素晴らしきかな姫路城…世界文化遺産を訪ねる!
497回目のブログです。
『歳月人を待たず』(陶淵明の詩の一節)
盛年不重來(盛年
重ねて来たらず)
一日難再晨(一日 再び晨<あした>なりがたし)
及時當勉勵(時に及んで まさに勉励すべし)
歳月不待人(歳月 人を待たず)
“Time and tide wait for no man.” 若い時は二度と来ない。一日に再び朝は来ることはありえない。だから、その時その時に、心ゆくまで行楽を楽しもうではないか。歳月は人を待ってはくれないのだから。
陶淵明は中国六朝時代の東晋の有名な詩人。こんな人口に膾炙した詩を鑑賞しながら、まさに、歳月人を待たず、機会あらばぜひとも行楽におもむくべきと思い立ち、先日、夏季の家族ともども兵庫県の姫路城を訪れました。
JR茨木⇒新大阪⇒姫路、わずかに51分、快速・新快速ですからあっという間に姫路駅に到着しました。
到着した姫路駅の真北に姫路城の天守閣を小さな姿で望むことが出来ます。それでも駅からそんなに近くはないだろうと駅の交番でお巡りさんに聞いたところ、何と、歩いて10分もかからないとのこと。
姫路市は人口53万人、兵庫県第2位の人口(ちなみに第1位は神戸市151万人)。幕末の姫路藩は15万石、藩主は酒井氏。メインストリートの歩道は幅も思い切り広く、清潔であり、明るく広い街並みとして申し分ありません。
歩いて数分、姫路城に入る手前のレストラン(食堂)に入り昼食を食べましたが、まさに「名物に上手いものなし」を地で行くようなありさま。夏休み、世界文化遺産ということで訪れる人の多いこと、多いこと、まあ、そんなことで期待もしていなかったのですが…。
わたし達は姫路城跡に入ってから、天守閣の入口に至るまで、長い行列、およそ1時間の夏の炎天下、くたびれますが、多くの外国人も辛抱強く並んでいました。やはり『世界文化遺産』の威力は聞きしに勝る影響力を発揮しているように感じられました。
姫路城…。別名は白鷺城、国宝と重要文化財のオンパレード、わが国で最初の世界文化遺産(平成5年<1993>・法隆寺とともに)、「行ってよかった!日本の城ランキング2014」で堂々の第3位、日本100名城。わが国でも屈指の名城と言えるでしょう。
そして、平成の大修理。平成21年(2009)6月工事着工、平成27年(2015)3月竣工、大天守閣の白漆喰の塗り替え・瓦の葺き替え(16000枚新調)・耐震補強などの工事が主体となっています。
一般の国民にとって最も興味深いのは姫路城の美しさの象徴でもある漆喰壁ではないでしょうか。正式には「白漆喰総塗籠造」(しろしっくいそうぬりごめづくり)という工法だそうです。消石灰+貝灰+すさ(壁の補強,亀裂防止などのために壁土に混ぜ込む藁屑や糸屑など)+海藻などを材料とする伝統技術を駆使。
↑ 大修理前
↑ 大修理後
完成したあとは真っ白、まさに白鷺と言っても決して誇張ではなく、しばらく見続けても決して見飽きることはありません。しかし、出来立ての真っ白さが保たれるのは約2年と言われ、それからは徐々に薄い灰色へと変化していくとのことで、陶淵明の詩に学ぶならば「時に及んでまさに勉励すべし」、見学するならば今、ということになるのではないでしょうか。
姫路城は元弘3年(1333)赤松円心築城、以後小寺家・山名家・黒田家(官兵衛など)・羽柴秀吉などを経て慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後「池田輝政」が播磨52万石で姫路城主となり、現在のような五重七階の連立式天守が完成。池田輝政の、当時と将来を見据えた築城への情熱は並々ならぬものがあったと思わざるを得ません。
「瓦」の各種デザインの妙、堅牢と美と防備の各種の「門」、矢や鉄砲を放つために天守・櫓・土塀の壁面に開けられた幾何模様(丸形・三角形・正方形・長方形)の穴である「狭間」(さま)、防備のなかに美を表現する色々な「窓」、曲線と直線を調和させた「塀」のかずかず、…どれも見飽きることはありません。
基本的には、軍略的防衛をベースに置きながら、天と地に雄大な空間を構想し、時代の精神と将来への夢を先取りしようとする雄渾・繊細を織り交ぜた築城は、まことにみごとなものだと言わざるを得ません。そして、それを平成の御代、21世紀にまで維持してきた国民の営為、時代精神を将来、未来へつないでいく歴史そのものに深い敬意を表したいと思います。
それにしても、わが国の歴史が、祖先が、見事な歴史的遺産を数多く創りだし、永遠に引き継ぐ努力を重ね、現在に至っていることを考えれば、今を生きるわたし達も、永い歴史とその精神に感謝し、歴史的遺産を、未来の国民、子どもや孫やその先に引き継がねばならないと、思いを新たにしたところです。
姫路城、素晴らしき文化遺産です。
時に及んで まさに勉励すべし。わが国の真の歴史に触れましょう。もう、イデオロギー的リベラル思想から脱却し、事実は事実として、できるだけ時代精神に同調し、素直な心で歴史に触れてこそ、日本人として、真の喜びを感じ取ることが出来るのではないでしょうか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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