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2014年10月17日 (金)

ジェンダーフリー…これはギスギスした思想だ!

 451回目のブログです。

“月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど”
大江千里
(古今和歌集・百人一首)

 秋の月を見ていると、あれやこれやと悲しいことが想起されるが、これも秋ゆえだろうか。秋という季節は誰にでもやってくるものであり、私ひとりにだけ訪れるものではないだろうに、何か自分ひとりがもの悲しい気がしてならない…。

 108日、月が地球の影の中に完全に入ってしまう「皆既月食」が生じ、月が赤銅色のまん丸い姿になるという極めて幻想的な光景を目にすることが出来ました。それでもやはり、時は「秋」、見るは「月、和歌にあるように多少もの悲しい気持ちにさせられたのもひとつの情趣というべきかも知れません。

 さはさりながら、現実の社会は、錯綜を重ねつつ、どろどろとした思惑の中で複雑な動きをしていると見なければならないでしょう。安倍政権も3つの矢を掲げ、1と2の矢はそれなりに効果を表していますが、第3の矢、成長戦略ではなかなか際立ったものが見えてきません。

 その政策の中に女性の積極的な活用があり、女性の就業率アップと平成32(2020)における女性管理職率を30%に引き上げる目標を掲げました。国際比較(2012)を見てみましょう。

        管理職の女性比率 就業者に占める管理職の割合
  アメリカ    43.7%      15.9%
  イギリス    34.2       10.

   
ドイツ     28.6        4.
  日本      11.1        2.

 この数字だけを見れば、日本の管理職の女性比率が下位にあることは事実ですが、就業者に占める管理職の割合が、アメリカは日本の6.6倍もあることを考慮しなければなりません。国によって労働形態や管理職の定義が大きく異なっているのですから、単純比較は物事の本質を見誤ることになりかねません。慎重な議論が必要ではないでしょうか。

 女性の社会進出、女性の活性化、女性の重用などが叫ばれる今日、あらためて「ジェンダーフリー」「男女共同参画」について考えてみたいと思います。

 ジェンダーとは、もともと思想性はなかったのですが「社会的・文化的に形成された生別」という意味となり、女性は歴史的に、社会的に差別されてきたのでそれを解消させようという狙いを含むようになっています。

 そういうことから言えることは、それぞれの概念は異なってはいても、ジェンダーフリー(性による社会的、文化的差別をなくすこと)、フェミニズム(女性の権利拡張の思想と運動)や男女共同参画(Gender Equality)の最終目標は、男女の差別はもとより、男女の区別もなくそうというところ生まれながらの性の区別、男女の区別をも全部なくすとにあります。

 その動きは現実化されてきています。学校教育では、①男女混合のクラス名簿、②運動会も男女混合、③体育着は男女共通のハーフパンツ、④男女同室での着替え、⑤過激な性教育などです。

 クラス名簿などは、実用的便利さで様式を決めるべき。男女別が実用的ならば、1年生は男児が先、2年生は女児が先としてもよいし、もしも男女混合が実用的とするならばそれもそれでよいのではないでしょうか。ジェンダーフリー論者は常に男が先だからけしからんと言いますが、五十音順だと、赤木くんが先、渡辺くんは後ろとなり、同じ論でいけば、これは差別ではないのかと言いたくなります。とにかく都合主義が過ぎます。

 一般社会では、文部省自らが子育て支援パンフで広報したことがあります。子供の名前に「女の子には愛らしい名前を、男の子には強そうな名前を」つけることを否定、「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼりといった節句のお祝い」を否定、女の子に「かわいい」男の子に「かっこいい」とほめることを否定、男の子に「女の子に優しく」女の子に「礼儀正しく」と教えることは「女らしさや男らしさの押しつけ」であり駄目。

 昔話や童話にまでも。おじいさん()が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん()が川へ洗濯に(家事)といった昔話「桃太郎」は男と女の役割を固定化するという偏りがあり、子供に読ませてはいけないと主張します。

これでは、古典という古典のすべて、古事記・万葉集・源氏物語から漱石や三島由紀夫までを読むなということにつながります。古典は、その時代を背景に書かれたものが長い歴史のふるいに掛けられて残ってきているものであり、民族の貴重な遺産であるとともに人類の遺産でもあります。かれらには本当の“知性”が欠けていると言わねばなりません。

 さらに、ジェンダーフリー論者は、家族団欒の家庭で育つよりも、両親がいなくても片親しかいなくても、そのほうが力強く立派に育つと主張し、家族や専業主婦を蔑視し、敵視します。

かれらはどうして家族というものを蔑視、敵視するのでしょうか。わたしには、それを主張する人々は、育った家族の環境が和やかさを欠き、歪であったために、一般的な世間の人を妬ましく思い「破壊したい」という深層心理に動かされたものだと考えます。気の毒としか言いようがありません。

 今、社会も家庭も不安定化し、自殺者は年間3万人を超し、誘拐、殺人、いじめが多発しています。子供の受ける被害も軽視できず。そうであれば、せめて、家族だけでも喜怒哀楽の感情を心から示しあえる場とすることが大切であり、ジェンダー論者のような硬直したイデオロギー優先社会(反文化・反歴史・反日・反国民・サヨク・破壊)を目指すことは極めて危険なことと言わねばなりません。

 かれらが、わが国の永い歴史、豊穣な文化、豊かな人間性空間に嫌悪を抱き、牙を剥き、世の中の全てを、女性差別という一元的な上下関係からしか見ないのは、一種の心の偏りがあるために、多様な見方、多元的な見方ができないからでしょう。

 女性問題や家族問題は、一元的な立場からの議論ではなく、多元的な立場からの議論ですすめていくことが望ましいと考えます。それにしても、ジェンダーフリーは心の乾いたあまりにもギスギスした思想ではないでしょうか。もっと穏やかな世の中にしたいものです。

 さいごに、世界の著名な女性の言葉を引用しましょう。

  マザーテレサ(ノーベル平和賞受賞)

男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのが理解できない
  彼らは世界に分裂と不幸をもたらし平和を破壊するだけ

  マーガレット・サッチャー(英国首相)

女性運動を声高にやる人は嫌いです。
  男女の別に関係なく、
  人間は能力で決
まる。

社会なんてものはない。
個人としての男がいて、
個人としての女がいて、
家族がある。
ただそれだけだ。
There’s no such thing as society.
There are individual men and women and there are families.

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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