高級官僚の無責任…厚労省&日本野球機構に見る!
382回目のブログです。
“波の上ゆ 見ゆる小島の 雲隠れ あな息づかし 相別れなば”
笠金村(かさのかなむら・万葉集)
(遣唐使が立つ時に贈った歌)あなたの船が出帆し、波越しに見える小島のように、遠く雲に隠れるように見えなくなり、ああ、ため息がでるように切なく、悲しいことだ、いよいよ、これでお別れなので…。
万葉時代、遣唐使として支那・唐に渡るということは、海の荒波を木造船で乗り越えなければならない「命懸け」の国家の仕事でした。それだけに、笠金村の別離の和歌は、真に迫った見事な美しい調べを奏でています。
その万葉の時代から今に目を向けてみると、残念なことに、現代の官の姿勢をみるにつけ、美しい調べを耳にすること、ついぞありません。狂った雑音を二つあげてみましょう。
■ 厚生労働事務次官に、村木厚子社会・援護局長が就任することになった。彼女は、平成21年(2009) 郵便不正事件を巡って起訴されたが、無罪判決が確定。村木氏の起用は、女性登用の姿勢をアピールしたい安倍内閣の狙いもあるとみられている。
(6/14毎日新聞より)
■ プロ野球の統一球を飛びやすく変更しながら公表していなかった問題で、日本野球機構の加藤良三コミッショナーは「事実を隠蔽する意図はなかったが、混乱を招いたことはお詫びしたい」と謝罪。進退について「不祥事を起こしたとは思っていない」として辞任を否定。
(6/12スポニチ新聞より)
まず、村木厚子女史。彼女が「郵便不正・偽証明書事件」で、大阪地方検察庁の不祥事(証拠物フロッピィディスクの改竄)があきらかになり、無罪になりました。当時、無実の罪であわや有罪になろうとした悲劇のヒロインとして、マスメディアが大きく取り上げたことは今でも強く記憶に残っています。
障害者団体向けの郵便割引制度を悪用した不正金額は、何と220億円。実体のない障害者団体に「偽の証明書」が厚生労働省から発行されたことがお墨付きとなったのであり、その責任は、公印の保管管理、捺印決裁者の村木局長でした。
たとえ、部課が独断で作成したにしても「公印」がおされており、上司(村木女史)の『責任』は免れないと考えます。犯罪は実証されなくても、責任は大いにありです。…しかし、責任は一切とらず。
それが、驚くなかれ、220億円の責任を取るどころか、このたび、厚生労働省の事務TOPである次官に出世とは! いやはや、官の腐食の構造、度し難しというべきでしょうか。(小ブログ244回目「危機感と責任感…今、リーダーに厳しく問う!」をご参照ください)
次にプロ野球コミッショナーの加藤良三氏。プロ野球の統一球の反発係数を闇で操作し、現場の選手・監督・コーチや一般ファンに広報していなかったことが明るみになり、マスコミが大騒ぎ。これについて加藤氏は、よりによって「不祥事を起こしたとは思っていない」と発言しました。
例によって、すごい人ですね。この問題が極めて重要な要素を含んでいることを理解できず、危機感も責任感もない人が日本野球機構のTOP。これほど傲慢を絵で描いたような人は存在しないのではないでしょうか。
ということで、加藤氏の出身を見ましたら、何と、あの「外務省」しかも組織のTOPの地位である「駐米大使」だったではありませんか。…道理で。責任感と危機感を欠き、日本国家への犯罪の歴史を持つ外務省で育ったのであれば、このような人間になるのも、さもありなんと思わざるを得ません。
ソ連の崩壊を予言し的中させた、真の知識人・小室直樹さんは「危機に大使が任地に不在―これが日本外交の伝統」と喝破(誤った説を排し真実を説き明かすこと)しています。
1990年8月2日、湾岸危機の時、駐イラク大使・片倉邦夫、駐クウェート大使・黒川剛の両名とも任地に居らず、休暇中。危機こそ大使の正念場であるにもかかわらず、危機意識欠如を露呈しました。
