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2015年4月24日 (金)

エネルギーミックス・・・原発・新エネ・再エネ・省エネ!

 478回目のブログです。

 

 “川船の くだるはやすき 世なりとて 棹に心を ゆるさざらなむ”
 
              明治天皇御製
(明治39年<1906>

 

 川舟が川の流れにそって下るのは容易であろうが、棹をしっかり操り、決して油断してはならないことだ…。

 

 川は、流れに逆らって上る方が易しいと言われます。流れに沿って下る時は、岩や滝など危険が立ちはだかっており、まさしく油断は禁物です。

 

 いよいよ4月も下旬、いつまでも桜の花に浮かれてばかりはおられません。宴は一時の心のやすらぎを覚えさせますが、それが終われば、日常の厳しい社会情勢の中に立ち、みずからの仕事に精一杯力を出すことを心に誓うはずです。

 

 世の中は、株価も日経平均が20,000円を越す場面も出現し、また大企業を中心としてベースアップが実現した会社も多く、何となく多少は明るい経済環境のように見えますが、明治天皇の御製にあるように、国の政策や国民の精神に油断があっては元も子もありません。

 

 国としては、まだまだ難問は抱えたままです。国内では、財政再建、地方の衰亡、少子高齢化、国外では、近隣諸国(中・韓・北・露)との攻防などなど、挙げれば切がありませんが、なかでも喫緊(きっきん・さしせまって重要なこと)の課題が「エネルギー問題」ではないでしょうか。

 

 高浜原発再稼働差し止め、福井地裁が仮処分決定

 

  福井地裁は14日、運転を停止している関西電力高浜原子力発電所3、4号機(福井県高浜町)の再稼働の差し止めを関電に命じる仮処分を決定した。
樋口裁判長は「原子力規制委員会が策定した新規制基準は緩やかにすぎて合理性を欠き、適合しても安全性は確保されていない」「(新基準は)深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえる厳格な内容にすべきだ」との見解を示し、そのうえで「住民らの人格権が侵害される具体的危険性がある」として差し止めの必要性を認めた。
             (2015/4/14 読売新聞一部抜粋)

 

 この判決をもとに、エネルギー政策がどうあるべきかを素直に考えてみたいと思います。     (WEDGEinfinityの杉山大志氏の論稿を一部参考にしました)

 

 わが国のエネルギー供給が、常識的に考えて、原発の部分的再稼働によって徐々に正常化していこうとしている矢先に、福井地裁の裁判官が再稼働の差し止めを命じたわけですが、これにはどうにも納得がいきません。

 

  裁判官は「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえる厳格な内容にすべきだ」と主張しますが“万が一にもない”ものが世の中にあるのか。神ならぬ人間がつくったもの。飛行機なら墜落、自動車なら衝突、電車でも脱線転覆、船でも座礁・衝突により沈没、などどれも万一が生じるのではないでしょうか。

 

  たしかに、欠点が皆無、ゼロというものは理想でしょうが、それは裁判官が机の上で考えた絵空事に過ぎません。科学技術は、すべての技術が理想形に近づくように、各々の弱点と不都合な真実を克服すべく時間をかけ進歩を遂てきたものだということを理解すべきです。このどうしようもない裁判官(3)はあまりにも傲慢すぎると思いませんか。

 

  福井県高浜原発の再稼働は、沈滞化を続ける関西経済にとって久しぶりの朗報と言われていましたが、これで、年間約2,000億円の効果が吹っ飛ぶことになりかねず、依然として関西電力の料金は上がる一方とならざるを得ません。関電は高浜原発の再稼働を見込んだ中で、家庭向け電気料金10.23%の再値上げを申請中。原発稼働が遅れば遅れるほど更に料金はあがり、それは国民や企業が等しく負担することになっているのです。
            負担 = 税金
 
だということを夢々忘れてはなりません。

 

 原発停止にともなう天然ガスや重油などの燃料費の増加は、平成26年度(2014).7兆円。今夏の供給余力は3%確保しているそうですが、設備の酷使などにより何時何が起こっても不思議ではない綱渡りの電力供給事情にあることを知るべきでしょう。

 

 今、安倍内閣・日本政府は、緩やかな経済成長を目指していますが、そのためには、低廉で安定した電力需給を確立しなければなりません。そして、論理的に考えれば、電力需要の伸びは、経済成長率を上回る必要があります

 

 ところが、政府の長期エネルギー需給見通し小委員会による電力需要と省エネの見通しを見て吃驚仰天しました。

 

          (電力需要) (年平均伸率)(省エネ量)(省エネ率)
      <2012> <2030>
経済成長整合  9,670 13,100   1.7%    0    0%
小委員会試算  9,670  9,360  △0.2%  3,740   40%
                   (単位:億kh

