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2015年8月14日 (金)

“東芝問題”…これは他人事ではない!

 494回目のブログです。

 

 “世の中は 駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を 作る人”
 
                   (詠み人知らず)

 

 世の中は、かごに乗る人がいるから、それをかつぐ人もいる。さらにそのわらじを作る人もいるように、さまざまな職業や地位、境遇の人々が持ちつ持たれつの関係で成り立っているものよ…。

 

 おのれ自身の立場を理解し、分をわきまえた処世と生き方を貫くことは、言うは易くして、行うことは難しいものです。みずからの人生の周辺を振り返ってみても、特に他の会社のことなどを垣間見ても、立場を理解せず、分をもわきまえず、大手を振って生きていく人のなんと多いものよと思うことも度々あったことは事実です。(もっとも、自分自身のことは棚に上げてですが…)

 

 昨今、経済界と一般社会にスキャンダラスな会計事件として、名門と言われる東芝が登場したことはニュースで耳や目にしたことと思います。あの東芝に何が起こったというのでしょうか。

 

 7月20日、東芝の不適切会計といわれるものを検証する第三者委員会が、2008年度から2014年度第3四半期まで、不適切会計の額が1518億円にのぼることをあきらかにしました。

 

 それを受けて、翌日、歴代3社長(社長・副会長・相談役)が辞任、また全取締役16人のうち、8人が引責辞任となる異例の事態となったのです。

 

 そもそもこの事件が明るみになったのは、東芝の内部に通じた人が証券取引等監視委員会に通報したことが切っ掛けになったようです。おそらく、その人はいわゆる内部告発をしたのでしょうが、社内で受け入れられず、万やむを得ず、外部に通報したものと思われます。

 

 最近、企業をはじめとする組織の不正行為が、内部での自浄作用が全く期待できないために、外部へ告発されることが多くなってきました。

 

 気持ちはわかりますね。中堅どころの多少気骨あるビジネスマンが、良識、常識、社会性、企業永続性、企業安全保障などの諸点から、会社上層部の方針に異をとなえても、握りつぶされ、無視され、つまるところは人事がらみへの成り行き。とすれば、会社のためにも、正義のためにも、しかるべき外部へ通報……理解できる行為です。

 

 東芝事件は、企業会計にポイントがあります。企業は決算において、その実態をあきらかにする義務と責任があります。売上・利益・損失・資産・負債などは、正当な基準に基づいて計上することは経営の基盤をなすものであり、イロハのイです。それが偽りであれば、どのような策もある意味で無価値となり、真の経営とは言えません。

 

 今回の東芝問題をどう表現すればよいのでしょうか。メディアでは次のように呼んでいます。

 

 「粉飾決算」 (TOP主導、大規模、企業の存立、悪質)
 「不正会計」 (一定の規模、組織的関与、悪質感あり)
 「不適切会計」(単純な経理処理ミス、悪質感なし)

 

 わかりやすい分け方で、識者は、粉飾決算は刑事事件、不正会計は課徴金事案、不適切会計は過年度決算の修正事案、と区分。東芝の場合は、第三者委員会の言う不適切会計というほど甘いものではなく、また粉飾決算というほどの悪質さでもなく「不正会計」が妥当だと言えるのではないでしょうか。

 

 たしかに、インフラ事業の工事進行基準、映像事業の経費計上、半導体事業の在庫評価、パソコン事業の部品取引で、不正会計が行われたのですが、このやり方は他企業でも一般的に行われており、それが異状すぎたということでしょう。また、東芝は年間売上が6兆円にも上っており、1500億円の不正額も年間に直せば200億円ですから、経営者は単年度処理としては、悪質感は持っていなかったのではないかと思われます。その意味で、悪気はなかったという田中社長の発言も、一サラリーマンとしては肯けるものもありますが、東芝事件のどこが問題なのかをマスコミとは別の観点から指摘したいと思います。

 

 経営者には、常に「危機感」と「責任感」が求められます。それに応えられるビジネスマンが経営者になるべきですが、東芝・田中社長の「不適切な会計処理がされているとの認識はなかった」発言の“悪気なかった感”は、ビジネスマンというよりもサラリーマンであることを示していると思います。
他の会社にも、このような例はいたるところにあるのではないでしょうか。…あなたの会社にも、関係する会社にも。
東芝には、過去、素晴らしく立派な経営者がおられました。メザシの土光さん“土光敏夫”さんです。爪の垢を煎じて飲みたいもの。

 

 社会性の感覚を欠くサラリーマン的経営者が経団連の副会長とは、わが国の有力企業人のレベルも落ちたものです。有力企業の経営者は、おのれの「利」のみを追求するのではなく「公」の立場に立つことも必要ではないでしょうか。

 

 企業が上場しているからには、より以上の社会性が求められます。粉飾や不正会計は、その社会的存在を否定するものであり、会社の存続を損壊させるものでもあり、株主などへの背信でもあります。今回の件は不正会計であり、法律上は無理かもしれませんが、刑事罰に相当してもおかしくないとも考えられます。

 

 企業のリーダーに求められることを列記しましょう。

 

①企業倫理感の修得
 
②社会感覚の醸成
 
③危機感と責任感の持続的保有
 
④ステークホルダーを意識
 
 
(企業は公器。経営者は株主だけでなく、従業員・得意先・債権者・下請会社
 
  ・地域社会などの利害も勘案して行動すべきであるという考え)
 
⑤国家社会を背負っている自覚(特に大企業)
⑥自己の損得の明白な認識
 
   ・会社の永続的存立は得
 
   ・おのれ個人の汚名は損

 

 ・この東芝事件を機に、またまた「コーポレート・ガバナンス」(企業統治)の強化を叫ぶ人が増えています。要するに、社外取締役を充実させれば、企業の問題点は無くなるとのお目出度いアメリカ流企業管理論の受け売りです。企業の実態を見るべきです。社外取締役の実態は、経営者のお友達、関連官庁の元官僚、無能で熱心なお荷物ばかりであり、もちろん例外はありますが、機能しない例が多いのではないでしょうか。まずもって、企業統治という言葉が浮ついており、悪しき言葉であり、不適切だと考えます。

 

 ・わたしは「企業統治」という観念的な言葉に従うのではなく「企業規律」という生きた日本語に従った企業倫理の確立を目指せば良いと考えます。社外取締役は、あくまでもアドバイザーとして位置づけ、経営者と社員が自らの生活と精神を自らで律していくことが本筋ではないでしょうか。

 

 東芝問題は他人事ではありません。わたし達の身の周りにいつでも起きてしまう厄介な問題です。それに対処するには、本質からのアプローチとともに、分をわきまえることも大切だと考えます。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回も
時事エッセー
です

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コメント

この問題では「市民・庶民」や「学者・評論家」の目でなく実務経験があり良識をもつ賢人の意見を聞きたいものだと思っていました。今回の意見はそれに近いものだと思います。かって渋沢栄一は実業家は「論語と算盤」を併せ持つべきと唱えました。その伝統を顕在化させたいものです。米国流の「枠組み」論議は二の次です。基本はサラリーマンを脱却した経営者としての倫理の問題です。またそれをよしとするマスコミと社会有識人の支援が必要でしょう。

投稿: 吉田(修) | 2015年8月14日 (金) 09時21分

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