小室さんは「大使は危機に存在せず」という日本外交の慣行は大東亜戦争にさかのぼり、その欠陥をそのまま現代外務省も継承していると述べています。
アメリカは、真珠湾(パールハーバー)攻撃はだまし討ちだと主張。わが国の宣戦布告は、日本海軍航空隊がアメリカ戦艦を奇襲した1時間20分後でした。どうしてこんなことになったのか。
実は、開戦前夜、ワシントン大使館では、寺崎英成書記官の送別パーティが行われ、仲間内の楽しい宴だったのでしょう、関係者が「深酒」により入電文書暗号解読などを怠ったため、宣戦布告に1時間以上の遅れが生じたのです。危機感、責任感はもとより、緊張感さえ全く皆無。
これを国家犯罪と言わずして、何を国家犯罪と言えばよいのでしょうか。その大失態のために、わが日本国と日本国民は卑劣極まりない国家・国民であると永遠に非難され続けてきています。今もそうなんです。
その責任者である、井口貞夫参事官と奥村勝蔵書記官はどんな処分を受けたのでしょうか。銃殺、切腹、免職、何もなし。そして、戦後、この二人は外務事務次官にまで出世したのです。日本の栄えある名誉を徹底的に壊滅させた張本人が、何とTOPに出世とはあきれてものが言えません。
したがって、加藤良三コミッショナーが、平然と、しらっと「不祥事を起こしたとは思っていない」と述べるのは、これが外務省伝来の“セリフ”だからなのです。
こう見てくれば、エリート官僚の無謬(理論や判断にまちがいがないこと)意識は人間とは異なる怪物人種のように思えてなりません。これは、外務省だけでなく、旧大蔵省(現財務省)
や旧内務省(現厚労省・総務省など)なども同じだと言ってもよいのではないでしょうか。
犯罪に手を貸し、220億円の損失の責任を取らないほうがTOPに昇進する厚労省、日本国の名誉を壊滅させるほうがTOPに出世する外務省。…これ、まったくありえないブラックジョークですが、実際には過去も、現在も存在するエリート官僚のプリンシプル(原理)だと思わざるを得ません。
もちろん、真に立派なエリート官僚の方々がおられるのは重々存じ上げていますが、官僚システムの腐臭の源である無謬性を断ち切り、真の使命感を持った方々の集団であることを望みたいものです。
「真の使命感」=「危機感」×「責任感」
一国民として、勝手なことを申し上げました。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
ご指摘の通り、村木事務官および加藤コミッショナーの事件対応は、「選ばれた公僕」としての見識と覚悟の欠如を露呈していると思います。
国家・社会をリードする立場にある政治家や軍人、高級官僚は、一般国民以上に自らの職務に対するプライドと同時にノブレス・オブリージェの精神を常にもち、職責を裏切る結果となったときは一命を捧げる覚悟があってしかるべきです。
江戸期の武士は農工商などの生産活動に従事しない代わりに国家・社会の治安と円滑な生活の保全に責任を負い、己の職責に不備を生じたとき、あるいは己の関係する職場等に問題を生じたとき、いつでも命を投げ出す覚悟をしていました。その覚悟を是とすることで、庶民は武士のエリート的な生活を認め、それが明治期の軍人、官僚にも受け継がれてきました。
《武士道》の精神は過去の遺物でなく、国家・社会をリードする職責を担う誰もが保持すべきものです。しかし巨大な組織にいると組織内の価値観と自身の価値観が同一化しがちであり、同時に社会という外部評価よりも組織内人間同士の評価のほうを重視するようになります。百万人の庶民の声よりも、エリート仲間との競争と評価のほうが気になるということです。賢人であっても越えられない《人間の壁》ということでしょうか。
投稿: 齋藤仁 | 2013年6月21日 (金) 08時18分