胡散臭さ紛々「9条にノーベル平和賞」運動!
467回目のブログです。
“雪のうちに 春は来にけり 鶯の こぼれる涙 今や解くらむ”
二条后(平安前期・古今和歌集)
まだ雪が残っているうちに春がやってきてしまいました。谷間に籠り春を待ち焦がれている鶯の、鳴いてこぼした涙がっていたのも、今頃は融けているのでしょうか…。
2月4日は立春。これからは徐々に水も温み春の兆しを感ずるようになるでしょうが、春の訪れで際立つものは、なんと言っても鶯の鳴き声でもあります。そして加えれば、世の中の雰囲気が近年のようなギスギスしたものではなく、もっともっと常識的に和やかであれば、これに過ぐるものはありません。
ところが、変な動きをするサヨクびとがまたまた蠢動(虫がうごめくさま)し始めました。
■「9条に平和賞を」再推薦
国会議員ら80人
「戦争放棄を定めた憲法9条を保持してきた日本国民」をノーベル平和賞に推薦する動きをしている市民団体「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会は、衆参両院の国会議員61人の推薦状をノルウェーのノーベル賞委員会へ送った。ほかに大学教授ら19人も推薦したことを確認した。
昨年はノーベル賞委員会に候補として受理されたが、受賞しなかった。
(2015/2/2 共同通信一部抜粋)
昨年のノーベル平和賞は、インドの子どもの権利活動家であるカイラシュ・サティーアーティ氏(男性61歳)とパキスタンの人権運動家であるマララ・ユサフザイさん(女性17歳)。マララさんは、一部にはあまりにも若すぎるとの批判もありましたが、自由世界の首脳からは暖かく祝福されました。
一方“9条に平和賞を”は数ある候補のひとつとして受け付けられましたが受賞には至りませんでした。
9条に平和賞をという考えを持つ国会議員が61人も居るとは驚きであり、彼らは本当に国際政治の本質と事実を真面目にきちっと理解しているのでしょうか。それにしても、彼ら9条信奉者の独善的な言動には大いなる違和感を抱かざるを得ません。
①ノーベル平和賞の推薦人でもない人が勝手に推薦し、平和賞を求めるのは自らの主義主張を宣伝するための政治利用である。
②第2次世界大戦(大東亜戦争・太平洋戦争)から70年、戦後平和が維持されてきたのは日米安全保障条約と自衛隊のおかげだという一般的な判断と、憲法9条があるからだとするサヨク平和主義者の主張の二つが対立しているのが事実である以上、片方の主張に基づく平和賞推薦は、国論の二分を国際的におおっぴらにする反日的行為と言えるのではないか。
③ノーベル賞と言えば、日本人は価値の高い賞だと思っており、それを独善的なイデオロギーの下に置くべきではない。こんな動きは日本人としての美学に反するし、品性を疑わしめるものである。
ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞であり「物理学」「化学」「医学生理学」「文学」「経済学」および「平和」の6分野で顕著な功績を残した人物に贈られますが、平和賞は、しばしば政治的に使われ物議を醸しています。
これは?とクエスチョンを投げかけたい人などをピックアップしてみます。
・金大中(2000年・韓国大統領):彼が受賞のための工作を行ったことや、北朝鮮に5億ドルの不正送金を行ったことが暴露された。金で買った平和賞である。
・ジミー・カーター(2002年・元米大統領):米政府がすすめようとするイラク戦争に懐疑的な立場のために、それを委員会が後押しした政治的な受賞。
・アル・ゴア(2007年・米元副大統領):反ブッシュを後押しした受賞。
・バラク・オバマ(2009年・米大統領)の場合を考えてみましょう。オバマ大統領は未だ就任後時間が浅く政治的実績が全くないにもかかわらず受賞しました。その理由は、①核廃絶を目指す。②多国間外交を中心とし国連やその他の国際機関を重視する。③深刻な気候変動に建設的に対処する。と演説したことであり、受賞の理由は「期待と希望」なのです。
要するに、アメリカをこうしたい、世界がこうあってほしい、との願望を述べただけであり、政治的成果で受賞に至ったものではありません。核は一発も削減していないし、戦争は継続中。こんな願望と期待で評価されるならば、歴代最悪の総理大臣との評価が定着している鳩山元総理が受賞してもおかしくはありません。なぜならば、鳩山氏は何の根拠もなく、単なる願望で炭酸ガス(CO2)を25%削減すると約束したのですから。
おかしいでしょう。政治は結果。委員会はかなり偏っているのではないでしょうか。こんな状況では、期待と希望は裏切られ、絶望と失望を味わうことになるものと思っていましたが、やはりそうなっていたようです。ノルウェー・ノーベル委員会のヤグランド委員長は昨夏声明を表し、オバマ米大統領はノーベル平和賞を直ちに返上するよう考え直すべきだと語ったと言われていますから。
そんなこんなで、ノーベル平和賞については一喜一憂すべきではなく、その政治的効果を狙った動きなどを含めて冷静に受け止めるべきだと考えます。それはそうであっても、わが国の9条絶対護持派が“9条に平和賞を”という運動はサヨクイデオロギー丸出しの、戦争と平和に無知な、自己中心主義の幼稚なものだということを厳しく指摘したいと思います。
9条を絶対的に信奉する「9条原理主義」に甘い理解と賛意を示すメディアも、国内でかなり幅をきかせていますが、メディアであればこそ、世界の現実に目を向け、決して自己イデオロギーに陶酔すべきではありません。
今年は戦後70年です。戦後70年を静かに振り返り、事実の中に真実を見出しつつ、これからの日本、世界の中の日本について、謙虚に考えを廻らし、私ではなく公にすこしでも貢献することが、わたし達国民のすべてに求められているのではないでしょうか。
その意味では、道をはずすことは避けねばならず「憲法9条にノーベル平和賞を」などという運動はイデオロギー紛々の、胡散臭く、邪な道であることを指摘しておきます。
わが国はそうでなくても周辺諸国から大攻勢を受けており、それに敢然と立ち向かうためにも、甘い考えから脱し、強靭な精神を必要としているのではないでしょうか。
見てごらんなさい。中国(中華人民共和国)ではノーベル平和賞に対抗して「孔子平和賞」なるものを設け、政治的に世界を懐柔しようと躍起。さらには「孔子学院」なる工作機関を世界の大学に設置し諜報工作活動を活発化させています(わが国では既に14大学に設置済)。泉下の孔子さまも大変迷惑に感じておられるのではないでしょうか。
甘い甘~い考えはもう捨て去りましょう。
みなさまはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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