“正社員の解雇”…このハードルを下げるべきか否か!
484回目のブログです。
“人生をひらくとは心をひらくことである。
心をひらかずに固く閉ざしている人に、人生はひらかない。
「ひらく」には、開拓する、耕す、という意味もある。
いかに上質な土壌もコンクリートのように固まっていては、
よき種を蒔いても実リを得ることはできない。
心をひらき、心を耕す―――人生をひらく第一の鍵である。”
田中真澄(昭和11年~/社会教育家)
最近は日本列島をめぐる地殻の変動が顕著になってきています。4月の下旬からは箱根大涌谷の蒸気噴火、地震が続発、噴火警戒レベルが1から2に引き上げられ、依然として警戒が続いています。
また、5月29日には鹿児島県口永良部島の新岳で噴火、6,000mも噴煙をあげ、火砕流も発生、島民全員が屋久島に避難しました。避難にあたっての子供たちの秩序整然とした行動には、大きな賞賛の声さえ上がっています。わたしはテレビで見ただけですが、素晴らしい行動だと思いました。それなりの教育、家庭・学校・島全体でなされているのだろうと推測しています。
人と技術のみで天災を克服することはできません。天災は人智を超えるもの…古来、天災は政治の乱れ、人心の荒廃からと言われており、わが日本列島の荒ぶれを鎮めるためにも、正常な国民感覚にもとづく政治の安定を望みたいものです。
人心と言えば、働くことの意義、働く人の心が大切になってきます。労働・勤労があってこそ、その全体的な成果によって、家族、社会、国家が支えられることは言うまでもありません。
今、労働基準法の改定が国会で議論されています。いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション(white collar exemption・ホワイトカラーの労働時間の規制を緩和・適用免除をする制度)の導入に他なりません。
①年収1075万円以上での専門職は残業代を支払わなくてもよい(ただし働き過ぎを防ぐための条件あり)②あらかじめ定めた労働時間に賃金を支払う「裁量労働制」の適用対象を拡大する。課題解決型の営業や工場の品質管理業務などにも。
この問題について、厚労相は「働き過ぎを是正、働き方の選択肢を多様化」と主張、一方、労働組合は「長時間労働が一層深刻化する」として反対。長時間労働、過労死などに直に接している労働基準監督官の過半は反対だと報じられています
今日「私益優先+アメリカ基準至上主義」の経営者を多く見ますが、ここは日本、労働基準法は、日本人、日本社会に適したものでなければならないと考えます。平成19年(2007) 48回目小ブログ「ホワイトカラー・エグゼンプション」をご参考ください。
businessman-ikusei.air-nifty.com/200602/2007/01/post_3022.html
このような労働問題が議論されている時、いよいよ、ある主張の「本心」が露呈されました。今年プレジデント誌1月号での宮内義彦氏(オリックス/シニアチェアマン・元規制改革会議議長)の対談での発言です。タイトルが「働かない正社員を解雇できる社会にしたい」ですから、大変な物議を醸しています。宮内氏の主張は…
①アベノミクス第3の矢は構造改革・規制改革である。メニューは、医療・介護・教育・農業・雇用制度。
②きちんと働かない人の雇用を打ち切れるように、解雇条件をはっきりさせることが必要。解雇を規定する、つまり解雇できないことをやめること。
③就職よりも就社という風潮は変えるべき。また、新卒採用・毎春の入社式に違和感を持つ。
かつて規制改革の先頭に立っていた宮内義彦氏は、働かない正社員をいつでも解雇(馘首・首切り)でき、いつでも採用できる社会を理想としていることがわかります。たしかに、社員を正社員であれ、非正社員であれ、自由自在に雇用調整できれば、短期的には企業の業績確保に資すことになるでしょう。一般的には固定費とみなされる人件費をすべて変動費にできるのですから、こんなに都合のいいことはありません。
この宮内氏の主張について考えてみます。
・現在でも、企業には正社員を解雇する「解雇権」があり、解雇権の濫用のない範囲であれば実行できます。解雇できないのではなく、難しいというのが実態でしょう。しかし、現実に、罪を犯した不良社員は解雇されているではありませんか。
・いわゆる不良社員ではなく、働きの悪い正社員をどう取り扱うか。宮内氏は自在に解雇しようと言いますが、その前にやるべきことがあるのではないでしょうか。
①人事考課を適正に行ってきたか。秀・優・良・可・不可を厳格に。
②社員教育で真にレベルアップをはかっているか。
・現在、労働市場は範囲、職種、レベル、男女すべてにおいて流動化していない状況であり、なかなか転職が思うにまかせません。したがって、解雇が極めて容易になるような法律改正は適切ではないと思います。
・企業がどうしても解雇したければ「カネ」で解決することもひとつの策。この現実的な対処を法律化することは必要かも知れません。
宮内氏は、かつて政商と言われ批判されましたが、それは、政策が自社の都合のよい方向で取りまとめられ、情報の取得に際立って優位に立っていたからです。宮内氏は、今、第一線を退いたからには、ホワイトカラー・エグゼンプションや正社員自由解雇を主張する根拠を、日本社会の現状と未来への展望のなかで位置づけ、明快に発言してほしいと思います。
