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2015年7月24日 (金)

“プラカード”…議会制民主政治を否定するもの!

 491回目のブログです。

 

   “わが胸の 燃ゆる思ひに 比ぶれば 煙は薄し 櫻島山”
            平野國臣
(幕末の志士・福岡藩士)

 

 わが胸の内に燃え上がる勤皇の情熱は、あの黒々と噴き上げている桜島の煙とは比較にならぬほど熱いものだ…。

 

 この歌は、平野国臣の熱い勤皇の志を格調高く歌いあげた秀歌として広く世に知られています。確かに、声に出して読めば、勤皇の精神の高さがひしひしと伝わってきます。

 

 明治維新は、日本国家存立のために、徳川幕藩体制を一新する血の滲む厳しい歴史の復古と創造の凝縮した時代でした。わが国の歴史に、よくぞ明治維新を成し遂げたものよと、感嘆と感謝を覚えずにはいられません。明治維新の志士たちの言動は、まさしく、心の底から命を懸けるものでした。

 

 第2次世界大戦・大東亜戦争・太平洋戦争後70年、外交において、内政において、ひたひたと迫りくる危機を迎えている今、あらためて明治維新の精神の百分の一、万分の一でも学び入れることが求められているように思えます。

 

 そう思わざるを得なかったのは、先日の国会での審議・議決状況があまりにも「幼稚」であったからに他なりません。

 

 安保法案、衆院特別委で可決 与党単独に反発

 

  衆院平和安全法制特別委員会は15日午後、安全保障関連法案を自民、公明両党の賛成多数で可決した。民主、維新、共産の野党3党は質疑打ち切りに反発して採決に加わらず、与党の単独採決になった。
維新が提出した安保関連法案の対案は与党の反対で否決。その後、野党が抗議して怒号が飛び交う中、政府案を与党だけで可決した。
          
2015/7/15 日経新聞電子版一部抜粋)

 

 この委員会は、正式には「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」と言いますが、怒号のなかで目を引いたのは、野党議員のプラカード戦術でした。ごらんください。

2015724_2

 「強行採決反対!!」「自民党 感じ悪いよね」「アべ政治を許さない」のプラカードが、鮮やかな黄色(Yellow)・赤色(Magenta)・青色(Cyan)・黒(Black)、いわゆる色材の3原色+黒色に従って乱舞していました。(余談ですが、光の3原色は、赤(Red)・緑(Green)・青(Blue)です)

 

 7月15日の衆院特別委員会(正式名称:我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)は、まるで街頭デモのようにプラカードと怒声・嬌声があふれ、まるで議会の体をなしていない八百長喧嘩のパフォーマンスの場そのものでした。

 

 パフォーマンスだと思える理由は次の通りです。

 

 ①前もってプラカードを準備している。
②プラカードを黄・赤・青・黒の賑やかな色使いで
 アピール効果を狙っている。
③プラカードの文字を見せる方向が委員長ではなく、
 実況中継しているテレビカメラに向かっていた。

 

 これでは、まるで平和安全法制に反対する国会前デモ隊(主催者発表:10万人、警察発表:67000)と同じではないでしょうか。デモ隊は「民意は国会の中ではなく、外にあるのだ」と言いますが、国会が街頭行動と同じだとするならば、国会議員って何? デモ隊とどこが違うの? そんな議員に年間1億円の経費を税金から出すのってどうなの? などの疑問が湧いてくるのは止めようもありません。

 

 そもそも、議会制民主主義は「代議」を旨とします。代議とは「公選された議員が選出住民に代わって議すること」(大辞林)であり、代議士は住民、国民に代わって議論し、議決しなければなりません。

 

 採決・議決は国会議員の最も重要な仕事のはずです。それをサボタージュしたり、プラカード・パフォーマンスしたりするのは、住民、国民に対する裏切りに他なりません。

 

 翌日の本会議では、民主党・維新の党・日本共産党・社会民主党・生活の党と山本太郎となかまたちの野党5党が採決を欠席。

 

 マスコミの大半は「徴兵制の復活」「戦争法案」「危険な道」などのレッテルを貼る野党に同調し、国会採決での欠席に対して全く批判していません。

 

 本来、採決に欠席するのであれば「議員辞職」すべきです。5野党が一斉に議員辞職し、政策の正当性を国民に訴えれば良いのではないでしょうか。にもかかわらず、そうしなかったのは今胸に着けているバッジにしがみつきたいだけで、真に“燃ゆる思ひ”“覚悟”がないことを証明しているように思えてなりません。

 

 彼らは、この法案に対して戦争法案などのレッテルを貼り民主主義の危機だと叫びますが、民主主義の真の危機は、議会制民主主義の根幹と原則を理解せず、蔑ろにし、プラカードなどの安っぽい「三文芝居」に大きな価値と生き甲斐を見いだしていることではないでしょうか。このような軽佻浮薄な言動が民主主義を抹殺しつつあることを忘れるべきではありません。

 

 大半のマスコミも大方の政治家も同罪。本来、彼らは、国家と国民の生死と貧富と道義に関して、誠実にして真剣な議論を重ね、この難しい国際・国内情勢に対処する道筋を示すべきではないでしょうか。

 

 政治家よ、プラカードを捨てよ!
マスコミよ、扇動するなかれ!

 

 今一度、明治維新の志士である平野國臣の和歌「 わが胸の 燃ゆる思ひに 比ぶれば 煙は薄し 櫻島山 」の精神を心に銘じたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回も
時事エッセー
です

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コメント

 自衛隊を「暴力装置」と称した民主党の政治家がいたが、「暴力」をviolenceとするなら間違っているがpowerとしてなら正しいだろう。同様に国家とは単一民族の場合もあれば複合民族の場合もあるが、種の保存の本能を根柢においている人間が集団を成して生活するのはその方が生命を保持できる確率が高いからである。そして最も歴史上制度化された人間集団が「国家」である。従って「国家」は対外的にだけでなく、対内的にも秩序維持のための最強のpowerを持っており、それを国民も認めている。それだけに国家の指導者(及び指導集団)がpowerを恣意的に用いることのないような歯止めが必要である。そうした統治システムとして「民主政治」は欠点があっても、それが他の統治システムと比べて遥かに弊害が少ないと云う理由で、近代国家で採用されている。だが同時に「民主政治」は、一部の指導者に先導されてデマゴーグに踊らされた場合、古代ギリシアの衆愚政治やヒトラーの独裁政治へと転化する可能性が高い。従って国民の代表者は、できるだけ感情や偏見を排した場で、客観的事実に基づいた議論を闘わせ、その論議の内容をもとに選挙民が投票し、多数を得た政党が国政を指導する、というのが歴史の知恵である。その冷静であるべき国家の場に感情を持ちこみ偏見を持ちこみ、最大のデマゴーグであるプラカードを持ちこむと云うのは、その行為をする者が大衆扇動を狙ったファシストである証である、民主主義の自殺行為である。


投稿: 齋藤 仁 | 2015年7月24日 (金) 18時54分

野宗さんの言う通りだと思います。民主主義の危機ですね。 しかし、与党も「何とか野党の皆さんを説得しよう」という真摯な気持ちを欠いていたように思えます。「どうせ強行採決」という姿がみえみえでした。格調高い、現実に即した真摯な議論を「良識の府」である参議院に期待したいものです。

投稿: ペマ | 2015年7月24日 (金) 10時35分

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