靖国神社参拝…秋の例大祭に参列して思うこと!
400回目のブログです。
“我國の 為をつくせる 人々の 名もむさし野に とむる玉かき”
(明治天皇御製・明治7年・招魂社初の御親拝の折)
靖國神社は、明治2年に建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖國神社」と改称。国のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社であり、靖國の玉かき(神社・神域との境の垣根のこと)の奥には、我国のために命を捧げられた246万6千余柱の英霊が神として祀られています。
「靖國」という社号は、明治天皇が命名されたものであり、歴史上、近代日本で最も心すべき重い名であることは言うまでもありません。出典は…
『吾以靖国也』(吾以つて国を靖んずるなり)
<春秋左氏伝・第六巻僖公23年秋条>
国を靖んずるための祈りの場…。祖国を平安にし、平和な国家を建設するという願いがこもった、心静かに祈る場所であることは、この靖国という名前を見ればあきらかなことと言わねばなりません。
ところが、近年、靖国をめぐる問題は、喧騒と政争とイデオロギー闘争の場と化しつつあることは誠に残念なことであり、極めて不幸なことではないでしょうか。
靖国神社は「祈り」の場です。
さる10月20日、日曜日、縁あって靖国神社の秋季例大祭に参列しました。当日は朝から肌寒く、風も強く、雨が滴り落ちるという厳しい天候でしたが、これも、祀られている英霊のわたし達に対する“もっとしっかりせよ”との檄(げき・強い励まし)であったのではないかと認識した次第です。
いままで何度か参拝しましたが、今回は昇殿参拝ですから、緊張の上にも緊張しました。本殿にはかなりの人数が参列しており、多少のざわめきはあるものと思っていましたが、ひそひそ声や咳(しわぶき)ひとつない、誠に品位ある静粛な雰囲気はこれまで全く経験したことがありません。感嘆すべき素晴らしいものでした。
加えて、静かな雨の中、靖国の緑の杜に鎮座する、見上げるばかりの本殿とその周囲は、大きな菊の御紋の入った幕とともに、清浄と清冽の気を鋭く発しており、この震えんばかりの厳粛さは、英霊の精神そのものであるように思えてなりませんでした。
式典は、国歌斉唱、開扉、宮司祝詞(のりと)、国学院ブラスバンドによる「国の鎮め」、同合唱団による「鎮魂頌」「靖国神社の歌」の合唱、玉串奉奠など、ゆったりとした進行で感動この上ない式典でした。
さて、この秋の例大祭に安倍首相は参拝せず「真榊」(まさかき)を奉納しましたが、その真榊が「内閣総理大臣・安倍晋三」名義で、中央祭壇右側に掲げられていました。
安倍総理としては苦渋の選択だったのでしょう。韓国や中国が、これを外交カードとして、執拗に「脅し」「攻略」「イチャモン」をつけており、米国も、北朝鮮を含む北東アジアの安全保障に危惧を懐いている時であるだけに、あえて参拝を慎重に回避したものと思われます。
しかし、安倍総理は、かつて「靖国を参拝する/しないを外交カードにするのは間違っている」と明言したことは事実。そしてつい先日も「国のために戦い命を落とした英霊に対して尊崇の念を示し、冥福を祈るのは国のリーダーとして当然の思いであり、当然の権利でもある」と力強く語っています。それでも、現在不実行であることは紛れもない事実であり、一部には有言不実行ではないかと揶揄(やゆ・からかうこと)されています。
そうであるならば、少なくとも総理就任(2012年12月26日)1年以内には、静かに英霊への祈りを果たす、積極的な行動をとるべきではないでしょうか。靖国参拝は、普通の国の普通の祈りの行為ですから。
「私たちは好い加減、気がつきたい。中国、韓国、そして米国と、外国の思惑を気にした条件整備を優先する外交姿勢そのものが靖国参拝を政治の道具に貶めていることに」
(櫻井よしこ・週刊新潮10/24号より一部抜粋)
安倍総理には、もしも長期政権を担い、本来の力強い政治を志向されるのであれば、今一度、私が平成20年10月、当ブログ(137回・長期政権への道…その秘策を教えます!)で初めて発表した次のことをお考えいただきたいと切望します。
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【靖国の法則】
1.靖国神社に参拝した首相は長期政権を担う。
