「基礎学力」…この低下する現実をどう見るか!
417回目のブログです。
“難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今を春辺と 咲くやこの花”
王仁(わに・古今和歌集仮名序)
難波津(なにわづ)に咲きだした梅の花。冬の間は籠っていて、今はもう春になったと言わんばかりに咲き誇っているよ梅の花が…。
王仁は古代の百済からの渡来人であり、祖は漢の高祖と言われ、応神天皇の時に来日し論語・千字文を献上したそうですが、生没年は未詳。この和歌は伸びやかで明るく、春の躍動感に溢れているなかなかの秀歌ですが、あなたはもう、上の地位についても当たり前ですよ、皆が期待していますよ、という比喩歌とも言われています。(また、この和歌は、全日本カルタ協会で催される競技用カルタの叙歌に採用されています)
わが国は、生気を欠いた不活発な社会、有効な諸策を講じなかった政治、大いなる変動・変化を拒絶した国民意識、それを助長・扇動したマスコミ、公および国家の意識を欠いた政治家・財界人・官僚・メディア・知識人・教育者などにより、失われた20年ともいうべき年数が無為に流れてきました。これに対して、安倍総理は、その根底をなすものはデフレであるとの認識のもとに、デフレ克服に、果敢に激しく挑戦している最中です。
それを何とか軌道に乗せ、上に掲げた和歌にあるような“咲くやこの花”という真の春を期待したいものです。
そうは言っても、失われたものを回復するのはなかなか難しいことを知らなければなりません。たとえば、それは、若い世代の学力の低下にも見ることが出来ます。
≪ためしに、みなさん、下記の分数式を解いてみてください≫
■ 9―3÷1/3+1=? 新入社員の正答率4割
(1/3は、3分の1を意味します)
「9―3÷1/3+1」の答えは? ある大手自動車部品メーカーが、高卒と大卒の技術者の新入社員をテストしたところ、正答率は4割にとどまった。中部経済連合会が発表したものづくりの競争力についての提言に、能力低下の事例として盛り込まれた。
この大手部品メーカーは毎年、同様の算数テストを行っており、1980年代の正答率は9割だった。
(2014/2/4・朝日新聞デジタル一部抜粋)
パソコンでは分数がわかりやすく表示されず「1/3」と表示されますが、これは3分の1を意味します。要するに
という問題であり、答えは「1」です。
私たち一般国民が、いわゆるゆとり教育によって基礎学力が大幅に低下しているのではないか、わが息子や娘の将来が心配だ、という懸念を有していることに対する生々しい現実を記事にしたものですから、多くの耳目を集めたと思われます。一般的に朝日の記事には全く信用が置けないのですが、これは他紙には取り上げられなかったことであり、朝日もたまには良い記事も書くものだと思いました。
それにしても、どうして、以前は9割の新入社員が正しい答えを出し、今は4割しか正解できないのでしょうか。これだけ差異があるのは、基礎学力の教育に根本的な問題を孕んでいたと見なければなりません。何せ、対象者が大卒・高卒の技術者であり、なお且つ好調な業界の大手企業の新入社員でもあるのですから、大きな問題ではないでしょうか。
その根本要因は「ゆとり養育」にあることは間違いないと思われます。基礎学力の低下、劣化がみられるのは“ゆとり世代”であることは衆目の一致するところであり、受け入れ企業もそのことは十分認識し、苦心を重ねながら社員教育、社員育成に当たっているのが現状でしょう。
その責は、当のゆとり世代にあるのではなく、その政策を積極的に推進した文科省一派にあり、それを支えた教育学者やマスコミ、政治家も同罪です。これは、全人民を低位に安定させようとする進歩的イデオロギストの策略であり、国家を弱体化させるとともに、青少年の知力を低下させ「生きる力」を弱めることにつながるものであり、まさに子供を人質に取り実験台にした恐るべき“大犯罪”と言わねばなりません。
教育の眼目は、生徒に「生きる力」をつけさせることであり、そのためには基礎学力を欠かすことはできません。
中経連は、国や教育機関に対して、ゆとり教育で低下した初等教育を改善するように求めているそうです。文科省はすでに、いわゆるゆとり教育を廃し、正常な路線に戻す方向に舵を切っています。現文部科学大臣の下村博文氏は文部行政に精通しており、教科書についても「日本国」の立場に立った記述(たとえば、尖閣・竹島・北方領土は日本領と明記すること)を求めるなど、正常な、良識・常識に則った路線を歩んでおり、見識と行動を誇る一級の政治家ではないでしょうか。
