“戦後70年談話”をどう読むか!
495回目のブログです。
“星多み 晴れたる空は
色濃くて 吹くとしもなき 風ぞ涼しき”
藤原為子(鎌倉期歌人・風雅和歌集)
星が多い晴れた夜空は、ことのほか藍色が濃くて、吹くというほどでもない風が実に涼しく感じられるものだなあ…。
今年も酷暑、熱暑の連続でした。毎日クタクタですが、まだまだ暑さは続きそうです。8月16日の京都大文字五山送り火も終えたところであり、和歌にあるように、微風でさえ、ところさえ得れば十分爽涼な夏の夜なのでしょうが、世の中は何かそわそわと落ち着かず、なかなか真の「涼」に行き当たることができません。
夏と言えば、8月15日の終戦記念日。戦没者を追悼し平和を祈念する崇高で厳かな日であり、広島・長崎では原爆死没者慰霊式と平和祈念式、東京では全国戦没者追悼式、各地で戦没者追悼式が行われました。
しかし、非常に残念なことですが、広島の式典では市長が現下の国会審議案件に言及したことです。本来ならば厳粛な慰霊の場でもあるこの式典をイデオロギーが絡む生臭い政争の場にしてしまった精神の不潔さを感じざるを得ません。
わたしは、広島県の生まれで、叔父を原爆で亡くしていますが、子どものころから、広島での核実験をめぐる不毛の争い(…米国の核実験には反対し、中ソの核実験には賛成するという倒錯したイデオロギーをめぐる闘争)には、常に胡散臭さを感じていました。
どうして、戦没者を、虐殺された市民を、心から悼むことができないのか、理解に苦しみます。心から死者に哀悼の誠を捧げることが出来ない者は人間ではなく、無機質なイデオロギストと言うべきであり、唾棄すべき存在ではないでしょうか。(…このことは靖国神社参拝に異様なほどの異議をとなえるメディアや知識人にもあてはまります)
さて、8月14日、安倍首相は、戦後70年を迎えるにあたっての談話を閣議決定し、発表しました。安倍総理の“戦後70年談話”は、平成5年(1993)の河野談話、平成7年(1995)の村山談話、平成17年(2005)の小泉談話に関して、それらを総合的に捉え、談話自体がもつ深刻な課題を厳しく超克しようとしたものです。
安倍談話は今までにない長文の談話となっています。格調が低く言葉も柔らかく、一読した時は何か少し物足りなさを覚えましたので、再読してみたところ、わたしには、この談話に盛られた文章、文言は極めて用意周到に練られたものであることに気づきました。
各自、それぞれ、いろんな感懐があろうかと思いますが、例によって、野党の民主党、維新の党、日本共産党などは厳しく批判、糞みそに非難しています。内閣総理大臣が日本の基本的な認識を述べたことに対し、180度異なる立場から全面的に批判することで国内の結束が保たれるのかどうか、大いに疑問があります。
メディアもほとんどが、いわゆる4つのキーワード「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」は一応記されてはいるが、間接的引用や一般論として書かれており、中韓に納得してもらえないではないかと、日ごろの自虐、媚中、媚韓マインドを前面に押し出しています。
諸外国はと言えば、例によって、中国と韓国は批判。この両国は、たとえどんな言葉を使っても、満足はせず、反省しても反省が足りない、お詫びしてもお詫びの仕方が足りないなどと、歴史認識を最も有効な反日政治マターとして位置づけているのですから、たとえ1000年経っても、きっぱりと日本自らがキリをつけない限りは、永遠に終わりがないことは明白です。
それでは、安倍談話の重要なポイントを取り出してみましょう。
①“私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。”
・「自由」「民主主義」「人権」の価値を重んじているのは、日本をはじめとして米国であり、欧州であり、オーストラリアなどであることは自明です。
一方、「自由がなく」「共産党一党独裁により民主主義でなく」「人権もまったくない」国…それは中国(中華人民共和国)に他なりません。
したがって、日本は、価値観を共有せず、国際秩序に挑戦し続ける中国とは手を携えることをせず、価値観を共有する米国などと共に手を携えると宣言したことになります。鋭い周到な語りです。
