鴨長明「方丈記」展…下鴨神社を訪ねる!
356回目のブログです。
“門前の 小家もあそぶ 冬至かな”
(野沢凡兆・江戸時代前期・俳諧師)
冬至には一日業を休むしきたりになっている禅寺の山門の前では、小店の人たちも店を閉めて、のんびりとくつろいでいることだ…。
12月(師走)21日は「冬至の日」すなわち一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日です。冬至は暦で言う「二十四節気」のひとつ。ちなみに二十四節気は、立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒を言い、なかなか味がありますが、普段使わない言葉も多いと思います。
凡兆が詠んだ俳句のように、冬至の日前後にはのんびりとしたいものですが、そう簡単には行きません。つい先日の日曜日には総選挙が行われ、民主惨敗、自民大勝、維新躍進、公明健闘、未来完敗など政界激変の姿をあらわにしました。
なぜ民主党が完膚なきまでに惨敗し、自民党が笑みを押さえ切れないほど大勝するに至ったのでしょうか。プロ野球の野村克也監督がしばしば引用する有名な言葉に…
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」
松浦静山(肥前国平戸藩主「剣談」)
含蓄のある言葉ですね。民主党の負けには不可解な負けはなく、明快な負けの理由があるということです。国民は民主党の不実(不誠実)に対し、たまりにたまった怒りを爆発させたのではないでしょうか。わたし達国民は無知ではあってもバカではなく、素直さが皆無である民主党に心底「嫌悪感」を催し、NOの刃をつきつけたのです。
何はともあれ、困難なご時世、新しい内閣には間違いなき誠実な舵取りをお願いしたいものです。
このような時、先日京都の下鴨神社を訪れました。京都には「上賀茂神社」と「下鴨神社」があり、どうして上賀茂と下鴨の文字が違うのか疑問に感じましたが、理由ははっきりしておらず、全国にある1000社の賀茂社も「賀茂」「加茂」「鴨」が様々に使われているようです。上賀茂、下鴨は通称名であり正式名は次の通り。
「上賀茂神社」⇒「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)
「下鴨神社」 ⇒「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)
下鴨神社の創紀は崇神天皇7年(紀元前90年)と言われ、山城国(現京都)一宮、官幣大社、勅祭社などの高い社格を有し、上賀茂神社とともに催す葵祭(京都3大祭りのひとつ)は全国的に有名です。また国宝、重要文化財は数知れず。
下鴨神社の神域は糺の森(ただすのもり)と称され、124,000㎡、東京ドームの3倍、見上げるばかりの鬱蒼と茂った原野林が、大都市である京都の街にあることに驚きを覚えます。
来年3月は、鴨長明が「方丈記」を執筆してから800年を迎え、それを記念してこの下鴨神社で数々の催しが行われていますので訪れたわけです。
鴨長明(1155~1216)は下鴨神社の禰宜の次男として生まれ、平安末期から鎌倉にかけての歌人、随筆家として著名。特に「方丈記」は日本三大随筆のひとつとして教科書にも取り上げられています。
わが国の三大随筆とは、清少納言の「枕草子」吉田兼好の「徒然草」そして鴨長明の「方丈記」ですが、ここに冒頭の文章を抜き出してみましょう。
「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。」(枕草子)
「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(徒然草)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」(方丈記)
今、わが国屈指の古典である方丈記が脚光を浴びています。それは、昨年3月の東日本大震災の厄災とそれをめぐる政治の混乱と不毛の世相が今から800年前の姿と相似していることにあります。
当時は律令制の貴族社会から封建武家社会への過渡期であり、源平の争乱、福原への遷都、平家の滅亡、鎌倉幕府の成立など動乱の時代であったばかりでなく、地震、辻風、大火、飢饉、盗賊の横行など、様々な天変地異に苦しめられていました。(パンフレットより)
方丈記はこの時の世相を活写しているもので、時代は違いこそすれ、おかれている状況と社会の風潮があまりにも酷似していることにある種の感銘を受けます。方丈記が注目を集めているのも肯けるところでしょうか。
さて、境内にはふたつの庵(方丈)があります。方丈は、1辺が1丈(約3メートル)の四角形をした部屋のこと(方は、方墳・正方形などのように、四角形の意味があり)。
ひとつは、境内の末社である鴨長明ゆかりの河合神社に当時と同じ姿で再現されており、3m×3mの木造の仮の住まいで、いつでも移設、移動できる仕組みになっています。鴨長明はこんな狭い庵で歴史に残る随筆を執筆したのかとの感慨を催しましたが、一度は見ておく価値があります。
もうひとつは、世界的に著名な建築家・隈研吾(くまけんご)氏が下鴨神社本殿近くの「みたらし池」のほとりに建てたものです。ETFEという透明な強化プラスチックをベースに強力な磁石と北山杉の短い木の棒を組み合わせた現代版先端技術の「方丈」(仮住まいの庵)です。ちょっと見では弱そうに見えますが、結構頑丈であり、仮の庵として、いつでも、どこにでも建てられ、簡単に移設できるものとして、興味を引きました。
世界的な建築家が、このような建築物に挑戦する姿に心底から感心するとともに、政治家も実業家も教育者もマスメディアも「歴史に学んだ新しい挑戦」をすることが、今求められているのではないかと思った次第です。
天変地異は世の常とは申しますが、歴史に学ぶ知恵と先端の技術で克服しようとする姿こそが大切であり、わが国は特に技術というものを国家的見地からも重要視していかねばなりません。
さはさりながら、総選挙も終わり、国のリーダーたる人々が真のリーダーとしての心構えを持つことこそ、わが国の生々とした発展につながるものだと思います。
昨年は大災害に見舞われましたが“弱い内閣の時に限って天災地変や国家的危機が起こる”そうですから、新内閣には強力な布陣を敷き、内外に果敢な政治をすすめて欲しいと願うところ大なるものがあります。
下鴨神社を訪れ、鴨長明「方丈記」800年に因んだものに触れての感想を述べました。
…民主党の惨敗をみれば“淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし”(方丈記)の感を深くします…。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 履歴書の転職 | 2012年12月21日 (金) 14時24分