いよいよ参議院選…一票の格差を考える!
381回目のブログです。
「斉安郡後池絶句」 杜牧
菱透浮萍緑錦池(菱はふひょうを透す 緑錦の池)
夏鶯千転弄薔薇(夏鶯せんてんして 薔薇(しょうび)にたわむる)
尽日無人看微雨(尽日(じんじつ) 人の微雨をみる無く)
鴛鴦相対浴紅衣(鴛鴦(えんおう)相対して紅衣(こうい)を浴す)
菱の葉は浮き草と混じり合い、池は緑の錦織りのよう。夏鶯は鳴きつづけ、薔薇の花とたわむれている。一日けむる霧雨を、共に眺める人もなく、オシドリは向き合って、羽根に清水を振りかけ遊んでいる…。
いよいよ梅雨本番ですが、せっかくなので雨を楽しみたいもの。上に掲げた、晩唐の詩人・杜牧の詩は、初夏の霧雨にけむる池の風景が、目に浮かぶ美しい漢詩ですね。自然界はそれなりに季節感を十分示しており、鑑賞に堪えるシーンも多々ありますが、人間界は、なかなか感嘆するような場面に出くわすことが少なく、足の引っ張り合いが多いことに気づきます。
先日、株価が暴落し、為替が円高になるや、待ってましたとばかり、マスコミや同調する学者、エコノミストらが、いわゆるアベノミクスの失敗、崩壊、危険を囃したて、国家滅亡の元凶と言わんばかりです。まだアベノミクスはスタートしたばかりだというのに。
しかし、考えてもみて欲しい。経済指標が一本調子に上がる、一本調子に下がるなんてことは決してありえないではありませんか。一本調子でいけば、日経平均株価は10万円、為替は360円/ドルにすぐ届きます。アホも休み休み言ってほしいもの。今回の変動は単なるチャートの調整と考えるべきであり、ジグザグ、ジグザグしながら、上がったり下がったりしてトレンドを作っていくのではないでしょうか。
そうこうしながら、もう1ヶ月もすれば参議院議員選挙となります。まだまだと思っていましたが、あっという間に近づいてきました。結果はどうなるのか皆目予想がつきませんが、ここでは、一票の格差について考えてみたいと思います。
平成21年(2009)の衆議院選(最大格差2.30倍)に対し、最高裁は23年(2011)に「違憲状態」の判決を出しました。そして平成24年(2012)12月の衆議院選(2.43倍)に対し、16の訴訟がだされ、今年3月に、高裁は、いずれも「違憲」「違憲状態」と判断、なかでも広島と岡山では「選挙無効」の判決が下されました。今秋にも最高裁の判決も下されるでしょう。
前々回の民主党圧勝の選挙も、前回の自民党圧勝の選挙も、どちらも司法から是正を命じられていたにもかかわらず、民主党も自民党も、党利党略、真面目に対応しなかったのは事実でしょう。最低限の是正だけはしておくべきだと考えます。
しかし、本当に、一票の格差がなくなれば、それで万々歳なのでしょうか。もしもそうであるならば「比例代表制」しかありません。比例代表制であれば、一票の格差はなくなりますが、政治家に相応しくない候補者がリストアップされる可能性が多分にあり、小党が乱立して混乱するなど、政治の安定には程遠くなるのは火を見るよりも明らかです。
そもそも、国政選挙は、政治がキチッと機能し、安定することが眼目であり、それを冷静な目で評価し、国民全体で納得することが肝要なのではないでしょうか。
マスメディアは何でもかんでも「一票の格差」ばかりを取り上げ、それが無くなれば、民主主義ではなくなると強調しますが、大切なのは、機能する政治であり、一票の格差ではありません。あまりにも本末転倒な議論だと考えます。もう少し、国、国家全体をふまえた議論をすべきではないでしょうか。
参議院選挙の格差について、地方と都会を考えてみましょう。
【議員1人当たりの有権者数】(平成23年9月)
多い選挙区 神奈川(1,225,479)、 大阪(1,187,446)
少ない選挙区 鳥取 ( 242,484)、 島根( 295,737)
今回7月の選挙での選挙区定数は、都会の神奈川県4人、大阪府4人、地方の鳥取県1人、島根県1人。もしも、格差がゼロであるのが望ましいのであれば、神奈川と鳥取は格差が5倍ありますから、たとえば、鳥取を1人ならば、神奈川を20人、あるいは鳥取をゼロにし、神奈川を4人のままとしなければなりません。
こんな馬鹿なことがありますか。政治の領域は、単にそこに住む人口(人間の数)だけでなく、国土(領海・森林・田畑・河川・居住地)や産業(農業・林業・工業・流通)などすべての営みに及ぶものです。
したがって、格差ゼロを理想とする選挙制度は根本から狂った議論というべきでしょう。格差が2.30でも2.43でもかまわないのではないでしょうか。国会の議論、司法の議論は、木(一票の格差)を見て、森(国全体の営み)を見ない理屈に堕しているように思えてなりません。
愛国心は郷土愛から育まれます。郷土愛を大事にしなければなりません。そのためには、均衡ある国土の発展を期すべきであり、都市と地方のバランスのとれた発展が必要になります。
今、地方の疲弊が無残な形で進行しています。これを打開するのも政治の大きな役割であり、その地方を代表する政治家が、獅子奮迅の努力をしなければなりません。厳しい実情を理解するには、机上の空論ではなく、三現主義に基づいた的確な対処が必要となります。三現主義とは「現場」「現物」「現実」。
地方の実情や苦悩は、そこに密着し、その地域を基盤にした政治家でなければなかなか理解できないでしょう。都会とは全く異なる悩みのはずです。地方を切り捨てるのではなく、地方をビビッドに活かす政治こそ求められているのではありませんか。
その意味で、観念的な法律論を根拠に一票の格差だけを声高に煽り、地方の声を無視してもよいとする選挙制度を推進するメディアや司法の政治感覚、国家感覚に大いなる異議を唱えたいと思います。
国の政治は、国を守ること、国を発展させること、歴史と文化を維持すること、国民全体の安寧を保つことであり、そうであるならば、一票の格差だけを問題にする政治感覚は、国を誤らせることになると考えます。
国会も、メディアも、何のための選挙制度であるべきなのかという基本的な問題を議論してほしいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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