“平和の条件”を考えてみよう!
504回目のブログです。
“ふじのねに 初雪見えて あづまぢの 秋のみそらは はれわたりけり”
明治天皇(明治38年<1905>)
富士山の峰に初雪がかかっているのが見えて、東国の秋の美しい空はみごとに晴れ渡っていることだ…。
秋晴れの美しくも気高い富士の姿を絶唱された和歌として、その叙景の率直さに、天皇の和歌、すなわち“御製”として心を打たれるものがあります。
しかし、これは単なる叙景ではなく、この年が日露戦争の終結であるポーツマス条約の締結、すなわち明治維新の終りを意味しており、それへの深い御感懐をも含まれたものと思うこともできます。
ひるがえって今日、大東亜戦争(太平洋戦争・第2次世界大戦)を経て70年、わが国は、まがりなりにも平和というものを享受してきましたが、近年、周辺国からの政治的・軍事的・歴史的・心理的圧力に、押されに押されてきていることを否定することはできません。
このような状況であれば、自然の姿を心清らかに眺め、鑑賞しようとする豊かな感性も多少曇りがちになるのもやむを得ないことでしょう。
しかしながら、戦後70年間、わたしたちはいわゆる「平和」というものを真剣に考えたことがあったのでしょうか。メディアや学校教育ではイデオロギーに染まった思想ばかりを押し付け的に刷り込まされ、自主的に考えることをして来なかったように思えてなりません。
そういう意味で、変なイデオロギーにとらわれず、虚心坦懐に、平和と民主主義について考えたいと思います。
さる9月19日未明、「安全保障関連法」が参院本会議で与党などの賛成多数で可決され、成立しました。ここに至るまでに左右・与野党の対立は先鋭化し、新聞やテレビなどの大半のマスコミが「戦争法案」「戦争への道」「徴兵制への道」「海外派兵」「米軍に巻き込まれる」「戦争反対」「平和主義を覆す」「9条の破壊だ」「立憲主義の否定」「違憲」などに加えて「強行採決反対!」「アベ政治を許さない!」などと、考えられる限りのスローガンで一般大衆を扇ってきました。
しかし、そのような主張を繰り返した人たちは、本当に「平和の要素」あるいは「平和の条件」などを基本的に学んだのでしょうか。
彼らは、憲法9条があったから戦争にならず、平和を享受できたと言います。「9条=平和」「平和=9条」というただ一つのドグマ(教条・独断的な説)に立脚していますが、世の中、世界、歴史はそんなに単純なものではありません。
例えば、有名なドイツの哲学者・カント(1724-1804)は平和について、理想主義的な立場から次のような図を提示しています。
【カントの三角形】
図にあるように、平和の3要素として、国際的な組織・民主主義・経済的相互依存をあげており、9条のようなものは含まれていません。また、中国などの非民主主義国が世界を睥睨(へいげい・にらみつけて威圧すること)している今日、平和は確立できておらず、そして、この3要素だけでは不十分だということはわたし達一般人でも容易に想像できるところです。
最近のものでは、1886年~1992年までの戦争を実証的に分析したラセット&オニールの「Triangulating Peace」にあらためて注目すべきだと思います。平和は、次の5つの要素によって成り立つという国際平和ペンタゴン理論です。
①同盟関係をもつこと
②防衛力が相対的であること
③民主主義の程度が上がること
④経済的相互依存
⑤国際的な組織に加入していること
【国際平和ペンタゴン】
この国際平和ペンタゴン理論に従えば、今回大騒動になった安保法制の整備は、防衛力の相対的向上と同盟関係の一層の強化に役立つことであり、より平和への道を歩もうとするものであることは一目瞭然。
リベラルやサヨクに言いたいのは、もう少し知的レベルをあげた中での論争を挑むべきではないかと考えます。そうなれば、近年、中国(中華人民共和国・非民主主義国)が驚異的な軍事膨張政策をとっていることに対して、賛同したり傍観者的立場をとることは、平和への道ではなく、それこそ、戦争への道に進んでいくことを意味するということを理解できるのではないでしょうか。
今一度、国際平和ペンタゴンの図を頭に叩き込んで欲しいと思います。
