歴史をもてあそぶなかれ!
355回目のブログです。
“もののふの 矢並つくろふ籠手のうへに 霰たばしる 那須の篠原”
(源実朝・鎌倉幕府第三代征夷大将軍)
武士(もののふ)が矢並を整える籠手(こて)の上に、霰(あられ)が激しく降って飛び散っている那須の広大な篠原(しのはら)であることよ…
もう師走の半ば、先日より急に寒くなり、時には2月中旬くらいの寒さとのこと…地球温暖化なんて本当かなと思えるほどですが、地球は寒冷化しているとの有力な学説もあり、利権やイデオロギーを排除して、地球がどちらの方向に向かっているのか、純粋に科学的に議論してほしいものです。
こんな季節のことを考えながらも時はあっという間に過ぎ、あさって、12月16日は衆議院議員選挙、いわゆる総選挙の投票日となりました。今度はしっかりとした内閣で、国の正しい舵取りをして欲しいと、これは願望というよりも切望に近い心境です。
選挙でもっとも大切なことは、国民の負託に応えるにふさわしい政治家を選ぶことであり、その根本は、先週のブログでも書きましたが「国家基本問題」をどう捉えているのかということであり、分かりやすく言えば、明確な歴史観と国家観が問われていると思います。
わが国の歴史は、二千数百年の滔々とした流れを有し、その流れは清流の時もあれば濁流の時もありました。それは、山あり谷あり、まさしく栄光の時代もあり悲劇の時代もあったのです。
その流れの行き着く今日、わたし達は、栄光と悲劇のわが歴史をどのように見ればいいのか…わたしは次のように考えます。
「栄光」の歴史には誇りを、「悲劇」の歴史には同情を
誇りと同情…この姿勢を持つことが、日本人として、人間として、最も大切ではないでしょうか。これは、真に、歴史に共感することを意味しており、日本文化や日本文明の余沢にあずかっている現代日本人としての常識と言わねばなりません。
ところが、歴史の認識に問題があるような事例が、近年多く発生していることに注目する必要があります。
たとえば、一部を除いた中高の歴史教科書では、鎌倉幕府の成立は1185年と教えており、わたし達が教わった「いい国つくろう鎌倉幕府」の1192年ではないというのです。
もちろん、鎌倉幕府の成立をいつと見るかは諸説があるようです。1185年は、源氏が「壇ノ浦の戦い」で平氏を滅ぼした年、源頼朝の命を受けた義経が平家を討った後に、朝廷に密着しすぎたため頼朝から追われる羽目になった年、さらに朝廷が源頼朝に対し諸国への守護・地頭の設置・任免を許可(文治の勅許)した年でもあります。この年はまだまだ内乱の続く不安定な時代です。
それに比し、建久3年(1192年)は、源頼朝が天皇から正式に「征夷大将軍」に任命された年であり、これをもって、頼朝が幕府を開いたと言うことが出来ます。
そもそも、幕府とは天幕を張った役所という意味であり、皇室に代わって、出先の将軍が指揮を執る陣地のことを指します。それゆえに、単に政治勢力が大きいというだけでは幕府を意味せず、天皇から、征夷大将軍に任ぜられて初めて幕府となるのです。
これが日本の国柄であり、その流れ、その仕組みは現在も脈々と受け継がれています。たとえば、今度の総選挙で総理大臣が選ばれますが、新しい内閣総理大臣は、衆参両院議長の奏上、内閣総理大臣の裁可仰ぎを経、天皇陛下による任命(御名御璽)をもって晴れて新総理となるのです。
したがって、1192年が鎌倉幕府成立の年になることはあきらかではないでしょうか。源頼朝政権の発足は征夷大将軍の任命を受けて初めて成り立つことを忘れるべきではありません。
日本文明、日本文化、日本の権威の中心は天皇にあることは世界の常識となっていますが、これを理解しない無知で偏った歴史家や教育者がわが国にかなり存在しているのは、まことに恥ずかしい事と言わねばなりません。
来年は皇紀2673年。この輝かしき日本の歴史と文化と伝統こそがわが国の誇るべき宝、至宝ともいうべきものではないでしょうか。にもかかわらず、歴史教科書で、あえて征夷大将軍と言う言葉を使わず、わが国の歴史と文化の中心である皇室の権威を貶めようとする振舞は、歴史を冒涜し、わが民族を弱体化させようとするとんでもない行為であると思います。
これは、ひとつ1192年の例だけではありません。
他には、古代日本のことを、従来は「大和王朝」と言っていましたが、近年は「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」と言うようになっていることです。
どうして大和王朝と言わないのでしょうか。いろいろ理屈はあるとは思いますが、彼らは歴史を、悠久の物語として捉えるのではなく、唯物として、権力として、支配・被支配の関係としてのみ捉えようとする乾いた心のサヨク史観にかなり影響されているように思えます。
古代は、激烈な権力争いのなかで時代が進展していったことは事実ですが、そこには、民族の美しい物語、悲しい物語、人間の葛藤、喜怒哀楽が紡がれて、歴史が織り込まれていきました。であるならば、歴史を客観的否定的に捉えるのではなく、共感をもって接するとすれば「ヤマト王権」よりも「大和王朝」の呼称のほうが妥当だと考えます。
「ヤマト王権」派は、古代日本を単なる権力争奪としてのみ捉えがちですが、日本国家として真の統一を果すことが民族の悲願であり、その営為がわが国の歩んできた歴史と見るべきです…このように見る方が心豊かになるのではないでしょうか。
そうであるとすれば、私たちは“「栄光」の歴史には誇りを「悲劇」の歴史には同情を”の気高くも暖かい民族精神を持ち続けるように努めなければなりません。
ところで、最近の政治家の言動には品位も躍動感も低下し、民族精神の劣化を感じさせる事例が目立ちます。それは、言葉遣いや事実認識に細心の注意を払わねばならない歴史学者や教育者でさえもが1185年とかヤマト王権とか、方向性を失った言動をしているのですから、当然の帰結かなとため息がでるばかりです。
それはそうとして、教育の正常化のためにも、良識に基づいた歴史教科書の普及を図らなければなりません。
私たちは、お互いに日本人です。心豊かな世の中にしていくための努力を少しでも重ねようではありませんか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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