朝日と入試…そのいびつな関係を抉る!
392回目のブログです。
“青山元不動 白雲自去来”(禅の語)
<青山もとうごかず 白雲おのずから去来す>
青々とした山は、元よりどっしりとして動かないものだが、白い雲がかかることによって、山の姿は変化をみせるものだ…。
この句は、前後を入れ替えて「白雲おのずから去来すれども、青山元動かず」と読めば意味も明瞭になり、周辺がどう動こうとも、青山のように泰然としているべきだとの教えと理解できます。人生すべからくこうありたいものです。
わが国にはいろいろな山々がありますが、世界遺産、名峰・富士山にかかる白雲は、新幹線からでもどこから眺めても、美しい天然の美を感じさせてくれます。一方、わが国の有力マスコミには、富士と異なり、腐臭が漂っているように思えてなりません。一、二の例をあげましょう。
先日、JRの車内吊りポスターをみて吃驚しました。マスコミのトップ権力を自負している朝日新聞が、自紙の拡販のために、記事の大学入試採用率の高さを誇っていることを大々的に広告していました。
・大学入試への記事採用率は朝日が圧倒的に高いこと。
朝日 50(%)
A紙 20
B紙 14
C紙 13
D紙 3
・5月~9月の記事から出題されるので「今が読みどき!」
・235大学で421問題も出題されている。
このような趣旨を広告し、だから今、朝日新聞を購読しましょうと、受験生家庭に強く訴えかけています。なぜこのような広告をするのかと言えば、今日、新聞購読者が大きく減少し、特に若者からは見捨てられている傾向にあり、業界として危機感が横溢していますが、特に朝日は減少傾向が半端ではないところにあります。
・現在、新聞は、全国で4800万部購読。
・平成24年(2012)後期主要全国紙朝刊販売数
読売新聞 993.8(万部)
朝日新聞 763.6
毎日新聞 340.3
日経新聞 294.7
産経新聞 160.7
・朝日新聞の販売傾向
平成19年(2007) 806(万部)
∥ 20年(2008) 805
∥ 21年(2009) 803
∥ 22年(2010) 795
∥ 23年(2011) 778
∥ 24年(2012) 764
これらの数字はあくまでも公表された数字であり「押し紙」を除いた実際の販売数は、社によっては2割も3割も少ないと言われています。押し紙とは、新聞販売店に対して必要部数を超えて押し付ける新聞のことですが、新聞社は「残紙」と言っています。これらを考慮すると、朝日はすでに600万部代に減少しているのではないでしょうか。
新聞社は、発行部数を基準数としたチラシを含む広告収入がありますので、販売実態のない偽りの発行部数を頑なに守っています。第4権力と言われる新聞の綺麗ごとの発言の裏に蠢く腐食の背信行為を見れば、いわゆるマスコミを素直に信じることの愚かさを感じます。
しかし、いまだにどうして大学教授は朝日の記事を入試に多用するのか、大いに疑問を持たざるを得ません。①大学教授にリベラル左翼が多く朝日的体質を有している。②朝日の記事は表面上綺麗な言葉を使っているとともに、分かりにくく、明確さを欠く“匂わす文章”が多く、読解力を試すのに適している。③インテリは朝日を読むものだという老壮世代の神話的思い込みがまだ残っている。④朝日は日教組的体質に合致。というようなところが要因ではないでしょうか。
しかし、時代は急速に変わってきました。政治も、経済も、社会も、教育も、力強い明確な方向性を求められています。それに応えられず、旧態依然の体質と思想を墨守しようとする朝日新聞に対して、読者が逃げていくのは必然かも知れません。
朝日は、サヨクイデオロギーからウヨクイデオロギーに急転換(過去あったと同じようにその可能性は多分にある)するのではなく、日本国および日本国民にしっかりと軸足を置き、過去と現在の歴史に暖かい愛情をそそぎ“悲劇の歴史には同情を、栄光の歴史には誇りを”という素直な感性を発露すべきではないでしょうか。
次に、元朝日新聞有力記者の発言をとりあげます。
■ 集団的自衛権は憲法改正の露払い
が、「日本を取り戻す」は時代錯誤
8月15日、靖国神社に参拝したのは「小粒の閣僚」だけだった。首相は玉ぐし奉納にとどめ、春の例大祭では国会議員を引き連れて参拝した副首相の姿もなかった。
