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2012年12月28日 (金)

「靖国の法則」…またも証明、これを見よ!

 357回目のブログです。

Roses are red,    (ばらは あかい)
Violets are blue,
(すみれは あおい)
Sugar is sweet,
  (おさとうは あまい)
And so are you.
” (あなたも すてき)
       <マザーグースより>

 この詩は愛の詩として有名。映画や歌では替え歌が数多く作られており、たとえば、ビートルズは“The sun is up, The sky is blue. It's beautiful and so are you.(Dear Prudence」ジョン・レノン)と歌っています。

 Roses are red…事実を簡明に伝えるこの表現は伝承童謡の極致というべきものであり、わたし達も素直に耳を傾けることができ、ある種の心のやすらぎを覚えます。マザーグースの唄が人口に膾炙(かいしゃ人々の評判になって知れ渡ること)するのも充分うなずけるものです。

 ひるがえって、わが国の政治を見てみますと、上にあげたマザーグースの詩のような素直で簡明な姿勢からは残念ながらほど遠いと言わざるを得ません。近年の自民党も大いに問題でしたが、民主党の姿勢の傲慢さと幼さは見るも無残な結果となり、このたびの総選挙で大惨敗と言う結末を迎えることになりました。

 民主党の最大の弱点は、幹部の誰一人として、一度たりとも、自分たちのマニフェスト違背、失政、組織分裂に対して、国民に率直に詫びなかったことです。この極めて傲慢で鈍感な姿勢に国民は「嫌悪感」を催し、NOの刃をつきつけたものと考えています。政策の良し悪しではなく、体質に対する嫌悪を覚えたものであり、それだけに強烈に厳しいものになったのではないでしょうか。

 彼等は、どうしてもう少し素直にならなかったのか、全く理解に苦しみます。理屈はどうであれ、お国のために命を捧げた方々をお祀りしている靖国神社に心静かに鎮魂の祈りを捧げようとする姿勢を一顧だにしないのですから、国民に頭を垂れることなんてするわけがないのでしょう。基本的に国政を預かる政治家としての人間性を少しく欠いていると言っても言い過ぎではないと思います。

 さて、つい先日、野田首相は482日間の政権に幕を閉じました。ここ数年、総理大臣がころころ変わり、安倍、福田、麻生、鳩山、菅氏につづいて野田内閣も1年前後という短命に終わってしまいました。

なぜ短命なのでしょうか。それは、彼らが「靖国の法則」を知らないからです。もし知っていたとしても、近隣諸国からの雑音に耳を傾けるのではなく、英霊に心の誠を捧げるという胆力・勇気がなかったからに他なりません。

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【靖国の法則】
  1.靖国神社に参拝した首相は長期政権を担う。
  2.靖国神社に参拝しない首相は短期政権に終わる。
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 この「靖国の法則」は、わたしが4年前の当ブログで示したものです。初めて読まれる方は驚かれるかもしれませんが、この法則が本当かどうか、数字をじっくりごらんください。

 「靖国神社に参拝した首相」
吉田・岸・池田・佐藤・田中・三木・福田()・大平・鈴木・
中曽根・橋本・小泉

 「靖国神社に参拝しなかった首相」

   芦田・鳩山()・石橋・竹下・宇野・海部・宮沢・細川・羽田・
村山・小渕・森・安倍・福田()・麻生・鳩山()・菅・野田

 「戦後歴代全総理の在任期間」
                            (平均日数) (平均年月数)
      
靖国神社 参拝者12人  1392日  3年9ヶ月
    〃  非参拝者19人   400日  1年1ヶ月

 「中曽根総理以後の在任期間」
                (平均日数) (平均年月数)
   靖国神社 参拝者 3人  1572日  4年3ヶ月
    〃  非参拝者15人   419日  1年2ヶ月

 数字は厳しい事実を証明しており、今回の野田退陣でまたも証明されました。中曽根総理以後を見れば、参拝者は4年3ヶ月、非参拝者は1年2ヶ月、驚くなかれ、4倍近い差異があるのです。中曽根総理以後参拝したのは橋本総理と小泉総理の3人のみですが、彼ら3人はそれぞれ4年11ヶ月、2年7ヶ月、5年5ヵ月の長期政権となっていることをわたし達は厳しく認識しなければなりません。

