「政党名」…これは覚悟を示す言葉である!
448回目のブログです。
“国のため 民のためにと 思ふこと 夢のうちにも えこそ忘れね”
明治天皇御製(明治36年)
国家のため、国民のために心を砕いていることは、夢の中であっても忘れることができようか…。
明治の御代は、新生日本が政治、文化、経済、技術に躍動感あふれる生命の泉を湧き上がらせた時代でしたが、その根底に、明治大帝の、御製にあるような“大御心”が大脈として流れていたことに深い感銘を覚えざるを得ません。
わが国は、明治維新後146年になりますが、今、政治の実態はどのようになっているのでしょうか。最近の報道から考えてみます。
■ 維新の党、53人で発足野党第2党に 共同代表に橋下・江田氏
日本維新の会と結いの党の合流による新党「維新の党」が21日、結党大会を開いた。所属国会議員は53人(衆院42人・参院11人)で、民主党に続く野党第二党となる。
代表には旧維新の橋下徹代表(大阪市長)と結いの江田憲司代表が就任した。橋下氏は「改革勢力の結集に向け本気のメンバーを集める。安倍晋三政権の対抗軸をしっかり示す」と訴え、江田氏は「政策の一致を前提として(野党を)どんどん糾合していかなければ安倍政権に対抗できない」と意気込みを述べた。
(9月21日・産経新聞一部抜粋)
党名をめぐっては「日本維新の会」と「結いの党」がガタガタし、結局、二つの政党名を足した形で、日本維新の会+結いの党=「維新の党」となりましたが、途中段階では、橋下氏が「『あ党』でも『い党』でも『う党』でも何でもいい」と投げやりになるほど混乱した時もありました。
しかし、どうして「日本維新の党」にしなかったのでしょうか。新党ですから、心意気、志、覚悟を明瞭にした党名が選択されるだろうと思われていましたが、官僚出身のリベラル(左翼)である江田氏が強硬に反対したために「日本」という言葉を捨て去ったと言われています。
「名は体をあらわす」(Names and natures do often agree.…名前と性質、本質、実態とはしばしば一致する)と言うことわざがありますが、果してそうなっているのかどうか、わが国の現在の政党名を、振り返ってみましょう。
■ 国会に議席を有する政党(平成26年9月21日現在)
[政党名] [衆議院] [参議院] [計]
自由民主党 295(61%) 115(48%) 410(57%)
民主党 56(12%) 59(24%) 115(16%)
維新の党 42( 9%) 11( 5%) 53( 7%)
公明党 31( 6%) 20( 8%) 51( 7%)
次世代の党 19( 4%) 4( 2%) 23( 3%)
みんなの党 8( 2%) 12( 5%) 20( 3%)
日本共産党 8( 2%) 11( 5%) 19( 3%)
生活の党 7( 1%) 2( 1%) 9( 1%)
社会民主党 2( 0%) 3( 1%) 5( 1%)
新党大地 1( 0%) 0( --) 1( 0%)
新党改革 0( --) 1( 0%) 1( 0%)
沖縄社会大衆党 0( --) 1( 0%) 1( 0%)
新党ひとりひとり 0( --) 1( 0%) 1( 0%)
(無所属) 11( 2%) 2( 1%) 13( 2%)
<合 計> 480(100%) 242(100%) 722(100%)
(小数点以下四捨五入)
いかがでしょうか。それぞれ個性ある政党名ですが、何となく、名は体を表しているように見えます。たとえば自由民主党。自由主義による言動自由と民主主義による平等民主を合体させた広範囲な“中道”政党をあらわしています。
実際に、立党の党是である「憲法改正」についても、改憲に反対する政治家(加藤紘一・古賀誠・河野洋平・野中広務など)を首領(ドン)として仰いでいたのですから、幅が広いと言えば言えますが、いやはや、自由民主党は鵺(ぬえ・頭はサル/体はタヌキ/尾はヘビ/四肢はトラ/トラツグミに似た陰気な声で鳴く正体のはっきりしないさま)のような存在であると言っても過言ではありません。
一例として古賀氏の言動を。古賀氏は元日本遺族会会長、靖国神社総代を担いながら、総理の靖国参拝には腰を引き、あの南京大虐殺記念館にうやうやしく献花するとともに、現行の日本国憲法を極めて高く評価し「憲法の平和主義は“世界遺産”だ」と発言。この表現は左翼リベラル派の護憲論者の趣旨と全く同一。(立党の精神に明白に違背しているのですから、離党すればよいと思うのですが、権力と金欲しさに離党しないのでしょう。…彼らに精神の高潔さを求めても八百屋で魚を求めるようなものと言うべきでしょうか)
自民党がここまで政治思想/信条の幅が広いということは、反面、まったく無責任な政党でもあることを示していることは明白です。これは極めて大事なことで、いざ、国家の危機が生じようとする時、高度な政治的判断ができないおそれがあることを認識しておかねばなりません。
政党名一覧を見て、まず感じたことは、次のような政治的スタンスを明瞭に示す政党が見当たらないことです。
・日本国民党(日本国民に力点を置く中道右派)
・国民党(市民よりも国民に主眼を置く)
・保守党(ゆるぎない保守政治を志向)
・自由党(自由主義を前面に押し出す)
・大衆党(一般大衆の要望に応える政治)
・市民党(国民意識よりも市民意識を上位に置く政治)
このたび、維新の党が発足しましたが、できれば「“日本”維新の党」として欲しかったと思います。今のわが国をとりまく環境から判断すれば、日本と言う冠名を付ける方が、主張も明確になり、国民の支持も受けやすくなったのではないでしょうか。最近におけるわが国民の、自虐・反日メディアに対する厳しい非難を見れば、時代の潮流くらいは分かりそうに思えるのですが…。
それにしても、どうして、国民党とか保守党とか自由党名の政党がないのか、まことに不思議です。
政治が、過去・現在・未来にわたる国民の営為に対して、深い情熱と高い見識をもって心を添えることだとするならば、それに相応しい名前の政党が生れてはじめて、日本と言う国が真の独立(福沢諭吉の言う“独立自尊”)を果たすことが出来るのではないでしょうか。
あらためて、政治家には、真に、国家のため国民のための政治を志向してほしいと念願します。また一方、わたし達はひとりの国民として、たとえ小さなことであっても、為すべきことは為さねばならないと思う次第です…。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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