さて、平和の理論である、三角形とペンタゴンの図に共通するもののひとつに「民主主義」があります。実証的なペンタゴン理論によれば、民主主義国同士の戦争は極めて少ないとのことです。
そうであれば、東アジア各国の民主主義のランクを知らなければなりません。
○ 民主主義度ランキング 2014
(オーストリア・クラーゲンフルト大学)
(世界順位)(国名) (点数)
17. 香港 74.6
21. 日本 73.0
32. 韓国 69.3
39. シンガポール 65.3
50. フィリピン 59.2
63. タイ 54.0
65. インドネシア 53.6
70. インド 53.1
74. パプアニューギニア 52.3
79. マレーシア 50.1
80. バングラデシュ 49.3
85. スリランカ 48.8
89. ネパール 46.8
106. 中国 39.2
109. パキスタン 35.9
民主主義度において、わが国は上層位、中国は最下層位。争いが起きることは必然であり、相対的な防衛力を保持するのが肝要であることは、素直な目で見れば、誰でも理解できることではないでしょうか。
もしも、それを理解できないとしたら、おそらく、知識人と称する方々の偏ったイデオロギーを信じたために、頑なに目をつむってしまったとしか考えられません。もうひとつのデータもご覧ください。
○ 東アジア民主度表2014(Polity Project)
(ランク) (国 名)
10 日本・台湾
8 フィリピン・韓国
0
-7 中国
-10 北朝鮮
東アジアの実相については、目を十分開いて、事実をありのままに見ることを主眼とし、それに応じた政策を官民一緒に考え、自信を持って実行に移していくことが大事。
それにしても、どうして、日本国民は自信を持たないのでしょう。それは、カエル(ゆでガエル)やダチョウ(頭隠して…)の姿勢を70年間続けてきたのが理由かもしれません。そうであるならば、福沢諭吉のいう自立自尊を意識し、もう、事実を冷静に見ようとしないリベラル・サヨクを賛美するメディアや文化人とはキッパリ距離をおくべきではないでしょうか。
少なくとも、平和を語るならば、国際平和ペンタゴンの図だけは頭に入れておきたいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
大国の国内が平和だと何となく国際関係も平和に見えることがあるが、(1)国際関係における「平和」と国内における「平和」は異なることを峻別すべきであり、ここに挙げられているのは国際関係における「平和」である、(2)「ローマの平和」はその長さと安定性で有名だが、それは帝国内における平和であって、国境周辺では頻繁に戦争があった、(3)現代中国は軍事力で国力を維持している点でローマ帝国に似ているが、「皇帝と軍隊」の支配したローマよりも国民の自由が抑圧された専制国家だった、などが指摘できる。
次に中国とアメリカと比較すると、最大の相違点はアメリカは国際的な事情だけでなく、国内の民主的選挙によって政府が変わるため継続した外交政策が採れないが、中国は一党独裁のためローマ帝国や旧ソ連のように長期にわたる外国政策を計画実行できる。但し、民主主義国家の外交は平和的か、と言えば、アメリカは建国以来、国内では一貫して民主主義制度を維持してきたが、対外的には常に帝国主義的・拡張主義的な外交を進めてきたし、軍事力増強についても軍国主義国家並みの膨張を続けてきたという事実がある。それは19世紀の大英帝国も同じである。
こうしてみると、国際関係における平和の状態を継続するために、関係国が民主主義的であることが決定的な要因になるのか疑わざるをえない。国家の政府及び国民の考え及び軍事や経済・情報文化等の総合的な国力等が対外的な最終行動を決するのであり、その際、周辺国家の意思を含めた総合的なパワーがバランスを失った場合に戦争や紛争は起こると私は考えます。民主主義国家が専制的な国家よりも国力の弾力性が高いと思いますが、国際紛争に関しては民主的国家が非戦争的だとは思われません。
投稿: 齋藤仁 | 2015年10月23日 (金) 08時54分