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2015年10月16日 (金)

“聲明の祭典”…霊場・高野山を訪ねる!

 503回目のブログです。

 

   “ この道や 行く人なしに 秋の暮れ ”
 
           芭蕉
(俳聖・江戸前期)

 

 もの淋しい秋の夕暮れ、行く人もいない一本の道がかなたへと続いている。俳諧の道も同じように行く人もなく、ひとりでその道を通って行こうと思うが、それにしても何とも寂しく孤独であることよ…。

 

 Along this road, Goes no one, This autumn eve.

 

 この句は俳聖と称された芭蕉が無くなる一ヶ月前の句であり、実質的には辞世の句とも見られています。

 

 秋と言えば、何となく寂寥感を覚えるもの。秋の日暮れ時や秋の終わりである晩秋には、特にその感懐にふけることが多いように思います。それは、見方によっては、我が国の自然という神々がもたらす四季の数々の恵みの内のひとつと言うべきものかも知れません。

 

 まだ晩秋には日にちがあり、寂寥感を覚えているわけでもないのですが、つい先日、高野山を訪れました。自宅から高野山まで、大阪モノレール・地下鉄・南海電車・高野山ケーブルでちょうど3時間ですから、時間的には、はるかなる東京へ行くのと変わりません。

 

 高野山は和歌山県、途中に一度は訪ねたいと思っている真田幸村で有名な九度山(くどやま)駅などを経て、急勾配のケーブルで到着。高野山は標高1,000mの山々であり、下界より温度が数度低く、秋晴れの好天に恵まれたとはいえ、もう、ところどころに紅葉が始まっており、肌に寒さを感ずるほどでした。

 

 聲明(しょうみょう)の祭典が開かれるまでに時間があり、金剛峰寺・根本大塔・不動堂・金堂・大門・西塔・東塔をめぐりました。これだけでもほんの一部ですが、さすがに霊場だけあって、外国人も含め参拝の人が多いにもかかわらず、静寂にして荘厳な雰囲気に満ち溢れていることに感銘を受けた次第です。

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     根本大塔

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      大門

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     金堂

 特に今年は、秋の特別公開として、金剛峰寺寺仏間の本尊・弘法大師坐像、金堂の本尊・薬師如来の2本尊がご開帳となっていました。薬師如来は昭和9年の金堂再建に伴う高名な仏師・高村光雲の制作。わたし達は、安置されている弘法大師坐像につながる細い綱を握り静かに拝みましたが、何か心を洗われるような気がしました。

 

 高野山はおよそ1200年前(弘仁7年・西暦816)空海(弘法大師)により真言密教の修業道場として開かれた真言宗寺院の総本山です。平成16(2004)世界遺産に登録。高野山町石道・金剛峰寺境内・建造物が対象ですが、開山も古く、国内最大級の寺院であるにもかかわらず、国宝や重要文化財が意外に少ないことに驚かされます。もちろん、かなり残されてはいるのですが、これは、山上のため、しばしば落雷があり、度重なる火災に見舞われたからに他なりません。

 

 さて、わたし達の大きな目的は、金剛峰寺壇上伽藍において、高野山開創1200年記念・高野山伝統芸術フェスティバル『聲明の祭典』を聴くことです。会場は2000人を超す大人数であり、はがき抽選に当選したことに感謝。

 

 シンセサイザーと聲明の共演

 

  シンセサイザー(中谷幹人さん)と聲明(高野山真言宗・総本山金剛峰寺聲明之会)との共演。僧侶が仏典に節をつけ唱える音楽を聲明と言います。聲明は金剛峰寺の僧侶10名が合唱、この洋と和のコラボレーションは上手くいっており、荘厳な雰囲気も出ていました。

 

 修験道の法螺「金峯山流」

 

  奈良県の吉野にある金峯山寺(きんぷせんじ)は山岳修験道の霊場。5名の修験者が特大の法螺貝を演じました。法螺貝を吹くのは魔除けの他に合図(出発・到着・護摩終了・集合)を意味しており、その他に道中法螺もあるとのこと。法螺貝の音程も低音から高音まであり、なかなか見事なものでした。

 

 延暦寺の聲明

 

  天台宗・総本山比叡山延暦寺の僧侶12名が、金色と朱色の壮麗な法衣をまとい、輪唱、合唱のように思える聲明を唱えましたが、これを聴くにつけ、謡曲、民謡、浄瑠璃などは聲明が転化したものとも言われており、さもありなんと思ったりもしました。僧侶は日ごろから声を鍛えているのでしょう、その艶のある声が唱える繊細なメロディと力強いリズムの聲明は、下界の一般の音楽にはない別の魅力を感じさせます。

 

 金剛峰寺の聲明

 

  高野山真言宗・総本山金剛峰寺聲明之会の僧侶11名が黒と白の荘厳な法衣をまとい、延暦寺と同様に聲明を唱えました。旋律が延暦寺と異なるのは聲明の流派の違いからくるものと思います。それにしても、延暦寺の聲明に同じく素晴らしいものでした。

 

 和太鼓

 

  和太鼓集団「鼓童」の創設にかかわり、現在、わが国和太鼓のトップ・プレイヤーとして世界各地に活躍の場を広げている「林英哲&英哲風雲の会」による演奏。大太鼓1基・中太鼓2基の3人による力量感あふれる撥さばきと大音量と肉体美、これぞ和太鼓の醍醐味でした。(ちなみに、7月に「鼓童」の和太鼓演奏を聴きに行ったことを490回目のブログに書いています、ご参考までに)

 

 和太鼓と聲明の共演

 

  トップ・プレイヤー林英哲さんの和太鼓と金剛峰寺聲明之会僧侶の聲明とのコラボレーション。「和太鼓と聲明」この異質な領域の音楽が果たして融けあうのかと多少疑問に思いましたが、あにはからんや、息もぴったり、素晴らしいコラボでした。

 

 音楽は、時代を超え、国を超え、民族を超え、分かり合えると言われています。聲明が時代を超え、和楽器の太鼓や洋楽器のシンセサイザーと共鳴し、コラボレーションの実をあげているのを目の前で確認したことで、それを証明できたように思います。

 

 今、音楽の世界でも、映像の世界でも、和と洋を同じステージでコラボし、新たなるものを目指していこうとする動きが見られます。その意味で、日本の音楽文化を創造してきた「聲明」が、いろいろなコラボレーションを通じて、芸術音楽としての新たな世界を創造していくことを期待したいものです。

 

 それにしても、霊場・高野山は、心が清々しくなる素晴らしい聖地です。

 

 みなさんもぜひ訪ねられることをおすすめします。

 

次回も
時事エッセー
です

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コメント

またまた、文字間違いをしました。
 「芭蕉が無くなる一ヶ月前」・・・誤
 「芭蕉が亡くなる一ヶ月前」・・・正
一応は、あるいは二三度も、文字校正はしてはいるのですが、まさに“校正恐るべし”(後世恐るべし)です。
今後はできるだけ気をつけます。

投稿: のんちゃん | 2015年10月16日 (金) 13時16分

荘厳が現前する、森閑とした霊域の風韻が伝わって来ます。
 丁度、髙村薫著「空海」を読んでいるところで、この文章に出合い、とても感激しています。

投稿: kawaski akira | 2015年10月16日 (金) 11時37分

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