“国旗”…戦前の教科書はどう書いているか!…①
424回目のブログです。
“見るままに 花も霞も なかりけり 春をおくるは 峰の松風”
藤原良経(平安末期・摂政太政大臣)
みるみるうちに櫻の花も霞もなくなってしまった。峰を吹く松風が行く春を送っているのであろう…。
近畿では、桜の花はほとんど散ってしまいましたが、去年に比べて今年の盛りは極めて短く、あっけなく過ぎ去った感を否めません。
桜は日本を代表する花。花と言えば桜というように、古来、日本人は春には桜を愛でて自然の恩恵に感謝し、心浮き浮きと花見の宴を催してきました。
しかし、のんびりと春を楽しむのは内々のことで、わが国を取り囲む環境は極めて厳しく、ロシアのウクライナ/北方領土、中国(中華人民共和国)の尖閣諸島沖縄略奪、韓国(南朝鮮)の竹島占領/慰安婦/戦時徴用、北朝鮮の拉致/核/国交回復、米国軍事外交力の大幅低下、その他、問題は山積み状態です。厳しいと言うよりは危機的状況だと言わねばなりません。
このような時、来春から使う小学校の社会の教科書で、全ての教科書が、尖閣諸島と竹島を日本の領土と明確に表現した内容になることが判明しました。また、日本政府の見解にしたがった韓国の不法占拠、中国の領有権主張を付記しています。
これに対して、朝日新聞は4月5日の社説で、中国や韓国の主張を子供にもわかるように掲載すべきだと主張。今のままでは、中・韓の主張の根拠が分からないではないかというものです。
朝日は、中国や韓国の主張に可能な限り耳を傾け、譲るべきは譲り、妥協すべきは妥協し、頭をさげても、膝を屈しても、挙句の果ては占領されても、とにかく争いのないようにすべきだと主張。要するに、平和であれば何でもよく「奴隷の平和」を理想としているのです。奴隷でも良い、争いさえなければ良いということ。また、根底には「左翼全体主義への憧れ」が強くあると思われます。
さて、韓国は、近年反日姿勢を鮮明にし、わが国の歴史、天皇、国旗、旭日旗、自衛隊、参政権、神社参拝や諸政策にことごとくいちゃもんをつけ、わが国に対して深く内政干渉してきています。それに対して、わが国のサヨクリベラルと称する人々が嬉々として内応し、タッグマッチを組み、これらは、いよいよ「日日戦争」の様相を帯びるようになってきました。
こんな時は、冷静に、頭を冷やそうと、先日、友人の元教師から頂いた復刻版「尋常小學・國語讀本」(全12冊)を読みました。大東亜戦争(第2次世界大戦)以前の国語の国定教科書ですが、言葉、文章、内容とも優れており、香り高い文化、躍動感あふれる物語、加えて豊かな国民精神を感じさせる見事な国語教科書です。
わたしなどは、戦前は暗黒の時代であり、評価すべきものは一切なく、すべて否定すべき邪悪なもの、という日教組教育を受けて育ちましたが、この教科書を読めば、そんな気配は微塵もなく、日教組的反日サヨク教育こそ間違いではないかと思わざるを得ません。
ここに、巻十二(6年生向)にある「國旗」の項を掲げますので、一度お読みいただき、朝日などの反国歌・反国旗の姿勢と、国語読本の良識ある自然体の姿勢と、どちらが正しいのかを判断ください。
第十三課『國旗』
『今日一國家を形成する國々にして、國旗の制定せられざる所なし。國旗は實に國家を代表する標識にして、其の徽章色彩にはそれぞれ深き意義あり。今我が國を始め主なる諸外國の國旗に就いて述べん。
雪白の地に紅の日の丸をゑがける我が國の國旗は、最もよく我が國號にかなひ、皇威の發揚、國運の隆昌さながら旭日昇天の勢あるを思はしむ。更に思へば、白地は我が國民の純正潔白なる性質を示し、日の丸は熱烈燃ゆるか如き愛國の至誠を表すものともいふべきか。
イギリスの國旗は、今日の形式を具ふるまでに幾多の變化を重ねたものなり。元來イギリスは、イングランド・スコットランド・アイルランド三國の合同して成れる國家にして、先づイングランドとスコットランドと合するや、白地に赤十字の徽章ある前者の國旗と、藍地に斜白十字の徽章ある後者の國旗とを合して一旗となし、更にアイルランドの加はるに及び、白地に斜赤十字の徽章ある其の國旗を合はせて、遂に今日の如き形式をなすに至れり。
アメリカ合衆國の國旗は一定不變の部分と、變化を許されたる部分とより成る。即ち赤・白合わせて十三條の横筋は、獨立當時の十三州を表すものにして、永久に變化することあらざれども、藍地中の星章は、常に州の數と一致せしむるを定めとす。現今は星章の數四十八個なり。
藍・白・赤三色を以って縱に染分けられたるは、フランスの國旗なり。此の三色は、自由・平等・博愛を表すものなり。
中華民國の國旗は赤字の上方一隅を青にし、其の中央に十二の光芒ある白日の形を染抜きたるものなり。此の赤・青・白の三色も自由・平等・博愛の意を表せるものなりといふ。
イタリヤの國旗は、緑・白・赤の三色を縱に染分け、中央の白地中に王家の紋章を表せり。これイタリヤ中興の主エンマヌエル王、國土統一の時、其の家の紋章の色なる白と赤とに、統一の成功を祈る希望の色として綠を加へ、更に王家の紋章を配したるものなり。
かくの如く各國の國旗は、或は其の建國の歴史を暗示し、或は其の國民の理想・信仰を表すものなれば、國民の之に對する尊敬は、即ちその國家に對する忠愛の情の発露なり。故に我等は、自國の國旗を尊重すると同時に、諸外國の國旗に對しても、常に敬意を表せざるべからず。』(正漢字・歷史的仮名遣い)
なかなかのものですね。リズミカルな文体にして文章も正鵠(せいこく/物事の急所や要点)を得ており、特に、最後の「自国の国旗を尊重すると同時に、諸外国の国旗に対しても、常に敬意を表せざるべからず」などは素晴らしいと思います。
国旗に敬意を払うことは、まさに世界の常識です。朝日を筆頭とするサヨクリベラルの人々は、初等中等教育の場で、国旗を尊重せず、国歌も歌わない日教組教育労働者を熱烈に支持し、国家・国旗・国歌を蔑ろにする反日論を展開していますが、これは次世代に対する無責任な犯罪行為と言わねばなりません。
それにしても「尋常小學・國語讀本」は為になります。お薦めします。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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