国際世論の反発に気遣いながら、小粒でも閣僚の参拝で意地を見せ、どこか悔しさがにじんだ今年の靖国神社。参議院選挙で大勝しながら、地金をむき出すことは思いとどまった安倍首相だが、満たされぬ思いが噴出する先は集団的自衛権。解釈改憲を先行させ、憲法改正につなげようとしている。(まえがき部分)
(8月19日 DIAMOND online・山田厚史氏)
著名な元朝日新聞編集委員・山田厚史氏が、朝日の主張に沿うように、靖国参拝反対、ウヨク安倍首相反対、アベノミクス反対、憲法改正反対、集団的自衛権反対と、どのような主張をしようと一向に構いませんが、愚劣な品性だけは御免こうむりたいと思います。
考えてもいただきたい。「小粒の閣僚」と言う表現はなんですか。上から目線の最たるもので、わが国の大臣に対して、どうしてそこまで貶めた言葉を使わなければならないのでしょうか。元朝日新聞編集委員はわが国の大臣の地位をボロクソに貶めた表現にできる権限と力を有していると錯覚しているに違いありません。参拝した大臣が小粒であれば、山田厚史氏はもっともっと小粒で、小粒納豆をさらに砕いた小ささではないのでしょうか。山田氏には品性のかけらさえ感ずることが出来ず、吐き気を催すくらいです。
参拝した3閣僚は、新藤義孝総務大臣、古屋圭司国家公安委員長、稲田朋美行政改革担当大臣ですが、たとえ、主義主張は異なっても、それなりに立派に職務を遂行しており「小粒の閣僚」などという人と地位を小馬鹿にした言い方をすべきではありません。
わたしも、朝日の記者を多少知っていますが、穏やかそうに見えながら下劣な品性の山田氏のような方はおらず、氏のような人が中枢に存在し社論をリードした朝日新聞は、やはり人と思想に問題があると言わねばなりません。わたしは、山田氏のような人間性を一切認めたくありません。
記者は言葉が命。自分の潔くない精神をすこしでも高めていく表現に努力してほしいものです。朝日新聞がわが国マスメディアの真のリーダーとして足を留めるか、下劣な世界を求めて奈落の底に落ちていくか、それは、会社の基本姿勢と人間性によるものであり、その結論はもうすぐ出るのではないでしょうか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
朝日新聞やアサヒ系列の出版物を支えているものに、似非知識人や偽善インテリタレントがいます。本物の学者・知識人は、知識理論を徹底的に追及して真理を掴もうとしますが、「似非」知識人は思考の中に自身の感情や偏見を取り混ぜて「あるがままの事実や真実」を「あるべき事実や真実」へと捻じ曲げてしまいます。彼らの言は時流に乗ってもてはやされることがありますが、わずか十年もせずに学界からも大衆からも見捨てられることで、彼らが「似非知識人」であったことが判明します。
偽善インテリタレントとは、学者兼タレントあるいはコメンテータ等でマスコミに登場する高学歴タレントの中に多々見られます。彼らはこの世に起こるすべての戦争、暴力や差別、貧困等の事件、事象を批判し忌避する発言によって「すべての民衆」から好かれようとします。自身の内なる悪意悪行、己の家庭内の諸問題等々、一個の人間が生きていくために時として行使してきたマイナスの行為を自身はやったこともなければ身近で起きたこともないような顔をして、発言しています。NHKなど局すべてが偽善インテリで成り立っているような錯覚に襲われます。(時々「破戒」局員がニュースに出ることでほっとしますが。)
似非知識人と偽善インテリタレントの存在と同様に忘れてならないのが、うわべの彼らに共鳴してか、あるいは確信犯としてか、全国の公立図書館(これには大学を始めとした公立学校内の図書館も含む)の問題もあります。彼らは朝日新聞や朝日系列の書籍はほとんど無条件に購入していますが、その予算が国民の税金から出ていることは言うまでもありません。民主主義国家で多数が支持した政党の意向とは全く反する主義主張を展開するマスコミ出版物を「自由と中立」の名のもとに毎年毎月税金で購入して私企業を支えている。しかし学校を含めた公立図書館が本当に「自由と中立」を守って出版物を購入しているかは、児童本も含めてその思想傾向を見てみれば明白です。
終戦約70年にしてなお反日に生きる糧を求める多数のインテリ集団の存在は、祖国を信じ、アジア解放の義に生き、散華していった先人にとって今なお癒されることのない痛恨の一事ではないでしょうか。
投稿: 齋藤仁 | 2013年8月31日 (土) 10時45分