 

  経済成長を1.7%とすれば、2030年には13,100khの電力が必要となりますが、何と需要の増加分以上の3,740kh(全体の40)を省エネでカバーするという試算なのです。

 

 40%というものすごい省エネはその対策コストが莫大になり、電力価格が倍増し、100兆円の国民負担になることが示唆されています。100兆円…もうムチャクチャと言わざるを得ません。

 

 思い出してほしい。平成21(2009)、鳩山由紀夫元首相は「2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で25%削減する」と国際公約しましたが、わが国にとって良いことが皆無であったことを。夢想家ルーピーと称された鳩山首相の思いつき発言は、それを実現するための具体的政策が全くなく、単に宣言倒れ、公約倒れに終わったにすぎません。40%という数字も、第二の鳩山発言となることは目に見えています。

 

 もちろん、省エネは極めて大切ですが、あまりにも夢想的な省エネで対応するのではなく、ここは、新しい技術を産み出すことで、経済成長の足を引っ張らないように着実に対処するのが本筋だと考えます。

 

 その意味で、いま、日本が進むべき道は「超安全な原子炉」の開発を最大限に進めることだと思います。原子力発電は、今設置されている「軽水炉」の他に「高温ガス炉」「トリウム熔融塩炉」「進行波炉」などがあります。基本的に水を必要としない超安全な原子炉である『高温ガス炉(弱点は出力が小さいこと)わが国が世界の最先端を走っており、これを国内はもとより外国へも輸出する日本国家の一大戦略として位置づけるべきではないでしょうか。

 

 ほとんどのマスコミは、福島原発事故後も相変わらず「原子力は悪であり、自然エネルギーは善」という、科学と冷静さを欠いたお題目を唱えていますが、これでは、まるで『宗教』か『イデオロギー』であり、国家経済、国民経済の観点から目を逸らしていると言われても反論できますまい。

 

 福島原発事故でも放射能災害による死者はゼロであったという厳然たる事実、事故は地震ではなく津波によって生じたという事実、現在も続いている放射能除染作業の基準値が“1ミリシーベルト”という桁違いの全く無意味な厳しい数値で行われている異常な現実。このような事実・異常な現実をベースに、もっと、原子力学者・放射線医学者および地震学者など、その道の科学者の『真実の声』に耳をかすべきではないでしょうか。

 

 日本は科学立国です! 政治家も、マスコミも、文化人も、官僚も、経営者も、一般国民も、もっと冷静に、科学的、良識的な観点からエネルギー問題を語るべきではありませんか。

 

 今後のエネルギーミックスの議論においては「再エネ」「従来原子力」だけに注目するのではなく「超安全な新原子力」や「省エネ比率」についてもきちっと精査し、国民経済の観点の中で、科学的真実からのアプローチを心掛けるべきであることを強調したいと思います。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回も
時事エッセー
です

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コメント

声高に反原発を叫んでいる人たちは学者やマスコミ人など「うわべの知識人層」(一部裁判官も含む?)が目立つが、彼らは10年20年前に地球温暖化防止のためにCO2削減を叫んでいた人たちと重なる。更に40年前に公害防止を掲げて政府や企業の科学的説明を無視して「人体の危険、環境の悪化」のみを叫んでいた人たちや、安保反対・国際平和を叫んでいた人たち、更には「戦前日本暗黒史観」を唱え続ける人たちと重なる。   彼らに共通しているのは己自身の内なる性悪を見つめる勇気や誠実さの欠如である。或いは自己陶酔に陥り、自身を絶対的善人と思いこんでいるのかもしれない。文学者であれば個としての人間の内なる善悪を凝視してよいはずだが大江健三郎や村上春樹のように、社会問題に関しては絶対善の側に己をおいて他者を絶対悪の存在として糾弾するという幼児の精神構造から脱しきれない人、人間の善悪・社会の淀んだ水も飲む事で生きながらえてきたはずの政治家にして鳩山由紀夫、菅直人などのような人などがその例である。   自然界にも人間界にも100%不要な存在或いは100%悪の存在など存在しない。もちろん人間が織りなしてきた歴史にも100%悪事と断定されるようなものは存在しない。(時として人間と云う卑劣な生き物は必要悪と云う言葉で100%悪と見える行為と内なる良心との折り合いをつけることがある。)  いずれにしても政治問題・社会問題・歴史問題を公の場面で論じるに当たっては彼我の是非を客観的に論じた上で51%我が(彼が)正しい、という姿勢で臨むべきであり、日本人の多くが感情論を排して冷静に発言する人を評価するようになって初めて我国の民主主義が本物に成る。

投稿: 齋藤仁 | 2015年4月24日 (金) 07時45分

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