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2013年1月18日 (金)

「日本の国歌」にいちゃもん…韓国の異様さを認識せよ!

 360回目のブログです。

“あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは 鶯のこゑ”
素性法師(平安時代・拾遺和歌集)

 年があらためて最初に戻る正月の朝から、はや心待ちにされるものと言えば、鶯の声であることよ…。

 年も明け、つい先日、所によっては厳しい雪の中、成人式が催されましたが、若き新成人が何とか明るい展望の持てる国になることが望まれます。これぞ、上の和歌にある“春の鶯の声”と言うべきものかもしれません。

 そうは言っても、明るい展望は天から降ってくるものではなく、逆に、新成人らが若き情熱と溢れんばかりの活力によって創りあげることであり、それこそが国に貢献する立派な姿勢であるとも言えるでしょう。

 若いからと言って世の中を甘く捉えるのは誤りであり、厳しい見方をすることも考えねばなりません。今は国際時代、中国、韓国、北朝鮮、ロシアとは一触即発的に対峙し、アメリカとも難しい関係となっていますが、わが憲法の柱である「他国の善意」に身を任すことがいかにマンガチックかという一例を挙げてみましょう。

  安倍首相「君が代」斉唱で仕事始め

  自民党は7日、党本部で新年の仕事始めの会合を行い、冒頭で安倍晋三首相らが「君が代」を斉唱。直後のあいさつで安倍首相は「しっかりと『君が代』を斉唱する政党に政権が移った」と満足げに述べた。
安倍首相は教育再生の一環として「日の丸」「君が代」の教育指導に力を入れており、年頭から政権の特長をアピールした形となった。
           (18日 スポーツ報知一部抜粋)

 政党は、国家国民のために尽くす政治を希求、遂行するものであり、国家や国民を表象する、歴史(…わが国ではそれを体現する天皇陛下)国旗国歌に忠誠と敬意を払うことは世界の常識というべきものであり、安倍首相らが君が代を斉唱したのは普通のことであり、ニュースになることが異常であるともえるのではないでしょうか。ところが…

  安倍首相、仕事始めで君が代を斉唱、日本の右傾化を懸念=韓国

自民党は党本部で7日午前、仕事始めの会合を開催した。複数の韓国メディアは、この会合で安倍晋三首相が君が代を斉唱したことを取り上げ、日本の右傾化に対して懸念を示した。
韓国メディアは、君が代は日本の帝国主義や軍国主義を象徴するものとして非難されてきたと指摘。
           (2013/01/08 サーチナ一部抜粋)   

 韓国のメディアは韓国政府や韓国国民の感じていることや考えていることを文字や映像で表現しているものであり、誰が見ても、韓国は何と非礼な国民であろうかと言わざるを得ません。まさに、開いた口がふさがらず、これが隣国の善意だとすれば、他国の善意に身を任すべしと規定するわが国現憲法の罪は極めて大きいものがあることになります。他国から舐められることを容認する現憲法は速やかに改定しなければならないことは理の当然というべきでしょう。

 他国である日本国の内閣総理大臣らが日本国の国歌を歌うことに、平然と異議をとなえる感覚、思考、そのレベルから判断すれば、韓国と言う国は、近代国民国家以前、あるいは以下の、幼稚な精神からいまだ脱却できない、遅れた「半・国民国家」と断定せざるを得ません。

 つい最近発見された夏目漱石の随筆(「韓満所感」満州日日新聞)「余は支那人や朝鮮人にうまれなくって、まあ善かったと思った」と記されています。文豪とはいえ、民族的劣等感、自虐意識の極めて強い夏目漱石でさえもがこのように表現するのですから、わたし達は、わが国歌「君が代」にいちゃもんをつける非礼、無神経、鈍感、国民国家意識ゼロの半島や大陸に生まれなかったことを喜びとしなければなりません。

 では「君が代」はどのような歴史を持っているのでしょうか。平安初期の「古今和歌集」や中期の「和漢朗詠集」に、詠み人知らずとして載っていますから、古いと言われるオランダ国歌よりもさらに600年も前に詠われた、世界で一番古い国歌の歌詞です。

その意味するところを素直に現代語に訳すと「天皇陛下の御寿命よ、いつまでも―、小さな石が大きな岩になり、それに苔が生えるほどにまで続きますようにー」(碩学・山田孝雄博士)となります。 陛下の長寿を願うおだやかな良い歌ではないでしょうか。

 広く世界の国歌をながめてみれば、そのほとんどが、「敵」「血」「屍」「戦」「砲弾」「砲火」「武器」「戦場」などの大変勇ましい言葉が並べられていることに気づきます。その意味では、わが国の国歌「君が代」は世界に誇る名歌というべきであり、平和の精神を強調するのであれば、このような歌こそそれに相応しいと認識しなければなりません。

 それでは、日本、中華人民共和国(中国・中共)、フランス、オランダの国歌を見てみたいと思います。

【●】日本

    君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで

    A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.

