“新札発行”…これが経済政策「第4の矢」だ!
367回目のブログです。
“世の中に 蒔かずに生えし ためしなし蒔きてぞつひに 運や開けん”
(道歌・作者未詳)
この世の中で、種を蒔かずに生えるものなど、決してありはしない。種を蒔き、志を立て準備し努力するからこそ、いつの日にか実を結び、運が開けるのだ…。
道歌とは、道徳的な教えをわかりやすく詠み込んだ和歌のことであり、上の和歌は「蒔かぬ種は生えぬ」と同じ意味を、リズミカルに表現したものです。
今まさに、まかぬ種は生えぬ、とばかり安倍総理、安倍内閣は矢継ぎ早に経済活性化に注力していますが、そのために株価、為替が変動し、何か日本経済が永年のデフレ現象を脱却するのではないかとの期待を漂わせています。
しかしながら、この政策がうまくいくのかどうか予断は許しません。また、一部マスコミは、いわゆるアベノミクス(安倍+エコノミクス)に対し批判を投げかけています。それは、為替の円安によって輸入物価が高騰し、一般庶民に打撃を与えるとの主張ですが、たしかにこの主張に一理あることは留意いなければなりません。
どんなに優れた政策であっても、全ての人に直接的にプラスになる政策はないにもかかわらず、2%のインフレ策を採ろうとするとスーパーインフレになる可能性があると騒ぎ立て、インフレよりはデフレの方が良いとのニュアンスです。その一方、安倍内閣に対して、デフレ脱却のための無傷のプラス政策を求めているのです。そんなことが可能でしょうか。
そこまで主張するのであれば、実行可能な具体的政策を提案すべきです。にもかかわらず、彼らはけっして経済政策のアイデアを提案しません。これでは、安倍首相が実行しようとするデフレ脱却策に対して単にイチャモンをつけているに過ぎないと言っても言い過ぎではありません。今のマスコミはジャーナリズムたりえず、その劣化は目を覆うばかりです。
たとえば、朝日新聞などは、安倍総理が所信表明演説のなかで「世界一」という言葉を7回も使用したと揶揄する始末。知性も品格も何もあったものでなく“安倍憎し”だけを社是とする奇妙奇天烈さを示しており、まさに、マスコミというよりも巷間ささやかれる「マスゴミ」(偏向したマスコミ・堕落したマスコミ)と見る方が正しいのかも知れません。
安倍内閣の経済再生のための経済政策「3本の矢」は次の通りです。
① 大胆な金融政策
② 機動的な財政政策
③ 民間投資を喚起する成長戦略
安倍内閣はこれらの諸策をスピーディに、テンポよく展開し、広報よろしきを得て概ね国民から支持を得ているようです。たしかに、民主党内閣の、インフレよりはデフレ優先、成長よりは分配重視、日本国よりも中国・韓国配慮、現実よりは夢見る安全保障姿勢、などの幼く見える政治よりは一応、大人の政治を志向しており、現段階では大半の国民に受け入れられていると考えるべきでしょう。
しかしながら、人心は移ろいがちです。そこで、わたしは「第4の矢」として、人心の気分一新を期するために“新札発行”を提案したいと思います。新しく日銀総裁も決まりますので、思い切って参議院選挙の1~2ヶ月前に新札発行を発表してはいかがでしょうか。
そして、旧札(現札)を2年間以後は交換不可、使用不可とすれば、莫大だと推測されている退蔵・隠匿紙幣が街中に溢れ、それが消費を刺激し、景気にも良い影響を及ぼすはずです。
それでは、現在のお札に描かれた肖像を見てみましょう。
一万円札券 福澤諭吉(慶応義塾創設者・江戸~明治)
五千円札券 樋口一葉(女流小説家・明治)
千円札券 野口英世(医学者・明治~昭和)
この3人は小学校や中学校の教科書に載っている歴史上の偉大な人物ではありますが、お札と言えば、何をおいても「聖徳太子」が浮かびます。
明治、大正、昭和、平成、…今までお札の肖像に描かれた偉人は17人(神功皇后・板垣退助・菅原道真・和気清麻呂・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・日本武尊・二宮尊徳・岩倉具視・高橋是清・伊藤博文・福澤諭吉・新渡戸稲造・夏目漱石・野口英世・樋口一葉)いますが、そのうち最多登場は聖徳太子でした。
聖徳太子はお札に7回、その肖像画がとりあげられていますが、最も発行期間の長かったのが、昭和33年(1958)~昭和61年(1986)であり、この時が日本経済華やかなりし時でもありました。
それ以後は、経済は低迷につぐ低迷、それに加えて、政治も混迷につぐ混迷、経済と政治は一体のものという観点から考えれば、ここで、今一度“聖徳太子”にご登場願おうではありませんか。
聖徳太子は存在しなかったというほんの一部の学者に引きずられて、マスメディアや文化人が「反日」的立場で聖徳太子をないがしろにし、わが国日本を弱体化しようとしてきたことが現在の経済不振、政治混迷に至ってきている一因でもあります。
聖徳太子の偉大な事績は、大化の改新として位置づけられ、我が国最初の成文法である「十七条憲法」の制定など日本国家の礎を固めましたが、最も注目すべきは、中国(支那・シナ)と対等な立場をキッパリと貫いたことです。
遣隋使として小野妹子が隋の煬帝に渡した国書の最初の言葉をあらためて確認しなければなりません。聖徳太子の“凛”とした姿勢を感得することができます。
“日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)無きや”
聖徳太子のこの言葉は何度読んでも、これほど素晴らしいものはありません。戦後政治の姿勢に、このような姿勢が見られないことが、わが国の悲劇と言えるでしょう。
「新札の発行」は、単なる経済政策ではなく、戦後政治の惰性をも打ち砕く“気分一新”のためでもあります。それには、現在のお札の肖像を次のように変えるべきだと考えます。
一万円札券 聖徳太子(日本国の礎) ←福澤諭吉
五千円札券 緒方洪庵(学問・技術) ←樋口一葉
千円札券 清少納言(芸術・女性) ←野口英世
わたし達は歴史に学ぶべきであり、総合的に考えれば、聖徳太子にあやかるのが一番だと考えます。聖徳太子は国の姿勢を明確にされたお方であり、その肖像がお札に描かれた時代は経済が活気に満ち溢れていたわけですから、今一度そのような時代の到来を期すべきではないでしょうか。
お札の肖像と経済は何の関係もないという唯物的な主張もありますが、世の中は、えも知れない “気”や“天命”や“運命”もあるはずだと謙虚になることも必要です。特に政治は、歴史と国家と国民と自然に、ある種の人智の及ばない“畏れ”を感じなければなりません。(あろうことか、伊藤元重という東大の“経済学者”が「景気は気から」と書いています…1/25ブログを参照ください)
「気分一新」ということであれば、忘れてはならないのが「デノミの実施」ですが、今はそこまでは立ち入りません。とにかく、第4の矢を放って気分一新、着実な経済成長への道を一歩すすめるべきではないでしょうか。
もう、単純評論家、敗北主義マスコミ、空論の学者、観念的政治家は害あって益なし。日本のリーダーから引退、蟄居願いたいと考えます。
“気分一新”のための『新札発行』…これこそが経済政策「第4の矢」!
もう、真の「日本の春」を迎えようではありませんか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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