②“私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。”
・女性の問題は、戦時下の慰安婦だけでなく、終戦直後のロシア兵や占領軍らの行動にまで広げることが肝要です。安倍談話は、綜合的にこれからの女性の未来に光をともすことを誓ったものだと思います。
③“我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。”
・歴代の談話などで、何回も何回もお詫びしてきたことを強調しています。
・吃驚しました!「台湾」を「中国」とは明確に区別していることに驚きを隠せません。中華人民共和国が今まで一度も台湾を支配したことがないゆえに、冷静に、台湾を中国とは別個の存在であるとしたものでしょう。民族自決の精神を尊重する立場から、大いに敬意を表したいと思います。
④“日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。”
・謝罪と自虐を安倍総理できっぱりと打ち切りたいとの明確な意思表示です。ぜひともそう願いたいのですが、謝罪と自虐が社是・党風となっているようなマスコミ・政党がありますから、まだまだ、そう簡単にはいきません。
・加えて、戦後70年もの間、自虐・贖罪の歴史を教えられ続けてきたために、わたしたち国民が“踏まれても
踏まれても 付いていきます 下駄の雪”という具合に軟弱極まりない精神状態に陥っていますので、正道に戻るにはかなり時間がかかると思います。
この安倍談話に対し、アメリカの報道官は「戦後70年間、日本は平和や民主主義、法の支配に対する揺るぎない献身を行動で示しており、すべての国の模範だ」と歓迎する意向を表明しました。(8/14 Washington Reuters)
アメリカは、わが国をすべての国の模範と言いますが、中・韓は蛇蝎の如く嫌っているようです。どちらが正しいのか、どちらも間違っているのか、果たしてどうなのでしょうか。
繰り返しますが、わたしは、最初に読んだときは“少々軟弱で深みがない”と心でつぶやいたのですが、二度目で“用意周到、深謀遠慮”の文章かなと思い直しました。
みなさんも、8/15の新聞かネットで、今一度、全文をお読みになってはいかがでしょうか。
ところで、安倍首相は中国の「抗日」戦勝記念式典(9/3)前後の訪中を前向きに検討しているようですが、重要な“戦後70年談話”で、中国とは一定の距離を置き、アメリカと手を携えることを語ったばかりです。それにも関わらず、このタイミング。…まったく信じられません。
去る4月29日、安倍総理は、米国上下両院合同会議において日米関係を「希望の同盟」とし、米国との深い絆を讃える格調高い演説を行いましたが、その舌の根も乾かぬ5月23日、二階自民党総務会長が3,000人を引率、安倍内閣総理大臣の親書を携えて訪中、習近平国家主席に謁見したのです。安倍政権の、米議会での演説と中国への朝貢姿勢とのあまりの落差に米国は不信の念を抱いたはずです。
そして、またしても、すぐさま手のひらを返すように、首相自らの訪中?…米国を裏切っても平気のようです。あまりにも鈍感。これでは「口先おとこ」「詭弁野郎」と言われても反論できないのではないでしょうか。少なくとも、たった今は、中国へいくことを自重すべきだと思います。
アメリカの失望、落胆、不信、怒り、それらが目に見えるようです。もしも訪中すれば、談話とは乖離がありすぎ、米国から、あのルーピーと揶揄された鳩山元首相以下の存在と見なされるのではないかと危惧します。安倍総理の判断の迷いとブレ、ひょっとして、精神面、体調面に異変を来たしていないのかどうか…。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
さすが野宗さん、異変を感じておられますね。靖国神社参拝有無が内閣の寿命に有意の関係あり、とのお説を思い出しました。
談話で「胸に刻む」という表現を六ヶ所使っておられますが、談話の英訳文では、engraveという語です。いやー、胸が痛みます。
投稿: kawaski akira | 2015年8月21日 (金) 12時20分