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2015年5月22日 (金)

“大阪都構想”否決…住民投票の結果を考える!

 482回目のブログです。

 

 “年ごとに かはらぬものは 春霞 たつたの山の けしきなりけり”
 
               藤原顕輔
(平安後期・金葉和歌集)

 

 いつの年も変わらない風情は、春の霞が立つこのごろの龍田の山の姿だなあ…。

 

 この季節の穏やかな風景を素直に詠い、難しい技巧もなく、自然に心に沁みる、わかりやすい和歌です。

 

 自然界はめぐりにめぐり、春から夏へとその景色を変えつつありますが、眺めるだけで心に情趣を呼び起こし、心を落ち着かせてくれます。

 

 一方、世の中は、特に「大阪」においては、おおきな政治結果が確定し、先の見通しも全く不透明になってきました。もちろん、今までも人口は減り、GDPも減少、逆に生活保護者数は増加、義務教育水準は低位安定、など数々の課題が解決せず、混沌としたままであったことは疑えない事実です。

 

 さる日曜日の517日、大阪市を廃止し5つの特別区に分割する、いわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票が行われました。結果は…大接戦。

 

   反対 705,585 票(得票率50.4%)
 
   賛成 694,844 票(得票率49.6%)
 
 
(有権者数:2,104,076人)

 

 投票率は、前回の大阪市長・大阪府知事同日選挙の60.9%に対して、66.8%と高いものがありましたから、市民の関心もかなりのものがあったと言えるでしょう。

 

 結果は、近年まれに見る大接戦の末、大阪都構想は否決となったのです。ほんのわずかの差で、大阪都構想は実現されず、大阪市は存続することになりました。わたしは大阪府民ですが大阪市民ではないので投票権はありません。しかし、それなりに大いなる関心を抱いていましたので、この結果をふまえての感想を述べたいと思います。

 

大接戦、僅差、わずかに10,741票の差。大阪維新の会vs自民党(大阪府連)・公明党・共産党・民主党・組合という、本来ありえない組み合わせでの戦いの末の劇的な結果となりました。それでも、勝負は勝負、勝ちは勝ち、負けは負け。

 

橋本徹市長は、敗戦の責任をとり、12月の任期満了をもって政界を引退すると表明。府知事、市長として7年半、その間の政治力発揮は並々ならぬものがありました。いわゆる都構想から国政政党への道を一瀉千里(いっしゃせんり・物事が一気に進むこと)、大阪、関西ではまさに“カリスマ”としての存在になったことは疑いのない事実です。

 

橋下氏は、議論、討論、弁論、ディベートの天才としてその異能を遺憾なく発揮。在阪のテレビや新聞などのメディアや現実に無知な学者などはコテンパンにやり込まれ、本当にグーの根も出ず、完敗の様相を見せていました。日頃、大半のメディアの身勝手さと現実を直視しない上から目線のイデオロギー的理屈に不快感を覚える市民からは拍手喝采を浴びていたことは特筆すべきことでしょう。

 

・ではなぜ都構想が受け入れられなかったのかを考えてみます。

 

 「いわゆる“大阪都構想”」の語り部がカリスマの橋下徹市長ただひとりのように見えてしまったことです。このことは、他の有能な人材が育っていないことを意味しています。

 

 都構想実現で生まれるメリット金額が説明のつどグラグラと変更したため、市民に不信感を持たせる隙をつくってしまいました。

 

 大阪市は未来志向の裕福な北部と現状でも厳しい南部との「南北格差」が厳然と存在。今回の投票で反対が多かったのは南部ですが、その南部への説明が行き渡っていなかったことが大きな敗因であり、住民投票をもう一年遅らせるべきではなかったでしょうか。

 

 「大阪“都”」を強調しすぎました。首都という名称は日本国天皇陛下のおられる東京だということは常識中の常識です。維新サイドは、大阪都を標榜するのは僭越だという意識が極めて薄かったのではないでしょうか。最初から「大阪副都」「大大阪府」「大阪特府」などの名称を掲げるべきであり「大阪」という名称にこだわる市民もそれならば納得したと思います。ちなみに『大大阪府構想』or『大阪副都構想…こちらの方が、真実、よほど良い響きではありませんか。

 

 維新サイドの議員(市会・府会・国会)が本当に謙虚であったのか、いささか疑問だったように思われます。民主主義という政治は、自分の考えが違うからといってすぐに敵にせず、可能なところから、ひとつづつ、粘り強く変えようとする気の遠くなるような作業だという認識をもつべきだと考えます。

 