 マスメディアは、しばしば、総理大臣が1年でコロコロ変わる政治を非難、攻撃しますが、そうであるならば、なぜ全てのマスメディアは総理の靖国参拝を促さないのでしょうか。

総理が靖国に参拝すれば、長期政権、本格政権になる可能性が大ですから、彼らマスメディアは首尾一貫した主張をすべきです。

 それでは、なぜ、日本国総理大臣は靖国神社にお参りしなければならないのかを考えてみましょう。

 総理大臣はわが国のリーダーとして、日本の歴史を創る大事(これが“政治”というもの)に携わる立場です。そうであれば、「日本国」の歴史とそれに殉じた人々、その魂(これを“英霊”という)に真摯に向き合わなければなりません。その場が靖国神社と言う厳かな存在なのです。

 長期政権か短期政権かの要因は、複雑な要素がからみあったものかもしれませんが、総理の「国家を背負う」という覚悟を示すことも重要な要素ではないでしょうか。それは、わが国の歴史への共感であり、先人の苦心への敬意を表明することであり、つまりは靖国へお参りすることを意味します。

 野田氏は、総理大臣として一度も“靖国”に参拝しませんでした。静かに頭を垂れることをしなかったのです。これに対して、靖国の魂は、天上において、あるいは地の底において、悲しみをたたえつつ、つとめて冷静に見守っていましたが、ことここに至り、短期政権として幕を降ろさせたのではないでしょうか。まさしく“怨霊”として現世に無言の鉄槌を下されたものと感得しなければなりません。

 政治は、広大な天地(あめつち)のなかで、そして悠久の歴史の流れの中で行われる“厳かなまつりごと”と言われているわけですから、靖国の魂を鎮めようとする厳粛な精神を心の奥底に懐くことは政治家としての基本姿勢であることは間違いのないことです。

 このたび、新たな総理大臣に親任(天皇陛下より直接任命されること)された安倍晋三氏は、前回の総理の時は、中国、韓国へ膝を屈し、靖国参拝をしなかったために、わずか366日の短命政権で終わりました。

ニュースによれば、またも中国へ配慮し、膝を屈し、春の例大祭での参拝を避けようかどうかとふらふらしていると伝えています。

 まさか今回は、中国の圧力に再び膝を屈するとはとうてい思えないのですが、予断は許しません。安倍新総理には、自らの理想を実現するためにも、ぜひ長期政権・本格政権を目指し、勇気を奮って靖国神社を参拝(たとえば4/2123春の例大祭)されることを望みます。

 安倍新総理には「総理大臣が靖国を参拝すれば長期政権の道につながる」という「明確な事実」(=真実)を認識し、国家国民を思う力強い政治を行うためにも、内外の雑音に耳をかすことなく、粛々と参拝されるべきではないでしょうか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 年の瀬も押しつまりました。ことし1年、当ブログをお読みいただき感謝申し上げます。来年こそ景気が上向き、すべてに明るい展望が開けるよう期待したいものです。

 どうぞ、佳き新年をお迎えください。

次回も
時事エッセー
です

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コメント

外国からの圧力に屈しないような、強い志を持つ総理が長く続くように思います。

安倍氏が今回も参拝するかしないかで、足踏みし、カツカレーなどを食べて、体調を崩されないことを願います。日本国の総理大臣であるからには、自己管理がきちっとできる強い意志がなければなりません。
「日本をとりもどす」を実現するために。

投稿: 弱志者 | 2013年1月21日 (月) 20時22分

日本は、天皇を中心とする神の国です。

日本人には日本語があり、日本語には階称 (言葉づかい) がある。
「上とみるか、下とみるか」の判断により序列関係 (義理) を作る。
義理が廃ればこの世は闇と考えられている。

日本人は、礼儀正しい。
日本人の礼儀は、序列作法である。
序列なきところには、礼儀なし。

日本人の社会は、序列社会である。
社会の構成員は、神々と下々に分かれている。
天皇は、序列最高位の人である。

天皇の御前では、全ての国民は「わし」でもなく、「わたし」でもなく、「わたくし」である。
価値観を揃えることで、日本人は一体感を得ている。安心感を得ている。
日本語の無い社会では日本人は価値観に迷いを生じ、心身ともに疲れ果てる。

