墳の大きな石室であったものが、何かの拍子に分離したものであり、なかなか面白い形となっています。
○少し歩くと、重さ10トンを超える巨大な花崗岩に行き当たります。良く見ると、亀の顔が彫られた「亀石」であり、素朴ななかにも自然とともに生きてきた古代人の息吹を感ずることができ、ホッとした気分にさせてくれます。
それにしても、古代の人々が石や岩を巧みに彫刻し、自然に触れ、自然を楽しみ、自然と融合、自然に感謝する姿勢に、現代人である私たちも、今、学ぶ必要があるように感じました。
聖徳太子の誕生地に建つ橘寺(たちばなでら)も訪ねたいのですが、時間の都合でその横を通るだけでした。次の目標へと歩きましたが、途中、まるで古代建築の現代版を思わせる建物に出会いました。その看板には、南都銀行・明日香支店とあり、銀行であって銀行らしくない、飛鳥に溶け込んだ見事な雰囲気を醸し出しています。
○「石舞台古墳」
この古墳は7世紀初めに築造された横穴式石室を持つ方形墳、長さ7.8m、幅3.4m、高さ4.8m、何と石の総重量は2,300トンという大規模なものであり、わたしは石室の中に入り体感しましたが、見事なものです。埋葬者は蘇我馬子ではないかと言われています。
○次に万葉学者の犬養孝先生を記念して建てられた「犬養万葉記念館」を訪れました。犬養先生は現地主義を実践し、万葉集の和歌が詠まれた全国各地のすべてを訪れ、その場で古代を体感し研究を重ねた万葉集一筋の学者です。さらに、学生達に古典の教養を身につかせようと度々の万葉旅行を企画するなど、その幅広い学識と豊かなる人間性はまさに碩学と呼ぶに相応しい存在であり、世界に誇る万葉集のみのこの記念館は素晴らしいものです。
○「飛鳥板蓋宮跡」(あすかいたぶきのみやあと)
大化の改新の幕開けの舞台となった、日本歴史に有名な場所です。中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、645年(皇極天皇4年)、この宮で儀式が行われる際を狙い蘇我入鹿(そがのいるか)を倒しました。
この宮は、舒明天皇の「飛鳥岡本宮」、皇極天皇の「飛鳥板蓋宮」、斉明天皇・天智天皇の「後飛鳥岡本宮」、天武天皇の「飛鳥浄御原宮」(あすかきよみはらのみや)の宮殿遺跡が重なっていると言われていますから、何か歴史の重みをひしひしと感じてしまいます。
○「亀形石造物」
謎の石造物、1999年発見。湧水を小判形の凹石にため、さらに亀形の凹石に流し、そこで水を留め、天皇などの高貴な人が、その水を使い潔斎(神事などの前に沐浴して心身を清めること)したものだろうと推定されています。
○亀形石造物のうえの小高い山にあるのが「酒舟石」です。上面に皿状のくぼみがいくつかあり、一説には笹舟を流し、どのくぼみに入るかによって吉兆を占ったとも言われているそうです。それにしても、素朴で、簡明な、面白い占いですね。
○「飛鳥寺」「飛鳥大仏」
蘇我氏の氏寺。第33代推古天皇4年(596年)に創建された日本最初の寺。本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は、日本最古の仏像であり、銅像、重要文化財。火災に会い全身罹災するも、飛鳥彫刻の雰囲気は十分残されています。
わたしは、108つ以上もある日頃の煩悩を払うべく、飛鳥寺の鐘をつきました。鐘の音色は清澄そのものでしたが、はたして煩悩が拭われたかどうか…。
○飛鳥寺のすぐそばに、五輪塔がありますが、これは「蘇我入鹿首塚」と伝わっているもの。これを見て感じたことは、わが国が、大陸や半島と異なり、敵としてたとえ弑したりしても、懇ろに弔う習俗、相手にそれなりの敬意を払う心を有していることは、日本民族の気高い精神と考えてもいいのではないかとの思いを新たにしたことです。
○「飛鳥水落遺跡」
中大兄皇子(後の天智天皇)がわが国で初めて造らせた水時計の跡地です。1階には中国の技術を導入した水時計、2階には時刻を告げる鐘や天文観測の装置がありましたが、もちろん現在は遺跡のみです。
今、子供の理科離れが叫ばれていますが、現在のわが国の技術で、宮大工なども含めて、往時のままの水時計を復活させ、子供たちに古代の素晴らしき技術と芸術に関心を持たせることによって、理科離れ、技術離れを防ぐことを考えてもいいのではないかとの感想を持ちました。
国家財政も、バラマキではなく、増税分を震災地以外に使うのではなく、このような将来を見据えたことに使うべきだと考えます。
次に、飛鳥埋蔵文化財展示室を訪ねましたが、その受付案内役の女性に、前々から疑問に思っていた「飛鳥」と「明日香」の違いを聞きました。
答えは、昭和31年(1956)、阪合村、高市村、飛鳥村の3村が合併した際、村名をどうするかでなかなかまとまらず、万葉学者の犬養孝博士らに意見を仰いだところ、万葉集の和歌には「飛鳥」と「アスカ」の二つの表記があり「明日香」27首、「飛鳥」9首である故、「明日香村」にしたら良いだろうとのことで、各村民がみんな納得したそうです。
このブログの冒頭にかかげた万葉集の和歌を見ても、飛鳥、飛ぶ鳥が明日香(アスカ)の枕詞になっていることがわかります。
何でも、分からないことは質問してみることですね。“聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”という格言もありますから。
飛鳥路の散策、素晴らしかったのは事実ですが、高松塚古墳、天武・持統天皇陵、橘寺、甘樫丘、藤原鎌足誕生地などなど、まだまだ訪ねるべきところはいくらでもあり、もう2回くらいは訪れたいと思います。
さいごは、例によって、近鉄橿原神宮前駅の近くでビールをゴクリ、ほどよい飛鳥路散策の疲れを癒しました。
みなさんにも歴史の散策をお薦めします。
次回は
時事エッセー
です。
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