アメリカ社会を理想の社会とみなす理由は何なのか、なかなか窺い知れません。たしかに、労働市場、労働環境、労働意識、労働の価値観など、旧態依然かも知れませんが、それが日本社会の文化であるとするならば、もっと根本のことから考え直すことも必要ではないでしょうか。
根本のことと言えば、まず浮かぶのは「憲法」。大東亜戦争(太平洋戦争・第2次世界大戦)が終わり、すでに70年というにもかかわらず、わが日本国の基盤的法律である憲法さえ不磨の大典として、一切触らずに来ています。日本社会を論ずるならば、過去の歴史と今日の現実、そしてあるべき未来に思いを致し、まず憲法の改正に正面から立ち向かうべきだと思います。憲法改正こそ喫緊(きっきん・差し迫って重要なこと)の課題。
その“心をひらいた”議論の過程で、日本社会の問題点、ひいては労基法の問題点を指摘することが肝要ではないでしょうか。…ところが、残念にして、その声を聞くことはできず、逆に、都合の良いつまみぐい議論の横行が目について仕方ありません。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
全く同感です。私は50才まで企業勤務しましたが、その間に考え続けた思いがあり、退社して中小企業(特に経営者主体に重点化した)コンサルタント業に出立しました。
経営コンサルタントの多数は「経営効率向上→つまり効率化」を主眼目にしているが、経営者に向かって日本国家の特質や伝統を維持・活用しながら、自社に参じてくれた人材の社内育成や活用策を提示している人物が少ない事(日本人としての志が低い事)を痛感しています。つまり経営コンサルタント達や経営書著者達が多数の経営者のミスリードの元凶だと思って、自戒しています。
投稿: 岡村昭 | 2015年6月 5日 (金) 09時54分
どんな優秀な人材が集まった組織であっても、組織の力をアップさせる人と、現状維持に落ち着く人、組織にぶら下がっているだけの人、という三つのグループに分かれると言われる。組織内でリーダーとなっている人の個性が組織体そのものの特徴となることを考えれば当然のことである。営利を目的とした企業にあってぶら下がっているだけの社員は経費のムダと見做されても仕方ないだろう。そして「いい企業」とはこの種の社員がほとんど見当たらない企業をいう。人材評価と社員教育がしっかりしているのだろう。だが大阪市の現業職員の勤務ぶりで問題になったように、営利を目的としていない組織体には「ふてくされて・・」という理由も含めて〈ぶら下がり〉の職員は多い。〈勤務時間職場にいるだけで・・・〉という姿勢を正すためには全国の公務員及び準公務員の職場での適正な人事評価と人材育成、適材適所の人事異動などの効果的活用は必要だろう。 プロスポーツや外資系企業などの雇用関係を見慣れた企業の場合、宮内氏のような発想に至っても不思議はない。(宮内氏自身が日本的な実直な企業人なのかアメリカ的な賢い企業人なのかは別として。)ただ売れ行きの悪い商品は即生産停止で売れている商品ばかりを増産する企業は売れなくなった時点で危機に陥る。〈ぶら下がり社員〉であっても入社させたという時点で〈わが社の戦力になる〉と認められた人材である。デキル人とデキナイ人の関係が二十年も三十年も固定しているわけではない。様々な事情が絡み合ってある時点でデキル人材とデキナイ人材に分かれただけで、部署が変わったり人間関係が変わるだけで逆転することも多々ある。そんな時間の経過も含めて日本ではムラという相互扶助的な組織内の人間関係を大切にしてきた。それは短期的に見れば非効率と見えるが、長期的に見れば組織内の人に精神的生活的安定を提供し、組織そのものの活力を維持する源となってきた。それが我国に創業百年を超える企業が多数存在する理由の一つである。アメリカ的勝ち組絶対の文化形態をこれ以上進めると国民の間に意識の断絶を生じかねないし、日本の文化風土に合わないと考える。
投稿: 齋藤仁 | 2015年6月 5日 (金) 08時48分
何と都合のいい社会でしょうか?
雇いたいときに、雇って、不要になったら解雇して。
働きたいときに働いて、働くのが嫌になったら働くのを辞めて。こんなことができる社会があり得るでしょうか?
こんな甘い社会があるでしょうか?
日本が最先端を突っ走っていた時、終身雇用制でした。だから雇う側も雇用者を解雇しないために必死でした。松下幸之助さんはどんなに不況になっても絶対に社員を解雇しなかったと聞きます。だから社員も安心して会社の業務に打ち込めたし経営者の無理な注文も聞けた。その結果、世界に冠たる製品を作り出すことができたのだと思う。
中国からの観光者が爆買いしていると聞く。今でも日本の製品は安全、安心、高性能だから爆買いするのでしょう。今までより世界の人々の収入が上がってきています。
今までより、よりいいものを欲しがる人々が全世界的に増えてくるはずです。これからではないでしょうか?
日本の製品を世界中の人々に買ってもらうのは。
経営者と被雇用者の血と汗の結晶を買ってもらうのは。
以前のように、終身雇用制に戻って、経営者も、被雇用者も必死の思いで働ける社会に早く戻ってほしいものです。
投稿: 石川 | 2015年6月 5日 (金) 08時05分