「日本文化に異議あり」…アメリカ大使の傲岸発言!
414回目のブログです。
“色かたち 見て何かせん その人の 言葉を聞きて 善し悪しを知れ”
(作者不詳)
人は姿形で善し悪しが分かるものではない。その人の話す内容、言葉を聞いて、判断するべきだ…。
キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が赴任し、皇居にて、オバマ大統領からの信任状を天皇陛下に手渡す儀式が行われたのは、昨年の11月19日のことでした。
わが国のマスコミは、新大使が宮内庁の儀装馬車で皇居に向かったことや、11月22日が故ケネディ大統領の悲劇の暗殺からちょうど50年にあたること、そして、極めつけは、大使がわが国で今も人気が高い故ケネディ大統領のお嬢さんであり、品のありそうな雰囲気を漂わせている美貌の持ち主であることなどにより、大々的に、超好意的に報じました。
米国の共和党は嫌いで民主党が好きなリベラルサヨクの朝日やNHKなどは特にそうですが、総じてその報道姿勢は今も続いていると言えます。
それでは、ケネディ駐日米大使はどのような人物なのか、彼女の姿かたちでからではなく、赴任以来発した言葉によって、その善し悪しを考えてみたいと思います。
■ まず、大使は、昨年末12月26日、安倍総理の靖国神社参拝に対し、公式声明で、失望(英語ではdisappointed)と言う言葉で、わが国にかなりの不満を表明しました。習俗的な、宗教的な、精神的な、慰霊を意味する“参拝”という崇高な行為に刃を向け、ケチをつけたのです。そして米国国務省も強く同調しました。
神社やお寺や教会に参拝するのがなぜ問題なのか。彼女には、次の冷厳なる事実をどう考えるのか、真面目に反省してもらいたいものです。
『1980年5月21日、昭和の殉難者のために、荘厳なミサがヴァチカン・サンピエトロ寺院で行われた。ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。
連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである』(名越二荒之助著「昭和の戦争記念館」)
これは、事後法により勝手に裁いた連合国・勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えます。キリスト教ならOKで、日本の伝統的宗教である神道ではOUTとは、あまりにも傲慢、バカにした発言であり、敬虔な祈りを捧げたローマ法王に対しても唾する者と言わねばなりません。要するに、他国の文化を排除しようとする侵略者の勝手な論理ではないのでしょうか。
■ 次に、大使は1月22日、自らのツイッター上で、和歌山県太地町の「イルカ追い込み漁」に対して「米国政府」名義で次の発言をしました。(ご丁寧にも、和文と英文の両方で)
(和文)
「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています。」
(英文)
「Deeply concerned by inhumaneness of drive hunt dolphin killing. USG opposes drive hunt fisheries.」
米大使および米政府は、なぜわが国のイルカ漁法を「非人道性」とまで表現し、強烈に非難するのでしょうか。識者によれば、それは、彼らの基本的な考え方が欧米キリスト教文化にあることだと言います。すなわち、人類は高等生物であり“gifted”(神から与えられた先天的に高い能力の持ち主)として扱われるべきである。そして、イルカ(クジラの小さいもの)も、知能が高く“gifted”として人類と同等の扱いを受けるべき存在だと言うのです。
逆に、彼らが好んで食する牛や豚は、知能の低い下等動物であり、人間が食べるために神から与えられたものであり、どんな屠殺(とさつ/家畜類を殺すこと)方法を採ろうが、何ら痛痒を感じることはなく、全く問題ではないと考えるのです。
したがって、結論的に言えば、彼らの強烈な主張は、宗教的差別、文化的差別、文明的差別を露骨に表明しているのだと見做すべきかも知れません。
さて、アメリカの、イルカ漁批判、靖国批判、について、ここに正々堂々と正面から批判したいと思います。
① ローマ法王庁・ヴァチカンに、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られていることをケネディ大使をはじめとするアメリカはどう考えるのか。ローマ法王でさえミサを行われたのであり、ましてや日本の総理大臣が、日本国民を代表して、靖国神社で鎮魂の誠を捧げるのは、それこそ、非の打ち所のない人道にもとづく高貴な振舞いであることは明白だ。ケネディ女史やアメリカ政府は人間として不真面目であるとともに品性が低いと言わざるを得ないのではないか。
② 和歌山県太地町におけるイルカ追い込み漁は400年以上も前から行われてきた伝統的漁法であり、わが国ではクジラ(イルカを含む)を漁り、食する習慣は数千年前の縄文/弥生の時代からあったのである。まさに、日本の食文化のひとつであることを基本的に理解すべきである。
③ “いただきます”…これが日本の食事の時のマナーである。わが国では、人間は、生きとし生けるもの、万物の生命(いのち)をいただいて生きているとの認識を持っており、その生命及びそれに携わる人への感謝の気持ちを込めて、食前に「いただきます」と手を合わせるのが普通なのである。
④ どうも、米大使/米政府の選民意識に問題があると思われる。大使は、米民主党のなかでもリベラル左派に位置付けられており、文化的選民意識、上から目線、自国の正義だけを固く信ずる傲慢さが顕著である。
⑤ アメリカに望みたいのは、日本の歴史、伝統、文化、民俗、精神性に刃を向け、攻撃し、抹殺しようとする動きを、即時止めてもらいたいことである。文化の押し付け、文化侵略は、きっぱりと御免こうむりたい。
安倍総理も26日のCNNテレビで「それぞれの国、地域には、生き方や慣習、文化など祖先から伝わるものがある。そうしたものは尊重されるべきだ」と穏やかに諭すように語っている。
⑥ ケネディ大使やアメリカ政府に言いたい。イルカ漁のことよりももっともっと大切なことがあることを。チベット、ウイグル、モンゴルの各民族や法輪功などの人間を大量虐殺している中国政府(中華人民共和国政権/中国官憲)に怒りの炎を燃やすべきではないのか。人間の虐殺よりもイルカ漁法に目を向ける人や国家に、人としての誠実さや国としての真の正義があるとはとうてい思えない。(それとも、真実は、チャイナマネーが民主党にかなりまわっていること、あるいは、大使の従兄のロバートケネディJr.があのシーシェパードの弁護士をしていること…にあるのだろうか)
最近のアメリカは、特にオバマ大統領になってから、わが国にいらぬ嘴をはさんでわが国民の不信を買っているように思えてなりません。(もっとも、わが国民主党の出鱈目さがアメリカの不信を拡大していったことは衆目の一致するところであり、文句を言えた立場にはないのですが…)
何はともあれ、アメリカ合衆国は、わが国の文化に刃を向けるべきではありません。刃を向けるよりも、むしろ、理解を示すべきであり、それでこそ、真の、日米親善、日米友好となるのではないでしょうか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
野宗さんの指摘に賛同。大国アメリカの動向には常に注意を払っておくべきですが、歓心を買う政治はやめるべきです。アメリカが褒めたら増長しアメリカに批判されたら委縮する、といった「自立心のない幼稚な日本」から脱すべきです。敵対国に対しても同盟国に対しても、気遣いが過ぎると反って相手国から軽視され、隣国にちょっかいを出してみようという気を起させます。今日の同盟国が明日も同盟国であり続ける保証はありません。我が国は未来永劫の世界の大国を目指すのでなく、他国からの非礼な干渉を撥ねつける力を持った「真の独立国」をめざすべきです。
投稿: 齋藤仁 | 2014年1月31日 (金) 08時25分