都議会議員選挙…その結果を考えてみよう!
383回目のブログです。
“後れなば 梅も桜に 劣るらん 魁てこそ 色も香もあれ”
(勤皇の志士)
梅は春に先駆けて、桜よりも早く咲くから、色も香りも愛されるのではないだろうか。梅はかわいい花であり、桜より遅れて咲いたならば、華やかな桜に見劣ってしまうに違いない。人の行動も先駆けてこそ。“魁(さきがけ)”が大事だ!…。
幕末の勤皇の志士は、その多くは維新の春を迎えることなく世を去っていきました。この和歌は、真木和泉守とも河上弥市の作とも言われています。お二方とも、歴史に残る勤皇の志士であり、魁を実践、行動に移され、あの厳しい幕末という時代に身を滅ぼされた英傑です。特に真木和泉守は最初に明治を構想された志士としても著名です。
時は幕末から現代へ。先日の都議選を見てみましょう。
■ 自公が全勝、民主第4党に 都議選
7月の参院選の前哨戦として注目された東京都議選は23日投開票。前回大敗した自民党は擁立した59人全員が当選。民主党から4年ぶりに都議会第1党を奪回。同じく全員当選を果たし第2党となった公明党と共に、過半数を大幅に上回る82議席を獲得した。一方、民主党と日本維新の会は惨敗。民主党は現有の43議席を大きく下回る15人の当選にとどまり第4党に転落した。共産党が議席数を倍増させ、第3党に躍進。
(2013/6/24 時事通信)
都議会新勢力は次の通りです。(かっこ内は旧勢力)
自民 59 (39)
公明 23 (23)
共産 17 ( 8)
民主 15 (43)
みんな 7 ( 1)
東京生活者ネットワーク 3 ( 2)
維新 2 ( 3)
無所属 1 ( 6)
定数は127。したがって、過半数は64となり、与党が自公であれば余裕のある議席数となりました。しかし、どうして民主党はこんなにまでも惨敗したのでしょうか。民主党は、都政よりも国政を語り、反安倍政権、反安倍政策を掲げて戦いました。そして、マスメディは、毎日、朝日、東京(中日)などが、軒並み民主党に肩入れし、反安倍、非安倍の論調を強く打ち出していたにもかかわらず、民主惨敗と言う結果になりました。
なぜ、このような劇的な結末になったのでしょうか。時代の流れを中心に置いたわたしの視点を述べたいと思います。
① 3.11の東日本大震災を経験した国民(いわゆる市民ではありません)は、ものごとをかなり真剣に考えるようになった。(ただし、マスメディアとサヨク知識人は全く変化なし)
② したがって、政治に求めるものは次の通り。
“希望” 希望ある将来・明るい社会・経済の繁栄・文化の隆盛
“守る” 日本の防衛・危機への対応
“品格” 欧米と対等な人間性・日本らしさ
“誠実” 嘘をつかない
大震災、原発事故などの暗い事象を経験した国民は、出来るだけ早く明るい社会を築こうとしている。振り返ってみるに、民主党の首相は誰一人国民の心に響く言葉を発しなかった。これでは真の将来への「希望」を持てないとして、党と人に見切りをつけたのではないか。逆に、安倍総理が新経済政策(アベノミクス・3本の矢)をスピーデイに実行に移しつつあることが国民の理解を得た。
民主党では、国家防衛の姿勢は全くみられず、近隣諸国に阿るばかりで、国民の不安感は極限にまで達した。政治家が国を守る姿勢を示さなくて、誰が国を守ればよいのかとの国民の疑念に応答はゼロ。また、原発事故の対処をめぐる、危機管理意識ゼロの人が首相という悲劇。民主党には「守る」と言う意識はなく、これでは支持されないこと明々白々。
鳩山首相がアメリカ大統領に“trust me”と言い、翌日、約束を覆すという不様な不誠実を露呈し、国際的な笑いものとなったことを、国民は心から恥ずかしいことと感じた。誠実さはわが日本の基本的な美徳であり、レベルの低い政治家に舵取りを任せられないと判断したのだろう。
信頼=嘘をつかないこと。 民主党政権のときの政策はマニフェストに違背する「嘘」ばかりであり、それを悪びれていないことに、国民の怒りは今も続いている。怒りの残像はそう簡単には消えないと思う。(埋蔵金・ムダ・天下り禁止・増税せず・高速道路無料化・外国人献金・企業団体献金禁止・沖縄基地県外移設・コンクリートから人へ…など切がなし)
③ 国民は、日本の骨格を語ることができる政治家を待ち望んでいるのではないか。敗戦後68年、7年間の屈辱の占領を経験し、主権回復後61年、わが国の社会は、あらゆるところで間違いなく腐臭を放ちつつあり、いよいよ骨格までがぐらついてきた感を拭えない。家族の乱れ、学校教育の崩壊、企業人の活力減退、官僚・政治家など社会的リーダーの意識低下、メディアの煽りと無責任、公よりも私…など、今や止まるところを知らず。
それらを立ち直らせるためには、わが国の骨格を規定している「憲法改正」を具体的視野に入れるべきとの考えが、自然な感情として、国民の間にうねりのように浮き上がってきているのは間違いない。
そこで、戦後日本のタブーだった憲法改正に、あえて、積極的に挑もうとする安倍総理の“勇気”真剣に語りかける“誠実さ”乱暴ではない凛とした“言葉”に、国民は高い支持を与えていると思われる。
それでも、たとえば自民党の政治家の中にも、1955年の党綱領に独立体制の整備(現行憲法の自主的改正)を謳っているにも拘らず、改正に反対する人がいることに注意しなければならない。自らの政治信条に不純な連中を排除できない組織(政党)には自ずと限界があることも事実である。
今、国民は、東日本大震災(含原発事故)の貴重な経験から、大胆で誠実な実行力ある「日本のための政治家」像を理想として描いているのではないでしょうか。安倍総理にはこれにぜひ応えてもらいたいものです。
今度は参議院議員選挙。与野党のなかには「日本のための政治家」ではなく、近隣諸国や他の国に阿る「外国のための政治家」がそれなりに存在しており、今回の選挙では、そういう連中に決して投票しないことが大切だと考えます。
「日本の再建」こそ、今、最重要のことではないでしょうか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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