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2014年3月28日 (金)

“労働組合はどうあるべきか”…労組の存在価値を問う!

 422回目のブログです。

“浅緑 花もひとつに 霞つつ おぼろに見ゆる 春の夜の月”
菅原孝標女(新古今和歌集)

 浅緑色の霞に桜の花がひとつにとけあって霞み、おぼろに見える春の夜の月。…この風情にもっとも心が惹かれます。

 春のおぼろげな、ぼんやりした風情を、女性らしく柔らかに素直に歌い上げた和歌であり、更級日記の作者・菅原孝標女(すがはらのたかすえのむすめ)の名歌と言われるものです。

 いよいよ本格的な春となりました。わたし達の周囲には、梅から桜、新入生、新入社員と例年通りの風景を目にするのでしょうが、今年は一味異なる社会的事象に注目せざるを得ません。

一つは消費税の5%から8%へのアップがどのように経済と生活に影響するのか、あるいは、しないのか。もうひとつは、いわゆるベースアップが、たとえ大企業のみであったとしても、企業やビジネスマン&サラリーマンにどのような精神的、経済的反応を呼び起こすのかということです。

 いわゆる「ベースアップ」は、数年前までは、春闘と称する労使交渉で落としどころを決めていたのですが、今年は、政府、安倍総理大臣の経営陣に対しての強い要請によって実現しました。とりあえず、主要企業のベースアップ(ベア)をピックアップしましょう。

           ベア決定額      要求額
  トヨタ       2,700 ()  4,000 ()
  日産        3,500     3,500
  スズキ         800       800
  パナソニック    2,000       ,000
  東芝        2,000     4,000
  ローソン      3,000       -
  ファミリーマート  5,000       ,000
  JR西日本       500           
  餃子の王将    10,000        ,500

 賃上げができる会社は、いわゆるアベノミクスを起爆剤とする景気上向きの恩恵によって好業績を残せた優良会社であり、まことに慶賀にたえませんが、業績不振の大企業や低迷する中小企業の全てに行き渡るには、まだまだ時間がかかりそうです。

 それにしても、奇異に感じたのは、なぜ、茂木経産相や安倍総理が、経営者の団体である日本経団連(日本経済団体連合会)に、再三にわたり賃上げを強く要請したのかということです。

 安倍総理は、賃上げによって景気循環を良くしたいと考えたのは間違いありませんが、おそらくもうひとつとして、本来、国民経済の立場から労働者の賃上げを実現していく使命を有する連合(日本労働組合総連合会)が、本来の役割を果たしていないことへの強い不信から、直接、使用者側に働きかけたものではないでしょうか。

わが国の労働組合法では「労働組合とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう」と定義されていますが、現実の労組はこれから遠く離れた存在であることは衆目の認めるところでしょう。

 労組が労組ではない。そこに安倍総理の政治の力が発揮され、安倍さんの人気と支持は広がるばかり…優れた政治家独特の感性を感じないわけにはいきません。

 賃上げ交渉は、本来政府の仕事ではなく、経営者と労働組合が丁々発止と激論を交わす中で妥結点を見出すものであり、政府の仕事は、積極的な需要の喚起を行うことこそが眼目であり、それによって必然的な賃上げを招来させることにあるはずです。

 こんな状況から、わたし達は、今や、労働組合が変質、弱体化し、本来の使命をほとんど果しておらず、その存在価値さえ疑われるようになっていることに注目しなければなりません。組合無用論がでるのも当然と言えるのではないでしょうか。労働組合はどうあるべきか考えてみたいと思います。

労働組合は、純粋に本来の使命(労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ること)に忠実であるべきだ。己の役割を総理大臣に替わっていただくなんて言語道断。もしもそれに甘んじるならば、労働組合は不要(労組無用論)であると言われても反論できないのではないか。

「政治ゴッコ」は即刻止めるべき。過去、民主党政権において、労組幹部出身者が数多く大臣などの要職を務めたが、彼らには極めて問題点が多かった。

なぜならば、組合幹部は、日常、せいぜい社員(組合員)と労務担当役員に目を向けていれば事は済み、結果的に視野が狭い体質になってしまっているからである。一方、経営者は、得意先・購買先・社員・関係会社(親会社/子会社)・下請け・地域社会・学校などのいわゆるステークホルダーすべてに目配りする必要があり、必然的に視野が広くならざるを得ない。

したがって、人材論から言えば、経営者>組合幹部 それゆえに、視野の狭い体質になっているであろう組合出身者が日本のリーダーになるのは大きな誤りだということを自覚すべきなのである。

労組幹部の「労働貴族化」は断じてあってはならない。また、既得権益の死守などという愚かな行為もすべきではない。

労働組合は未来を展望する生々とした組合であってほしい。現在の組合はあまりにも旧態依然とし過ぎである。たとえば用語ひとつを取り上げても「中央闘争委員会」「戦術委員会」「闘争の進め方」など、古い、ふる~い左翼用語のオンパレード。これでは、時代をリードしていくセンスとあまりにもかけ離れていると言わざるを得ない。時代が時代。もう古き左翼イデオロギーから100%脱却すべきであろう。

連合は、公務員(国家&地方)組合と民間組合との別々の組織にしてはどうか。そもそも、官と民が同じ感覚、同じ原理で行動していること自体が誤っているのだ。

労働組合は経営陣との間で緊張感ある関係を保ち『国民経済』をベースに論陣を張るべきである。また、社会的正義、良識に従った言動をしなければならない。

さいごに。教師は、文字通り“教える師”として最も尊敬される存在であり、教育という国の根幹にかかわり、国の将来を託されているため、純粋に教育に専念しなければならないはずである。したがって「日教組」などという極左イデオロギー労働組合は、その存在を認めてはならず、解散させるべきだ。

 ベースアップの話題から労働組合のありかたを考えてみました。時代に置いてけぼりを食らわされているような、カビの生えた古い体質の労組。それを現状のまま温存しようとしているのは組合幹部ですが、実は、経営者もそれを望んでいるのです。それは、弱体化した組合のままの方が、自分の安穏な保身につながるからに他ならないからです。

 これでは、人間の品性と立場の自覚に於いて、安倍総理の方が、経営者や組合幹部よりも、はるかに上位に位置していると言えるのではないでしょうか。

 その意味から、特に組合幹部には、労働組合はどうあるべきかに関して、初心に帰って、今一度考えをめぐらせていただきたいと思います。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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