<英国チェンバレン(俳句/古事記の英訳で著名)の英訳>

 【◆】中国(中華人民共和国)

    いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!
我等の血と肉をもって
我等の新しき長城を築かん
中華民族に迫り来る最大の危機
皆で危急の雄叫びをなさん
起て!起て!起て!
万人が心を一つにし
敵の砲火に立ち向かうのだ!
敵の砲火に立ち向かうのだ!
進め!進め!進め!
   (「義勇軍行進曲」日本語訳)

 【◆】フランス

進め 祖国の子らよ
栄光の日は来た!
我らに向かって 暴君の
血塗られた旗が 掲げられた
血塗られた旗が 掲げられた
聞こえるか? 戦場の
獰猛な敵兵の咆哮が
奴らは君らの元に来る
君らの子と妻の 喉を掻ききるために!
市民らよ 武器を取れ
隊列を組め
進め! 進め!
敵の汚れた血で
我らの畑の畝を満たすまで!
   (「ラ・マルセイエーズ」1番)

 【◆】オランダ

父なる神よ
奴らの邪悪なたくらみを許すな
私のこの無実の血で
奴らの手が染まることのないように

 いかがでしょうか。世界の国歌と較べても「君が代」は群を抜いて品性があり、和やかな雰囲気を醸し出していることは明白です。

 中国の国歌には敵や血や砲火が登場、フランスには血や敵兵や喉の掻き切りの表現までも、オランダには邪悪や血の言葉、まさに平和、安寧の対極にある血なまぐささに覆われていると言っても言い過ぎではありません。ほんとうに、あらためて、われながら、驚いています。

 そうであるとするならば、他国の国歌に文句や異議をとなえるなどの無礼な振舞いは決して行わず、わたし達日本人は、大手を振って、静かに、伸びやかに、誇りを持って、堂々とわが国の国歌「君が代」を歌うべきではないでしょうか。1月4日のブログでも書きましたが、今年は、皇紀2673年…本当に驚くほど長い歴史、そのひとこまの輝かしき一年であることを祈るや切なるものがあります。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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コメント

古典文法的には「君が代」で天皇を指すというのは、かなり時代が下った言い方で、敬語表現として正しくするなら「大君の御代」になります。

江戸末期とか、遊郭で遊女が客に対して歌ってたり、隆達節(りゅうたつぶし)という16世紀の近世小歌にも残ってたりする宴会ソングだったりしますんで……

ラブソング、宴会ソングを国歌にしてしまっている世界的に見ても稀有な例ではあります。

投稿: えまのん | 2013年1月28日 (月) 11時40分

韓国では、大統領が韓国国歌を歌うことはないのでしょうか? 「国家主義」ではなく、「万世の安らぎ」を国歌を持つ我が国は素晴らしい!!

投稿: 淺沼健一 | 2013年1月19日 (土) 21時59分

我が国は魏志倭人伝にあるがごとく東亜大陸から遥か遠い島国に存し、国家成立の古代より独自の生活文化を築いてきた。しかも東亜大陸と我が国との関係度は、欧州大陸と英国とのそれよりはるかに弱い。
 学者やジャーナリストの中には日本と東亜諸国との歴史的親密性や特殊性を重視した情緒的発言をする人が少なくないが、それは仏教や儒教等の外来文化が日本文化を豊かにしたということであって、中国や朝鮮半島の具体的な王朝、即ち国家と緊密な関係を保つことが我が国にとって必要十分条件であった、ということではない。
 つまり何処に生まれた宗教や文化であれ、その普遍性が我が国に大きな影響を与えてきた、ということであり、それは例えば近代においてドイツ音楽が日本文化に多大な影響を齎したということと同種のものであり、ドイツと日本の国家としての関係が緊密でなければならないということを意味しない。同じアジア人、同じ漢字文化、だから親密に、といった情緒的なマスコミの扇動に乗ってはならない。逆に隣接した国家関係であればこそ「和しても同じない」ような距離を維持すべきである。
 韓国が竹島という歴然とした領土問題以外でも日本について様々に騒ぎ立てるのは、日本と「和」することよりも日本と「同」であるという意識の方が強いからだろう。しかも同は同であっても韓国側が上に立つ「同」であるのが文化的歴史的必然だという意識が強いのだろう。であればこそ「同」であるべきなのに「同じない」日本に対して感情が波立つのであろう。中国人も似たような意識で日本を見ているように思われる。
 だが我が国は将来東亜諸国と緊密な関係を持つ時代が仮にきたとしても「同じて」はならない。
 19世紀のイギリスは同胞であるアメリカに離反されてもなお欧州大陸諸国と距離を保つことで、孤立しながらもその栄光を一人守り続けたが、日本も東亜諸国の政治パフォーマンスを傍観し、世界をまたにかけた遠交策で21世紀の栄光ある孤立を保っていきたい。

投稿: 齋藤仁 | 2013年1月18日 (金) 14時48分

勿論、貴説には全く同感です。総理ふくめ日本の首脳達が正当な日本国家にかかわる意見を発する度に、日本の再興に強い懸念を有する近隣諸国がヒステリックあるいはその限界をはるかに超えた無礼極まる聞くに堪えぬ反論がメデデイアを通じて発信する。そうした暴言に対し日本国側は当該首脳がおきまりの言葉で応じるが、日本の大手メデイアは傍観者あるいは第三者的な報道しかしない事に、私は常々耐え難い思い追いこまれ7年前くらいから一切新聞の購読を中止しました。 

投稿: 岡村昭 | 2013年1月18日 (金) 09時54分

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