歴史を学び、歴史に遊ぼう!
469回目のブログです。
“時は今は 春になりぬと み雪降る 遠き山辺に 霞たなびく”
中臣武良自(なかとみのむらじ・万葉集)
季節は今まさに春になったというので、雪が降り積もる遠い山のあたりに霞がゆったりたなびいている…。
望むや一日も早い本格的な春の到来。この待ち焦がれる春は、万葉集の和歌が詠われた飛鳥・奈良時代と今現在の平成の御代とでは、周辺の景色は変わっていても、同じ情趣を感じさせてくれるのではないでしょうか。
わが国は永い歴史を刻んでおり、同じ春にしても、現代だけでなく、上古・古代・中世・近世の春を、絵画や和歌・俳句などの歴史的文化遺産によって、その情趣を重層的に味わうことができます。
それができるのも、わが国の先人が歴史というものを重んじ次代につないできたからに他なりません。歴史と言うものは一朝一夕に造りうるものではなく、先人が苦心に苦心を重ね営々と築いてきたものです。
その先人に感謝しつつ、わが国の豊穣な歴史を学び、歴史のなかで遊び、考えることが肝要ではないでしょうか。歴史を学び歴史に遊んではじめて、豊かな心の持ち主になっていくものだと思います。その意味で、子供たちにはわが国の豊穣で偉大な歴史を学ばせることは極めて重要であり、学校教育などでは、それなりに教えられているものだとばかり思っていました。
ところが、現状は真逆で、目も当てられない状況であることにショックを隠し得ません。
先週の2月11日は「建国記念の日」。それに先立ち、日本青年会議所が建国に対する意識調査を実施。「日本が建国された日はいつか」を正しく「2月11日」と答えた人の割合に注目ください。(産経新聞2/11より引用)
■ 自国の建国・独立の日を正しく答えた人の割合
中 国 100%
カナダ 90%超
米 国 90%超
フランス 80%超
ドイツ 70%超
イタリア 70%
日 本 19.3%
18~24(歳) 16.2(%)
25~39 14.9
40~59 19.4
60~ 44.3
「建国記念の日」は、文字通りわが国の建国を記念する日であり、歴史のスタートとなる日です。大東亜戦争(第2次世界大戦)敗戦までは、神武天皇の即位の日(2月11日)を建国の日と定め「紀元節」として祝ってきましたが、戦後GHQ(占領軍)の命令で廃止。昭和41年(1966)「建国記念の日」として復活したものです。
自国の建国の日を知っている国民がわずか19.3%。驚くべき数字ではないでしょうか。自国の歴史に無知な人間、すなわちアイデンティティidentityを欠いた根無し草は、世界から決して敬意を払われることはなく、世界に伍していくことはかなり難しいと思います。
「建国記念の日」を認識する人が極めて少ないのは、おそらく、日教組、マスコミ、サヨクの反日的イデオロギーによる社会風潮の醸成によるものだと思いますが、今や世界で勝負していかなければならない時代、誤りと言うよりもアナクロニズム(anachronism・時代錯誤)と言っても言い過ぎではありません。
ここで、わが国の歴史を、単純に永さだけを、おおざっぱに振り返ってみましょう。
【平成27年・西暦2015年】は
・神武天皇(BC660)から2675年(皇紀)
・大化の改新(645)から1371年
・平城遷都(710)から1305年
・平安遷都(794年)から1221年
・徳川幕府(1603年)から412年
・明治元年(1868)から148年
・日清戦争の開戦(明治27年<1894>)から121年
・日露戦争の開戦(明治37年<1904>)から111年
・大正元年(1912)から104年
・第一次世界大戦の開戦(大正3年<1914>) から101年
・昭和元年(1926)から90年
・第二次世界大戦の開戦(昭和14年<1939>)から76年
・第二次大戦の日本と米英との開戦(昭和16年<1941>年)から74年
・沖縄戦・広島長崎原爆投下・終戦(昭和20年<1945>) から70年
・GHQ主導による新憲法公布(昭和22年<1947>)から68年
2600年以上の永い歴史には、山あり谷あり、内外の危機も幾度とありましたが、それを民族の知恵と不屈の精神で克服し今日に至っています。特に、近代国民国家の建設を志した明治維新から昭和、そして再度近隣諸国との摩擦に右往左往している今日の姿から、わたしは、現近代の印象を「骨太の明治」「搖動の大正」「激動の昭和」「不安定の平成」と見ていますが、時代の特徴というものを自分なりに考えることも大切ではないでしょうか。
わたし達は、上古、古代の歴史事象については、物的証拠のないものは嘘であり、認めてはならないという、日教組・サヨク流の無味乾燥な学校教育を受けてきました。ところが、今や、伝承・伝説に過ぎないと言われていたにもかかわらず、その事実を証明する考古物が続々と発掘・発見されており、古代人の豊かな精神を信じるべき時が来たと考えます。
もはや、左翼やイデオロギストや唯物主義者の唱える単純な唯物思想は、わが国の歴史を素直に見ていく立場とは真逆のものであり、有害以外のなにものでもありません。
そういう意味で、和銅5年(712)に書かれた日本現存最古の歴史書である「古事記」(こじき・ふることふみ)や、養老4 年(720)に完成した奈良時代の歴史書である「日本書紀」(にほんしょき)などに今一度、曇りのない目で触れてみることも大切なことだろうと思います。
さあ、あらためて「建国の物語」に思いを馳せようではありませんか。
今や難しい国際環境ですが、歴史に学べば、聖徳太子の事例もあります。
“日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや”
(隋国煬帝あて国書の冒頭の言葉)
上古、古代人の凛とした精神、加えて国家体制を整えるための豊かな創造力には、その時代背景のなかで苦闘し、あたらしい時代をつくろうとする“覚悟”を見ることが出来ます。歴史に接する姿勢としては、その時代精神に感応することであり、現代のイデオロギーに基づいて徒にこき下ろしたり、傲慢に否定したりするものではありません。
歴史の前には素直になりたいもの。そして、歴史を学び、歴史に遊ぼうではありませんか。
みなさまはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
| 固定リンク
コメント