韓国(朝鮮)は儒教の国?…最近のニュースから考える!
428回目のブログです。
“山鳥の ほろほろと泣く 声聞けば 父かと思ふ 母かと思ふ”
行基菩薩(奈良時代の高僧・玉葉和歌集)
山鳥がほろほろと鳴く声を聞けば、それは父が呼ぶ声か、あるいは母が呼ぶ声かと思われ、まことになつかしい…。
これは、奈良の大仏建立にも尽力した、奈良時代の大僧正である行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の人口に膾炙した有名な和歌です。今の世の中は心に潤いが少なく、乾いた感情があらゆるところで噴きだしているように思えてなりませんが、望むべくんば、人と人の関係も、国と国との関係も、いろいろ複雑な要素はあるでしょうが、すべからく、心から真になつかしいと思う繋がりでありたいものです。
そんな感懐に捉えられるのも、韓国のわが国に対する姿勢があまりにも常軌を逸しており、理解の遥か彼方にあるからに他なりません。韓国では反日が国是。従軍慰安婦像建立・謝罪と金(money)要求、テロリスト安重根(韓国では英雄)記念館建設、戦時徴用賠償命令判決、対馬盗難国宝級仏像の返還拒否、竹島問題、日本海の東海表記、日本国天皇陛下(韓国では日王と蔑む)への侮辱発言、わが国を悪しざまに罵る“告げ口外交”等々、挙げれば切がありません。
わたし達は、学校教育で、朝鮮、韓国は儒教の国であり、儒教の精神が広く国民に行き渡り社会の秩序はある意味で日本よりも理想的な形で保たれていると教えられました。また、マスメディアは朝日新聞を中心として、永年にわたり韓国は素晴らしい国であり、正しい主張を行っていると賞賛してきましたし、日経新聞に至っては、韓国を見習え、サムソンを見習え、look South Koreaと叫んできましたが、はたして現実は?
誰がどう考えても、ほとんどのマスコミは左翼反日イデオロギーによって目を曇らせ「韓国の実態」を見誤るとともに「韓国の真実」を隠蔽し続けてきたと言えるのではないでしょうか。
◆先日、フェリー「セウォル号」が沈没した事故にまつわるさまざまな話題が、わが国マスコミで連日の如く報道されていますが、その異様、異常なる事態、行動には唖然とせざるを得ません。
・船長、乗組員が率先して脱出。(韓国では“先逃”という)
・日本政府の支援(海保&自衛隊)申し出を韓国政府が拒否。
・人命救助訓練を行っておらず。
・救命ボート使用せず。使用できず。
・過大積載、過少バラスト水が常態だった。
・乗客数、救助者数を把握できず。
・政府高官がお棺をバックに記念撮影。
・支援物資等の盗み横行。
・運行会社がカルト集団の一角であった。
などなど、挙げれば切がありません。現代において、一般国民の人命を、企業ぐるみ、国家ぐるみでこれだけ軽く扱ったのは稀有なことと言わねばなりません。特に、乗船客を放置したまま、船長等が率先して脱出するとは、世界の、人間の常識からあまりにも乖離しています。
これは、儒教の精神からほど遠いことであり、このことから韓国が儒教国家だというのは大きな誤りだと判断できるのではないでしょうか。あるいは、儒教を偏執した心で歪な形として受容したために、本来の儒教とは全く異なる、人間性に欠ける似非儒教風土になってしまったと指摘できるかもしれません。
◆韓国とわが国は、昭和40年(1965)「日韓基本条約」を締結、一切の過去を清算し、共に協力して未来を築いていくことを誓いましたが、その後韓国側は、過去を嘘と捏造でほじくり返し、反日、敵日の姿勢を鮮明にしてきました。従軍慰安婦、戦時徴用賠償命令、対馬仏像返還拒否、竹島問題、日本海表記の抹殺、天皇陛下への侮辱発言、告げ口外交、…このような態度も儒教の精神とはほど遠いと言わざるを得ません。
国際条約は真摯に誠実に守るべきものであり、条約を平気でないがしろにする言動はとうてい儒教の精神ではなく、これは韓国の文明文化レベルが如何に低いかを示していると言っても決して過言ではないと思います。
◆国際美容整形学会のデータ(2011)によれば、世界で最も美容整形手術の人口割合の高いのは韓国で、世界一の整形大国となっています。美容整形は、豊胸、脂肪吸引、二重瞼、腹部たるみ、鼻形成などですが、韓国における19歳~49歳までの女性の整形施術率は20%に及び、5人に1人は整形をしていることになります。
『身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり』
(孝経<儒教の経典>)
