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2013年11月 8日 (金)

仁徳天皇の御陵を訪ねる! 

 402回目のブログです。

“高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり”
(仁徳天皇御製)

 仁徳天皇が高殿に登って国を望見された時、竈(かまど)に煙さえ上がらない民の生活を嘆かれ3年間の年貢を免除された。そういう時であり、天皇自らも、着物や食事を倹約、屋根さえも葺き替えされなかったため、隙間から入る雨風に衣服も濡れ、破れた屋根からは星が見えるようになったほどだったと言われています。

 しかし、気候も順調で、3年間で国民の生活は豊かになり、今や、高殿に登ってみれば、民家の竈から煙が立ちのぼっており、民の生活が成り立っていることをお喜びになり詠われた歌、これが上掲の和歌であり「国見歌」でもあります。

これだけの素晴らしい伝承がいまだに人口に膾炙しているということは、仁徳天皇が、御名の通り「仁」と「徳」の天皇(すめらみこと)であったことを示しているのではないでしょうか。

 先週末、わたしの親友が大阪府堺市の仁徳天皇陵の近くに住んでおり、その案内で、もう一人の友人と仁徳御陵を訪れました。と言いますのも、913日の当ブログで<「仁徳陵に電飾を」…血迷った維新・松井知事の発言!>というタイトルの時事エッセーを書いたにもかかわらず、未だに仁徳御陵を訪ねておらず、参拝もしていなかったからです。“百聞は一見にしかず”と言いますから…。

 堺市は大阪市の南に隣接する大都市。旧石器時代からの古さを誇り、中世には南蛮貿易の拠点として東洋のベニスとも言われ、安土桃山時代には自治都市として大いに栄え、現代に入っては、大阪市の一部ベッドタウン化はしていますが、平成18(2006)には政令指定都市になるなどの輝かしい歴史を有しています。

現在、人口は84万人の多くを数え、仁徳天皇陵古墳のある街、千利休の生まれた街、打刃物の街、自転車の街などを特徴とし、財政も豊かな市としてその存在感を示しています。

 仁徳天皇陵は「百舌鳥(もず)古墳群」の中心にあります。百舌鳥古墳群は、北は反正(はんぜい)天皇陵、真中に仁徳天皇陵、南に履中(りちゅう)天皇陵など、東西・南北4kmの台地に現存するだけで44基。かつては100基以上を数えたと言いますから、まことに壮観、歴史の重みを感ずるところです。

 「仁徳天皇陵」は、墳丘は全長486m・幅307m、周りの濠を含めれば全長840m・幅654m、という大きな御陵であり、世界最大級の古墳です。その大きさゆえに大仙陵と呼ばれますが、正式名を百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と言います。陪塚(ばいづか・大きな古墳の周囲にある小さな古墳)10基以上あります。

 当日は好天に恵まれ、わたし達はゆったりと散策しました。仁徳天皇陵の周囲は散策に適するように整備され、清潔に保たれています。御陵は5世紀に築造されましたが、築造当時は葺石で覆われていたであろう墳丘には緑豊かな木々が全面に茂っており、まさに歴史の永さと重さを感じさせてくれます。

 わたし達三人は鳥居前の拝所で参拝しましたが、その時折よく、白鷺が一羽、わたし達の拝礼の所作である二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)を静かに眺めていました。青い空、緑ゆたかな御陵、白鷺一羽、加えて白木の鳥居…なかなか絵になる光景でした。

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  そのあと、そこに居られたボランティアの方から仁徳御陵や堺市についての説明を受けました。ボランティアは女性の方でしたが、博識であり、声も滑らか、親切、丁寧、誠に素晴らしく、そのために、堺市への好印象を持つことになりました。全市でボランティアの方々が200名弱いるとのこと。その方々が「堺市」をこよなく愛し、誇りに思っているのが熱く伝わってきました。また、地元の人々は、仁徳天皇陵を「仁徳さん」「御陵さん」と親しく呼んでいるとのことです。

 そう考えれば、先般行われた堺市長選挙で、大阪都構想で堺市を解体・統合・再編しようとする陣営が敗北したのもわかる気持ちがします。
  当 198,431票 竹山修身 無・現 [][] 大阪都反対
  落 140,569票 西林克敏 維・新 大阪都賛成

 大阪都構想を推進する大阪維新の会は、堺市民の心情に配慮し、堺市が現状7区あるものを、たとえば堺東区、堺西区、堺御陵区などと具体的な名称にしたいと提案しない限り、大半の市民からの支持を得ないように思われます。維新サイドは市民の心情を読み間違ったのであり、上から目線ではなく、市民目線、国民目線も必要でしょう。なんだかんだと言っても、現在の大半の堺市民は「堺」の名称、「堺」の歴史に愛着を持っているのではないでしょうか。

 続いて、仁徳天皇陵から道を隔てて南にある「大仙公園」を散策しました。公園は仁徳御陵と同じ位の面積のある広大なものですが、その一部に、博物館、図書館、自転車博物館、茶室、平和塔(堺大空襲の死者・戦没者への鎮魂の塔)、日本庭園などがあります。

 公園の中を歩いていると、石碑がありましたが、そこには、昭和61(1986)5月、第37回全国植樹祭における天皇陛下のお歌が当時の大阪府知事岸昌氏により墨痕鮮やかに刻まれていました。

“大阪の まちもみどりに なれかしと くすの若木を けふうゑにけり”
                      (昭和天皇御製)

 当時、緑の極めて少ない大阪であっただけに、昭和天皇は、大阪の街全体が緑多い大都市になってほしいとの願いを込め植樹されました。その植樹された木が公園の真ん中で大きな木に育っていました。

当日は平日のため公園にいる人は少なく、わずかに幼稚園児が先生に引率され芝生の上で楽しく伸びやかに遊び、昼時のお弁当を開いている、微笑ましくおだやかな光景が印象に残っています。

 その後、公園の中にある日本庭園を一周。この庭園は、昭和の小堀遠州と言われる一流の造園家・中根金作による築山林泉廻遊式庭園です。池泉、橋、桃源台、休憩舎、廬山など見事なもので目の保養となりました。

 堺市の全てを見て回ったのではなく、そのごく一部にしかすぎませんが、中核をなす「仁徳天皇陵」と「大仙公園」をゆったりと散策して得た印象は、堺市が想像以上の史的文化都市だということでした。

 あらためて、わが国は、歴史と文化に恵まれた素晴らしい国であることに誇りを持つとともに、これを将来に引き継いでいけるよう出来るだけの努力を重ねることが肝要であることを認識した次第です。

 遅い昼食として、地産地消の野菜御膳を肴に一献を傾け、わずかの疲労を心地よく癒し、充実した一日を噛みしめながら遠くの家路へと向かいました。

歴史と文化の散策…その一端に堺市を加えることをお薦めします。

 みなさんはどのようにお考えになりますか。

次回も
時事エッセー
です

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