序列社会では、序列判断とその作法により、人を遇する。
礼儀作法により、人々は向上心を掻き立てられている。
学校でも生徒に「身を立て、名をあげ、やよ励め」と歌わせている。

日本人の社会は、向上心により活気を得ている。
その原動力は、序列競争である。そのための試験地獄もある。
序列人間を作るのが、日本人教育の目的である。

教科の内容は、雑学ていどのものでよい。
日本人の学校は、格差を検出するための道具立てである。
だから、日本人は、序列人間となるために日本の学校で修業しなくてはならない。
四年間、大学で遊ぶことも、また序列作りに必要なことである。
生涯の協力も序列協力でなされるからである。

意思薄弱と他力本願を伴う幼児症に罹っていて、序列の外には出られない。
英国も日本も島国であるが、島国根性になるのは日本人だけである。

移民をすれば、序列社会を出なければならない。
外国では、序列判断も序列協力も成り立たず、日本人は本来の力を発揮できない。
それで、さまよえる日系人となり、精神的な不安定さにさいなまれる。

日系人は、移民先で勢力を拡大することもなく、祖国に帰って国の柱となることもない。
我が国の天皇制は、日本人に心の安らぎを与え、仕事に励ましを与える世俗の上下観である。
我々の過去を語ることもなく、行き着く先を示すこともない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年12月28日 (金) 20時14分

 近年の我が国の総理大臣は権力を握っても権威を手にできない人が多かった。彼らが権威を手にできなかった主たる理由は彼自身の資質の問題よりも、国家の歴史・民族の思い(魂)を自らの内に感得しないまま総理職を務めていたからである。
 個性としてのカリスマ性を権威にまで高められる指導者も中にはいるが、国政でも企業経営でもその組織体の重ねてきた歴史があり、その組織体ならではの伝統がある。それがその組織体に所属していた及び所属している人々の最大公約数の思い(魂)となっている。
 民族・組織体のそうした歴史や伝統、理念を次の世代に伝える最良の方法は「儀式」であり、その儀式を執り行うことによって代表者は重厚な歴史や伝統を権威という衣装に形を変えてを己が身につけることになる。(もちろん天皇の祭礼は単なる儀式以上の「禱り」が含まれている事は言うまでもない。)
 いずれにしても国民の生命財産のあり様を決定できる総理大臣は行政権力を一手にした国政の長という以上の重みをもった存在、即ち権威を有した存在でなければならない。そして総理大臣が国家民族の歴史や精神を実感として出逢える最良の場が伊勢神宮及び靖国神社への参拝である。
 総理大臣が行うべき禱りは我が国の弥栄を願う豊饒への禱りと、我が国を守るために命を捧げられた方々への鎮魂の禱りの二つしかない。国民の代表として禱りの儀式に真摯かつ丁重に臨むことで、初めて行政の長という権力に「我が国の総理大臣としての権威」がプラスされる。

投稿: 齋藤仁 | 2012年12月28日 (金) 15時36分

毎週、漂流する日本国に向けて大変示唆に溢れたご警告をお届け頂き心して拝読しております。名詞と動詞でしか表現出来ない文才のない私ですので、優雅な香り溢れる名文で認めなさる貴兄にお返しする気おくれにて数ケ月失礼しておりました。私は中学時代の親友の尊父が祖国愛にあふれた人物の大きい牧師であられ、少年時代から訓導を得てきた延長にて何となくクリスチャンになっています。キリスト教会ではは宗旨論の延長にて靖国神社を無視します。私は上京時に時間余裕ある時は必ず靖国神社と就遊館で慎魂の時に浸ります。教会で靖国神社が語られる時は、私は靖国神社参拝者である事、つまりまず日本国民である事を明らかにしており、それが教会の宗旨に反するなら迷いなく教会を離脱すると明言しています。

投稿: 岡村昭 | 2012年12月28日 (金) 09時48分

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