一方、ゆとり教育推進者は、未だに反省せず、ちゃんとした正しいゆとり教育をすれば良い結果になるのだと嘯く始末です。この言いぐさは、正しい共産主義を推進すれば、ソ連や北朝鮮や中国のような歪な国家にはならないのだと言う共産主義者の論法と全く同じではないでしょうか。現実をみてください。ソ連は崩壊、北朝鮮は独裁最貧国、中国は言論の自由も人権も皆無であり、共産主義が理想国家/理想社会の真逆だということは疑いもなく証明された事実です。
ゆとり教育を推進した人たちは、現実を無視し、サヨク観念論に染まった、無責任極まりない連中と言うべきでしょう。
ところで、今、教育力日本一は秋田県です。昨年の全国学力テストで秋田県は小/中学生の6科目で全国一位。その要因は、秋田県の教育が、先生・子供・保護者という三位一体の良好なコミュニケーションに有るからと言われています。その特徴を一部ピックアップしましょう。(1/27女性自身より引用・公立小学校の一例)
『ティーム・ティーチング』
クラスを2人の先生が担当。一人は授業、一人は机をまわり理解度を確認する。
『朝のミニテスト』
毎週2回1時間目の授業が始まる前に、全員わかるまで指導。
『計算ジム』
どうしてもわからない子に4時間目終了後“ミニ補習”を行う。
『家庭学習』
宿題とは別に、自分で計画を立てて学習するもの。おもにその日学校で習ったことの復習や次の日の予習などをノートに書いて学習。保護者は毎日チェックし、子供が翌日提出。先生はクラス全員のノートに目を通し、コメント、子供に返却。
いやあ、素晴らしいですね。先生と子供、子供と保護者、保護者と先生、これだけ毎日のコミュニケーションがあれば、子供の成績も向上するでしょうし、生活面にも好影響があるに違いありません。
わが国のすべてがこの秋田県のような立派な教育力のある市町村になり、基礎学力が充実することを期待したいと思います。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
初めてコメントいたします。
日本は今まで練度の高い労働力を売りに高品質低価格を実現してきたと思います。
しかし今若者は、自己実現を目指し、創造性や独創性が重要視されるようになっています。
日本人が創造性豊かになるのは良いことですが、練度が低ければ、それは外国人とレベルは変わりません。
それこそ、工場の従業員には、練度が求められるわけですから、日本に工場を置く必要はなくなってしまいます。
近い未来において日本の工場が失われることが確定しているのかもしれません。
掘れば資源湧き、蒔けば草が生える国と天然資源に制約を課された国とでは国家戦略が異なるはずなのですが、他所の国の良いところが欲しくて大事なものを落としてしまったように思います。
投稿: 石原佳和 | 2014年2月21日 (金) 10時56分
明治以降の日本の国力の源は人的資源であり、それは人口数だけでなく、個々の日本人の質の高さにありました。従って今日の少子化問題と質の低下は国力の土台を揺るがす問題であることを認識する必要があります。質の高さを支えてきたのは「小中の義務教育」であり、現在でも公務員試験や就職試験の一般教養問題は中学卒業時のレベルで5段階にして4以上の学力であれば7割前後は解けると思います。まさに義務教育は今日の日本で生きていくために必要な知識・教養・技術の基本をすべてを学ぶ場なのです。 しかし残念ながら近年、小・中学校に在籍していただけという、まともに勉強をしていない卒業生が激増しています。公立私立の高校も同様です。高校義務教育化が進み、まともに中学校にも通っていなかった生徒も低学力高校に合格します。しかも高校側には様々な行政上の制約があり学力不足の生徒であっても簡単に中途退学させることはできません。その結果、最初から答が明らかな問題を用意して追試を受けさせることで進級、卒業させます。私立高校も経営上の理由で確保した生徒数を卒業まで維持し続ける必要があります。 学力低下の一因に「ゆとり教育」があることは間違いありませんが、小中高の現場には上述したような保護者や生徒及び教育文化の「ゆるふん(緩い褌)」化した実態があります。 国際競争の激化した21世紀世界にあって、明日の日本人を育てるはずの日本の学校現場はいまだに「皆が同じ」集団護送方式の悪しき日本文化に覆われているのです。
投稿: 齋藤仁 | 2014年2月21日 (金) 09時07分