身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり…人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないようにするのが孝行の始めである。と儒教の経典のひとつである孝経に書かれています。
整形の異常なほどの広がりは、社会が精神的に病んでいることを示していると言われており、刺青やタトゥーやリストカットへの導引となるのかも知れません。このような世界一の整形大国・韓国を儒教国家ということができるのでしょうか。
◆韓国においては、兄弟の契りを結ぶという関係は兄貴と舎弟であり、決して欧米や日本などの先進国でいう同輩を意味しないそうです。常に兄は上、弟は下であるべきで、兄弟の契りとは上下序列の確認であり、固定化でもあります。これを国家間に置き換えれば、中国が父、韓国(朝鮮)が兄、日本は弟であり、弟である日本は韓国の下、僕(しもべ)、言うがままでなければ納得できないのです(国際派時事コラム泉氏のブログから引用)。この固定化した序列原理を突き通そうとする韓国は本当に儒教の国なのでしょうか。
儒教の教義は5つの徳性、人を思いやる「仁」、利欲にとらわれずなすべきことをなす「義」、人を思いやる行動を表にあらわす「礼」、学問にはげむ「智」、言葉に嘘がなく、約束を守り、誠実である「信」を広く深く求めて行くことにあると言われます。
上に記した韓国の状態を儒教の徳性にあてはめてみたいと思います。
フェリー船長らの行動は「義」にもとり、自己の利益、自分さえ助かればよいとの、人間として最も卑しく恥ずべきことです。また、政府の対応などを見ても、精神的弛緩が蔓延しており「仁」から遥か遠く、その真逆であることが窺えます。これは儒教の精神ではありません。
朴大統領から一般国民まですべてが国際条約である「日韓基本条約」を無視し、その精神を放擲(ほうてき・投げ捨ててかえりみないこと)するのは、誠実に約束を守る「信」に反するのではないでしょうか。不信、不実、これも儒教の精神ではありません。
整形大国とは、ある種の精神の病気、悩みが一般化している証左でもあります。これも儒教の豊かな精神から遠く離れている現象だとみなすべきでしょう。
日韓の紛争に、序列原理を第一におく思考方法が顕著ですが、これも、まことの「礼」ではないのではないでしょうか。この思考方法も真の儒教ではないと考えます。
総合的に考えて、今日、朝鮮韓国は、非常にさびしく、荒廃した社会となっており、決して世界から尊敬される精神文化にはないと言わざるを得ません。
ひるがえって、わが国も、精神面では大陸化(中国化)、半島化(朝鮮化)しつつあるのではないかと危惧されており、何が何でもそれを防がねばなりません。そのためにも、今、わたし達は半島(韓国/北朝鮮)のビヘイビアを反面教師にしたいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
めったに買わないのですが 竹田恒泰「笑えるほど たちが悪い 韓国の話」を書店で手にし、思わず求めてしまいました。日本のマスコミは、しっかり報道すべきであると常々考えていたのですが、貴兄もさらに深くドリルされんことを。
投稿: 川端 光 | 2014年5月 9日 (金) 20時26分
儒教の教えと制度としての儒教国家は異なることを多くの日本人が知らないため「儒教国家=儒教精神を持った国民集団」と誤解している。尤も儒教国家を自称している中国や韓国の国民が自分たちを儒教精神を持った国民だと誤解しているのだから仕方ないかもしれない。 孔子は、個としての人間の生き方、社会の在り方を説いたが、安定した国家社会を創り維持するためには、制度としての「礼」が必要であることを説いた。漢の劉邦が荘厳な礼を受けて初めて「皇帝」であることの重みを感じた話は有名である。つまり漢や唐、宋における儒教とは大義名分や上下関係の身分、タテマエを何よりも重んじることによって社会の安定化(固定化)を図ったものである。14世紀末に誕生した李氏朝鮮も人間社会の倫理確立のためでなく、半島を支配する統治技術として儒教を重視した。その結果、農工商といった肉体労働に携わる大多数の国民を賤民として蔑視し、結果として国力を衰退させるという愚を招いたのである。 日本の徳川幕府も宋や李氏朝鮮に倣って儒教(朱子学)を官学として日本を統治しようとしたが、日本には将軍家よりも上位に天皇家が存在したため、朱子学の大義名分論はその内部から崩れた(水戸学)。その結果、儒教は日本人にとって個人や社会の倫理としての学問となり、それが今に至っている。 つまり一般の中国人・韓国人にとって儒教は人間社会の上下関係を規定する理論であって、人間のあるべき倫理道徳とは無縁なものなのだ。
投稿: 齋藤仁 | 2014年5月 9日 (金) 08時23分