2.靖国神社に参拝しない首相は短期政権に終わる。
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「靖国神社に参拝した首相」
吉田・岸・池田・佐藤・田中・三木・福田(赳)・大平・鈴木
中曽根・橋本・小泉
「戦後歴代全総理の在任期間」
(平均日数) (平均年月数)
靖国神社 参拝者12人 1392日 3年9ヶ月
〃 非参拝者19人 400日 1年1ヶ月
「中曽根総理以後の在任期間」
(平均日数) (平均年月数)
靖国神社 参拝者 3人 1572日 4年3ヶ月
〃 非参拝者15人 419日 1年2ヶ月
驚くべき数字です。中曽根総理以後を見れば、参拝者の在任期間は4年3ヶ月、非参拝者は1年2ヶ月、4倍近い差異があるのです。長期政権を目指すのであれば、靖国参拝は必須ではないでしょうか。
なぜ、日本国総理大臣は靖国神社にお参りしなければならないのかを考えてみましょう。
総理大臣はわが国のリーダーとして、政治という日本の歴史を創る大事に携わる立場です。そうであれば「日本国」の歴史とそれに殉じた人々、その魂(これを“英霊”という)に真摯に向き合う必要があります。
我が国では今も、大切な働きをした死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。「国家を背負う」という覚悟は、とりもなおさず、わが国の歴史への共感であり、先人の苦心への敬意を表明することに他ならず、それは、つまるところ、靖国神社へ静かに手を合わせることを意味します。
政治は、広大な天地(あめつち)のなかで、そして悠久の歴史の流れの中で行われる“厳かなまつりごと”と言われているわけですから、靖国の魂を鎮めようとする厳粛な精神を心の奥底に懐くことは政治家としての基本姿勢でなければなりません。
安倍総理は、第1次安倍内閣の時、中国、韓国へ膝を屈し、靖国参拝を行いませんでした。わずか366日の短命政権で終わったことは、表面的には病気によるものでしょうが、基層には靖国不参拝があったと考えるべきではないでしょうか。総理には、政治のリーダーシップ確立のためにも靖国参拝に踏み切ることを望みます。
もしも万が一総理就任1年以内に参拝されないのであれば、来年は党内外で権力闘争が勃発し、政権に「ガタ」が来るような予感がしてなりません…。
みなさんは「靖国の法則」をどのようにお考えになりますか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
名調子のブログ400回達成、おめでとうございます。
私の場合は、独身のまま戦死した叔父が祀られています。度胸を決めて慰安所に行き、優しくあしらわれていたのなら良いのですが…。
野宗さんのブログ記事には「靖国神社は静粛」とありましたが、私が感ずるに、これに加えて、「穏やか」な印象を受けます。一般の神社・仏閣ですと、参拝が大行列になると、「こら早く行け」「割り込むな」というムードが多少は漂うものですが、今回の秋季例大祭でも、靖国神社にはそれが全くありませんでした。参拝者同士が何やら皆、親類・旧知の友のように温かい。不思議な空間です。
「靖国の法則」は、「参拝した総理は長続きする」と同時に、「長続きするような信念を持った総理は参拝する」とも言えるような気がしますが、如何でしょうか。データはありませんが…。
投稿: 宮地忍 | 2013年10月26日 (土) 02時24分
私の祖父の兄弟も3人が靖国神社に祭られています。靖国は祈りの場であり、政争の具にすべきではないと思います。靖国神社に祭ることは戦争でなくなられた方と国家との約束です。日本は敗戦により革命国家になったわけではないのなら、国家としての英霊との約束は守るべきです。何も言えない死者の霊に対し、生き残ったものが戦後の価値観やましてや他国の言われなき誹謗中傷におびえて、約束を果たさないなど、言語道断です。そのようなことを許している国家国民はすでに亡国の民です。今の日本は、その意味ではすでに魂を失った亡国です。安倍首相も伊勢神宮の式年遷宮に参列されたとはいえ、戦死者への礼を欠いたままでは、短命政権に終わるでしょう。それにしても、他国の英霊を冒涜してやまない中韓両国の姿勢は、実に尊大無礼であり、長く心ある日本人に復仇の恨みを遺すことになることを思い知るべきです。
投稿: 矢野義昭 | 2013年10月25日 (金) 09時21分