社外取締役不要論・・・アメリカ万歳の時代は終わった!
473回目のブログです。
“晴れてよし 曇りてもよし
富士の山 もとの姿に 変はらざりけり”
山岡鉄舟(幕末~明治の幕臣・政治家・思想家)
晴れている時の富士山の姿はこの上もなく美しいが、たとえ曇っていても素晴らしいのだ。富士という山の姿は、もともとの素晴らしさには変わりないのだから…。
人はとかく自分の不幸を周囲の環境のせいにしがちですが「本来あるべき自分をただそのままに生きていけばいい」と、哲人であり剣の達人でもあった山岡鉄舟は詠っています。
その姿を、不尽山(尽きることのない山)あるいは不二山(二つとない山)とも称えられた富士山に求め、本来の姿は変わっていないという真理のもとで、泰然自若たる人生を送ることを示唆したものでしょう。
そうは言っても、人間は弱いもの。太平洋戦争(大東亜戦争)に敗れてからすでに70年経ちますが、わが国のエリート(官僚・政治家・大企業経営者など)は、何でもアメリカにおんぶに抱っこ、アメリカの言うがまま、お説ごもっとも、基準をアメリカに置くことで、自ら深刻に思考することを停止したままとなっています。
そのひとつとして、企業の社外取締役設置を強化する政策にスポットを当てます。
■ 金融庁と東証、企業統治指針を正式決定
社外取締役2人以上に
金融庁と東京証券取引所は5日、独立性が高い社外取締役を2人以上選ぶように促すことなどを盛り込んだ企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)を決定した。東証に上場する企業を対象に6月1日から適用を始める。
(2015/3/5日本経済新聞一部抜粋)
近年、コーポレート・ガバナンス(corporate governance)とかコンプライアンス(compliance)という外国語が大手を振って使われていますが、どれだけの人がこの意味を理解し、感覚的に身に着けているでしょうか。生半可なまま使っているのが実態ではないかと考えます。
コーポレート・ガバナンスは企業統治と訳されていますが、どうにもおさまりが悪く落ち着きません。企業は統治し統治されるものという言語感覚は、米国でのものであり、日本企業としては「企業規律」と捉えるべきではないでしょうか。
コンプライアンスは、法令遵守、あるいは企業が法律や倫理を遵守することという意味で使われますが、コーポレート・ガバナンスと同様に、企業経営者やビジネスマン、一般国民も、いまいちピンと来ず、浮ついた言葉として飛び交っているのが実態でしょう。
企業は自らを豊かにすることを目的とします。その豊かさには、企業規模・売上高・利益・給与水準・配当・知的財産・ブランド価値・歴史・社会貢献・利害関係者との安定的調和などが挙げられます。
企業が健全かつ効率的な経営を達成するための仕組みがコーポレート・ガバナンス、企業統治、わたし流に言えば「企業規律」となります。
わが国政府は現在、業務執行を監視する重要な役目を担うのが、取締役会内に設けた指名委員会、報酬委員会、監査委員会など各種委員会、およびその構成メンバーとなっている社外取締役であるという位置づけで、株主重視の米国型経営を目指すよう指導しています。
その観点から、社外取締役を2名以上にせよとの命題がくだったのですが、はたしてこれで意欲満々たる企業が続出するのか検討してみましょう。
①株主至上主義、短期利益偏重の米国型経営が、日本人の社会観、企業観、人生観に合うのでしょうか。非常に疑問に思えてなりません。
②経済評論家の山崎元氏は、社外取締役がかえって足を引っ張るケースとして、三つのパターンをあげています。
・経営者の「お友達」
・関連官庁の「元官僚」
・無能で熱心な「お荷物」
まさに言いえて妙。はたして、経営者のお友達で社長を解任させられるかどうか、誰が考えてもそれは有りえないこと。ということは、社外取締役は現実的には機能しないことを示すものではないでしょうか。「泣いて馬謖を斬る」(ないてばしょくをきる)なんてことは諸葛孔明だからできることであり、お友達の社外取締役ではまったく無理というもの。それでも機能するはずだという人は、現実の人間関係に極めて暗く、机上の空論を述べているに過ぎないことを反省すべきだと考えます
③日進月歩、生き馬の目を抜く企業社会において、社外取締役と言えども、企業の事業内容を理解せずして、高度で責任ある判断を下せることはできません。もしも判断するとしたら無責任極まりないと言っても言い過ぎではないでしょう。社外取締役の内、事業内容をわかっているのは極々一部に過ぎないのが実情です。
④現代の企業に求められる大きな要素のひとつに「意思決定のスピード」があります。社外取締役を多数置くことにより、意思決定が必然的にスピードダウンすることは火を見るよりも明らかではないでしょうか。
⑤社外取締役の増員は『規制の強化』(堀江貴文氏のことば)にあたります。規制の強化は経済政策アベノミクスの第三の矢である成長戦略の足を大きく引っ張るものであり、規制はずしが成長の基本であることを今一度理解しなければなりません。一般的に言って、行政が規制に規制を重ねるのは、何か隠された薄汚れた狙いがあると言われています。
かつて企業性悪説が一世を風靡しました。確かにその要素は企業が本来的に持っていることではありますが「角(つの)を矯(た)めて牛を殺す」(小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ)ことは避けねばなりません。どんな立派な人にも、少々の欠点はあるではないですか。企業が伸び伸びと活動することが経済の成長に欠かせず、それも、“日本流+先進国の一部良いところ”を目指していくべきだと考えます。それでは、どうあるべきでしょうか。
①法制されたり行政指導された社外取締役制度はなくし、個別企業が
自由に判断する。
②そのかわり、専門アドバイザー的顧問を多数置くことにする。
(技術・開発・営業・システム・環境・教育・法律など)
③執行役員制度・指名委員会・報酬委員会・監査委員会など、日本企業に馴染まないものはいったん白紙に戻し、個別企業に合った姿を模索する。
④取引所は、不正のチェックのため、会計監査法人を数年で変更するというルールを導入する。
⑤顧問弁護士制度は従来通り。
一般企業における社外取締役制度は本当にうまく機能しているのでしょうか。わたしにはそうとは思えないのですが…。
富士山は富士山。もう、米国型グローバルスタンダードに少し距離を置くべき時が来ました。米国型そのままの導入は日本企業を弱体化させるばかりです。企業の活力の源は日本人が有している創造力と仕事に対する情熱ではないでしょうか。日本人に合ったルール、システム、制度を創造してこそ、わが国の底力を発揮し、未来を展望できるのではないかと考えます。
みなさまはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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