橋下徹氏の功罪について。まず功について。①問題はあるにせよ、都構想という大胆な変革を目指したこと ②伏魔殿と言われてきた大阪市役所のダーティな部分に手を突っ込んだこと、特に組合の異常な政治介入について ③教員に国歌「君が代」の起立斉唱を義務づける条例を制定 ④大阪市教育委員の改革 ④教員に国歌「君が代」の起立斉唱を義務づける条例を制定 ④朝鮮高級学校補助金を停止 ⑤職員給与の削減、同和予算の削減 ⑥ハコモノ行政禁止 など、特に暗黒面への指摘の大胆さは生命を賭ける覚悟を示すものであり、コワシ屋の本領も遺憾なく発揮しました。

 

 罪については、相手を法律的に徹底的に追い込み、逃げ場をなくさせたために訴えられ、逆に負けてしまうことが重なったことと、育ちの問題でしょうか、汚い言葉、エゲツない言葉を使いすぎ、品性を疑われる場面が多すぎたことです。

 

 今回の住民投票において、政党として汚濁の精神を露呈したのは、自民党と公明党でした。

 

 自民党(大阪府連)は、あろうことか、選挙カーに、不倶戴天の敵である共産党と同乗したのです。仲良く手を携えるなんて過去の歴史には全くありえないこと。自民党の「精神的堕落」は地の果てまで落ちていることを示しました。大阪都構想で共産党と同じ立場だったとしても、本来ならば、同乗を断り、自民党の宣伝カーで独自に訴えるのが筋というものではないでしょうか。

 

 公明党(支持母体・創価学会)は、維新と裏取引し、協定書(設計図)議案賛成・住民投票では反対という鵺(ヌエ)的行動をとりました。政治の世界とは言え不可解極まりない動きであり、公明という言葉の真逆の行動であったと思います。

 

 それにしても、賛否拮抗、真の意味では勝者はいません。どちらも敗者であるとの認識を持つ方が大阪のために良いと考えます。現在、大阪は危機のど真ん中に喘いでおり、大阪の将来展望は今からスタートするものだということを全ての陣営が肝に銘ずべきではないでしょうか。

 

 浅はかな人間のことですから、不可能かもしれませんが、この際、大阪市と大阪府の仲の悪さを揶揄してきた「府市合わせ」(不幸せ)という言葉を実質的に無くす努力を傾けてほしい。…それを、すべての議会人、すべての官僚・役人、すべての政治家、すべての市民・府民に望みます。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回も
時事エッセー
です

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コメント

今回の結果は、戦争状態でないという意味での”平和”だけでなく、既得権益を含め安定した経済生活を維持したいという意味での“平和=平穏”を含めて、江戸時代後期の庶民と同じ意識を大阪市民がもっていたということ。維新の会の趣旨を理解し反対したからの政治参加(投票行動)でなく、馴染んだ地域行政・既得権益を手放したくなかった人々(維新の会を除く府会議員と市会議員・市役所職員・労働組合員・年金や福祉受給者)を反維新連合の政治家の思惑が一致した、というのが一番のファクターでしょう。橋下氏の仲間に同じようなレベルの弁論家がいなかった・育たなかった、時間的に急ぎ過ぎたという野宗さんの指摘は的を射ていると思います。しかし橋下氏に限らず、その人の理論の是非は別として、日本の学者・識者は古来から理論と行動を併せもつ政治家を嫌う、或いは蔑む風土を持っていることを痛感します。タコ壺文化ゆえの嫉妬社会でしょうか。その典型は、安倍首相をタイシタ大学ヲ出テイナイという言い方で評するインテリ気取りの輩です。行動力・創造力が欠落した「知識と言葉だけのインテリ」は何の役にも立たなかった江戸時代の昌平坂学問所の官学インテリを彷彿させます。橋下氏の問題は離れて、他者に訴える力をもつ己の理論と、壁を破らんとする行動力をもったリーダーを嫉妬し蹴り落とすことで自民党の集団幕藩体制は支えられてきたし、旧社会党や現民主党を代表する政治家は野党という発言に責任を持たなくても名利を手にできる生活の糧を得る場を手にしてきたのだと思います。

投稿: 齋藤 仁 | 2015年5月22日 (金) 17時32分

私は大阪の市民でも府民でもありませんので、勝敗結果への意見はありませんが1国民として下記の様に考えています。①3人に2人以下の投票率(投票率66%以下)の選挙は無効だという思いを抱き続けていますので今回の大阪市民の行動に敬服しています、②一方今回の選挙は政策選でなく(維新)対(自民・公明・民主・共産)の感情戦争であり、結果的には”自民・公明・民主・共産”陣営の恥ずべき大敗北だと認識しています。特に”幼児の様な安倍総理を暴走させる自民党の幼児性(街頭で平気で共産党と共闘する無神経)”を露呈した事には狂気性さえ感じた次第です。この点を指摘する大手メデイアがない事に呆れています。野宗さんの問題提起に感謝します。

投稿: 岡村昭 | 2015年5月22日 (金) 09時14分

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