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2013年10月 4日 (金)

子供・子ども・こども…どの表記が良いのか!

 397回目のブログです。

『母の瞳』 八木重吉
ゆふぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うへもまた
とほくみひとみをひらきたまひて
かわゆきものよといひたまふここちするなり

 八木重吉(明治31年~昭和2年)は、短命のクリスチャン詩人として有名。上に掲げたものは、結核の療養生活のなかで制作した詩集「貧しき信徒」にある『母の瞳』という心を慰めてくれる情緒豊かな詩です。

 ふるさとと言えば、海、川、小川、山、丘、森、林、杜などの自然風景、お宮、お寺、お祭りなどの素朴で豊かな民俗などを目に浮かべるのでしょうが、それにも増して必ず思い起こすのが、この詩にあるように“父の背中”と“母の瞳”であるかもしれません。

 母親と子供は切っても切れませんが、「コ・ド・モ」をどのように表すのが良いのかをめぐって、ちょっとしたニュースがありました。

  文科省、「こども」表記を漢字に統一 公用文書で

  文部科学省はこのほど省内の公用文書の「こども」の表記を漢字書きの「子供」に統一することを決めた。
「子供」の表記は1973年の内閣訓令で、漢字表記とされた。ただ「漢字より柔らかい印象がある」として、各省庁とも漢字と平仮名の交ぜ書きの「子ども」を使う例が増えていた。
文科省は、子供と表記しても大人の「お供」のような否定的な意味はないと判断し、公用文書は漢字表記との原則を再確認。7月刊行の文部科学白書では語句を「子供」に統一した。
           (H25/9/19 日本経済新聞一部抜粋)

 国語問題は多岐にわたりますが、その内のひとつに交ぜ書き(混ぜ書き・かな混ぜ・雑ぜ書き)問題があります。「コ・ド・モ」は官庁では「子ども」という交ぜ書きで表されてきました。民主党政権時の「子ども手当」などはそれに当たります。

 交ぜ書きが行われる理由は下記の通りです。

 常用漢字以外だから(一般社会において)
 未履修漢字だから(学校において)
 漢字が示す意味を緩和あるいは撤去するため(例えば差別)

 常用漢字とは「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」としてあるものです。平成22年(2010)常用漢字が改定、196文字の漢字が追加されましたので、交ぜ書きがかなり緩和されました。

 破たん→破綻、隠ぺい→隠蔽、軽べつ→軽蔑、進ちょく→進捗、明りょう→明瞭、親せき→親戚、ら致→拉致、覚せい剤→覚醒剤、いん行→淫行、収わい→収賄、など、かなで書く「交ぜ書き熟語」が大幅に減少することになり、漢字の持つ特長が生かされています。

 学校においては、まだ履修していない漢字はかなで表記するとしていますが、普通に漢字で表記して「フリガナ」を振ればよいのではないでしょうか。生徒と言えども、馬鹿ではありませんから、フリガナで容易に読め、より早く漢字の持つ意味もわかるようになると思います。

 今まで「子供」が「子ども」という交ぜ書きで書かれていた原因は「差別問題」すなわち「言葉狩り」にあったというのですから驚きです。

子供の「供」という漢字は「お供(とも)」「供奉(ぐぶ)」などと使用され、それは“従属”や“隷属”を意味すると主張。したがって、こどもは、国連児童憲章で、社会で尊重されるべき権利を有しており「供」という漢字は相応しくないので「子ども」と表記すべきであるというのです。

一部の偏った人から見れば、「お供」は差別に値する行為であり、したがって「供」という漢字は差別用語だと考えるのですが、何かおかしい、何か変だとは思いませんか。

このような、差別排除主義者から見てのほんのわずかでも差別感覚のある用語を排除するという、異常、異様とも思える思想に、官庁やマスコミは、もめごと回避のため、唯々諾々と従ったのではなかったのでしょうか。ほんとうに、あきれてものが言えません。

 今や、差別にことかけた言葉狩りなどは止めにすべきではないでしょうか。言葉狩りは日本語をおかしくします。もしも「子供」が駄目ならば「児童・生徒」とし、基本的に日本語をおかしくする交ぜ書きの愚は避けなければなりません。その意味で、今回の文科省の方針は極めて妥当であり、正しい方策だと思います

 それでも、まだまだ無意味な「差別自主規制」「自虐自主規制」は数多くあります。たとえば、パソコンで次の言葉は一発で変換できません。一度試してみてください。

 支那(シナ・シとナの二度変換が必要)
屠殺(トサツ・トとサツの二度変換が必要)
盲(メクラは出ない、「盲目」は出る)
中共(チュウキョウは出ない、「中華人民共和国」は出る)

 もう、マスコミや官庁や産業界や学界も、言葉狩りなどの偽善的姿勢を止めなければなりません。上記の「支那」はシとナの二度変換をすれば出てくるし、一度変換を不可能にするやり方はまさしく偽善そのものというべきです。また、彼ら中国漢民族がおそらく誇りに思っているであろう、歴史に輝く「支那文明」はどう表現すればよいのでしょうか。

 歴史的な事象に対する言葉、用語は安易に禁止すべきではなく、本当の意味で差別的と思えるものだけを厳格に使わないようにすることでいいのではないでしょうか。わが国は、近年、差別、差別と叫び過ぎであり、自虐、自虐で誇りを失い過ぎでもあります。

 これを機会に、背筋をただした凛とした考が一般化することを望みたいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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