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2014年5月30日 (金)

素晴しきかな古都…三度、山の辺の道を歩く!

 431回目のブログです。

“ 行く春や 重たき琵琶の 抱き心 ”
          蕪村
(江戸中期・俳人)

 過ぎてゆく春を惜しみながら、琵琶でも奏でてみようと膝の上に抱き上げてみたが、弾き慣れた琵琶だというのに、今日は何か気だるい重さを感ずるばかりで、ため息が漏れることだ…。

 蕪村の素晴らしき絵画スケッチを見るような俳句ですが、今は、晩春からすでに初夏。とはいうものの多少の気だるさを感じてしまうこの頃でもありますので、こんな時は名所旧跡を訪ねるのが一番と、先日、気の置けない友人らと10人で「北・山の辺の道コース」の一部を散策しました。

 京都駅集合 → 近鉄/奈良駅下車 →(徒歩)→【新薬師寺】→ 昼食 →【白毫寺】→【ならまち振興館】→【ならまち格子の家】→ 打ち上げ → 近鉄/奈良駅解散

  もう今まで何回か飛鳥、奈良方面を訪ねており、また全く気の置けないメンバーですから、京都駅から乗った近鉄電車のなかから、自分自身のことや、家族・友人のこと、はては政治・経済・スポーツのことまで、ワイワイガヤガヤ、あっというまに、40数分で奈良駅に到着しました。

 今回は全行程7~8kmですから、ウオーキングとしても最適。時節柄、日曜日でもあり、観光客で大勢の人で混雑しているかなと思っていたのですが、あにはからんや、かなりまばらで、ゆったりと散策することが出来ました。いわゆる連休疲れで休息している人が多いのだろうかと推測しましたがどうでしょうか。

 奈良駅から奈良公園を通り抜けるのですが、例によって鹿がゆったりとたむろしており、なかなか伸びやかな光景に、我ながら穏やかな気持ちにさせられました。道すがら、あたり一面緑に覆われており、それが青空に映えるのも、これまた佳きかなと思えるところでした。そうこうするうち、北・山の辺の道の出発地にある新薬師寺に到着。

「新薬師寺」

20145275

  天平19年(747)聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后によって創建された寺院。境内、本堂ともに、簡素にして品位あり、天平文化の素晴らしき香りを今に伝えています。本堂に安置されている本尊は薬師如来ですが、その薬師如来像を囲うように十二神将像(///////////)が厳しくも優しく守っているのが印象的です。本堂・薬師如来像・十二神将像いずれも国宝。

  新薬師寺では、現在も、薬師悔過(やくしけか)という法要を営んでいます。薬師悔過とは、過ちを悔いると言う意味で、病苦を救う薬師如来の功徳を讃嘆し罪過を懺悔して、天下泰平(てんかたいへい)・万民快楽(ばんみんけらく)を祈る法要のこと。

  悪いことが起きるのは次の「三毒」
① 貧(ひん・欲張り)
② 瞋(しん・怒り)

③ 痴(ち・愚かさ)

  この三毒によって生じる罪業(ざいごう)が穢れとなって心に蓄積されるから悪いことが起きるのであり、身を清め、薬師如来の御前で罪を懺悔することによって心の穢れを取り除いて悪いものを祓い、福を招くことができるという考えだそうです。(パンフレットより)

 薬師如来は、現世の病苦を取り除いていただける佛さまであり、阿弥陀如来は来世の幸福をとりもっていただける佛さまだという説明を受け、なるほどと納得。わたしは、さっそくわが身が病気にならぬように、薬師如来さまに、心より深くお祈りした次第です。

 次に、昼食となりましたが、奈良と言えば「三輪素麺」美味しい素麺を食べたいなと思っていましたが、たまたま選んだ食堂は素晴らしく、細~い素麺のしっかりした触感、あわせて食したどんぶり物も味佳く、軽いビールとの相性も抜群。記憶に残るものとなりました。

 気温の高いなかを少し歩き「白毫寺」の参道に着きましたが、お寺は両側から萩が覆うように繁っている階段をかなり上ったところにあり、気合を入れて上ることにしました。

「白毫寺」(びゃくごうじ)

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  霊亀元年(715)、天智天皇の皇子・志貴皇子の没後、天皇の勅願により皇子の山荘をお寺にしたそうです()。真言律宗。本尊の阿弥陀如来、その他の多くの仏像を含めて重要文化財となっています。

  白毫寺は素朴にして簡素、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、奈良盆地を一望できる景勝地でもあります。関西の花の寺としても有名で、境内は五色椿で覆われています。今はその時期ではなく“花”を見られなかったのは残念でしたが、何となく大地とつながり心休まるお寺との印象をつよく持ちました。さらに、境内には万葉の歌碑が静かに佇んでいます。

 “高円の 野辺の秋萩 いたずらに 咲きか散るらむ 見る人なしに”
笠金村(奈良時代歌人)

 “をみなえし 秋萩しのぎ さお鹿の 露別け鳴かむ 高円の野ぞ”
大伴家持(奈良時代歌人)

  上の句は、高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散っているのだろうか、見る人もなしに…、という挽歌の傑作。下の句は、おみなえしも秋萩をも踏み倒して、牡鹿が露を分けながら鳴くのだろう、高円の野で…、という意味。

 帰り道は「ならまち」を通りました。「ならまち」は奈良市中心部の歴史的町並みが残る地域を言いますが、中世、元興寺(がんごうじ)旧境内にあった筆・墨・蚊帳・晒・酒・醤油・刀などの産業の面影を色濃く残しているのが印象的でした。

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「ならまち振興館」は、奈良の伝統産業である蚊帳(かや)の製造業者の住宅として大正期に建てられたものです。典型的な和室(二間つづきの畳部屋に床の間と違い棚)と洋館風の板の間があり、洒落た雰囲気を醸し出しています。二階の板の間には、奈良市の友好姉妹都市であるキャンベラ市(オーストラリア)・慶州市(韓国)・西安市/揚州市(中華人民共和国)・ベルサイユ市(フランス)・トレド市(スペイン)などから贈られた彫像物などが置かれています。これらの都市は、かつて首都であったということで、奈良市と友好関係を結んでいるとのこと、合点。

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 「ならまち格子の家」は、明治期の伝統的な町家を再現したもの。骨太の柱と梁、見上げるような天井、特徴ある箱階段、中庭、つくばい、三和土(たたき)、加えて表格子から入る光の美しいコントラスト。見事な造りですが、材木は銘木の産地で有名な奈良県の吉野の山奥から切り出して持ってきたのでしょうか。京都の町家とは一味違った堂々とした造作には驚きを覚え、一度はこんなところに住みたいなと思わせてくれる程でした。

 これで今回の奈良散策は終わりましたが、さいごは、例によって、近鉄/奈良駅の近くで冷たいビールをごくり、散策の疲れを癒しました。

 それにしても、古都の散策は尽きるところがありません。千年を優に超える古の時代の雰囲気を、あるいはその時代精神を、ある所では明瞭に、ある場所ではおぼろげに、現代のわたし達の面前に連綿として伝えてきている「日本の歴史」の偉大に、あらためて感銘を覚えました。

素晴しきかな日本の歴史! みなさんにも歴史の散策をお薦めします。

次回も
時事エッセー
です

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