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2015年11月20日 (金)

「虚偽と偏向」…テレビの問題点・その①!

 508回目のブログです。

 

 “あざみ草 その身の針を 知らずして 花と思ひし 今日の今まで”
 
               作者未詳
(続鳩翁道話・江戸後期)

 

 針があって他を傷つけているとも知らずに、今日の今まで善人であると思っていた私は、あのあざみ草と同じだなあ…。

 

 「巧言令色にはとかく欺かれやすい。同じ事でも美人の口より出れば、醜婦の言よりは耳触がよい。棘ありと知りながら薔薇の花は愛する。これ美が悪しきにあらず。誠あるならば、言も訥なるよりは能弁が良し。ただ 美の恐るべきは、醜よりも偽りのその中にかくれやすい故である」(新渡戸稲造・一日一言)

 

 あざみ草は可憐な美しい花ですが、刺(トゲ)があります。世の中は、大きな力をもった人や組織ほど自分の本性に潜んでいる針や刺に気づかず、あるいは、気づいてはいても傲慢に他人や社会に迷惑を掛けているのではないでしょうか。

 

 その代表例として、マスメディアの一翼を担うテレビ業界を取り上げたいと思います。

 

 BPO:政府の介入批判、異例の意見書…NHKやらせ問題

 

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、NHK報道番組「クローズアップ現代」のやらせ疑惑に「重大な放送倫理違反があった」とする意見書を公表。その中で、この問題をめぐって放送に介入する政府・与党の動きが見られたことから「放送の自由と自律に対する圧力そのもの」と厳しく批判。BPOが政府・与党を批判する意見書を出すのは極めて異例。政治による放送への介入を許さない立場を示した。
           (116日毎日新聞一部抜粋)

 

 BPOとは、放送界における身内で構成する裁定委員会のようなものですが、今回の結論は次の二つです。

 

 記者と取材相手は旧知の間柄で場面演出を指示し、打ち上げも居酒屋で一杯やったにもかかわらず“やらせ”とは認定せず「重大な放送倫理違反があった」としてお茶を濁したこと。

 

 この問題(やらせ)をめぐり、総務省や自民党が事情をヒアリングしたことは「放送の自由と自律に対する圧力そのもの」であるとして真っ向から批判したこと。

 

 まず、今回の報告書が、昨年の5月に放映された番組についてのものであり、今の時代、あまりにもゆっくりした、のんびりした対応に驚かされます。ましてや、テレビ放送は、秒単位の世界であり、感覚の世界でもあり、時間は急がれるものです。にもかかわらず、一年以上という検証期間を置いたのは、視聴者(国民)記憶の薄まりを期待したからではないでしょうか。このBPOは、上から目線で、国民を愚弄したと言っても言い過ぎではありません。

 

 BPOは、今回の映像は報道番組で許容される演出の範囲を超えており、倫理には違反したけれども「やらせ」ではなかったとしましたが、まあ、あまりにも身内に甘い裁定と言わざるを得ません。そもそも、このようなやり方を世間では「やらせ」というのであって、やらせの範囲は世間、社会の基準に合わすべきではないでしょうか。これではBPOの存在価値は無きにひとしく、放送業界での自律作用に期待できないことが明白になったと思います。

 

 次に、総務省や自民党のNHKに対するヒアリングの件ですが、検証委員会の委員長は、放送法は『倫理規範』だとして他からとやかく言われることではないとしています。一方、政府サイドの高市総務相らは、放送法は『法規範』であり、行政処分の根拠になるとしており、鋭く対立しています。

 

 委員長は、法律学者のほとんどが放送法を倫理規範だと認めていると説明。そうであるとするならば、放送法は努力目標ということになり、つまるところ放送業界は自己の好き勝手にできるというものです。

 

 しかし、わたしのような法律をよくわからない者からすれば、もしも倫理規範だとしたら、なぜ放送法と言う法律にしたのか理解できません。法律という以上は、違反は許されず、違反すれば罰せられるのは当然のことだと思いますが…。本来「やらせ」は社会を惑わす犯罪であり罰を受けるものだという“緊張感”のなかで番組制作は行われなければならないのではないでしょうか。

 

 【放送法】
  第1条(基本原則)
 
   ①放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらす
 
    ことを保障すること。
 
   ②放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、
 
    放送による表現の自由を確保すること。
 
   ③放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、
 
    放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
  第4条(番組編集)
 
   ①公安及び善良な風俗を害しないこと。
 
   ②政治的に公平であること。
 
   ③報道は事実をまげないですること。
 
   ④意見が対立している問題については、
 
    できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

 これを見れば、普通の国民であれば、放送法が単なる倫理規範ではなく、まぎれもなく法規範だと判断するに違いありません。単に倫理規範に過ぎないとする放送業界の姿勢は、自分だけが天下の正義だとする傲慢さに満ち溢れており、あまりにも勝手すぎるとともに甘えも過ぎるのではないでしょうか。

 

 近年のマスメディアは、朝日新聞の永年にわたる従軍慰安婦捏造記事に見られるように、自らのイデオロギーや思想や思い込みを優先するため、事実を歪曲し、真実から程遠い報道に堕している例が多すぎます。

 

 つい最近でも、916日、民放TBS「NEWS23」で司会者の岸井成格氏が「メディアとしても安保法案の廃棄に向けて声をあげ続けるべきだ」と扇動的な発言をし、有識者から猛烈な抗議を受けるという始末。岸井氏の言動は上記の放送法第4条②④に明確に違反します。

 

 もう、国民を蔑ろにし、上から目線の、虚偽・偏向報道を止めませんか。やらせをやって嘘を報じても平気の平左、偏った煽を煽っても知らんぷり、今のままでは、報道そのものを信用しなくなる日も近いのではないでしょうか。

 

 NHKも民放各局も、最低限、事実の報道公平な報道だけは心掛けてもらいたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回も
時事エッセー「テレビの問題点・その②」
です

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コメント

斉藤さん、筋の通ったご指摘ありがとうございます。小生のコメントは「私自身のこと」として述べております。
メデイアの発信者と受信者の双方の土俵の公平さが信じられれば、規制や何やかやという話は出てこないでしょう。マスメデイア(送受信双方)を信じることが出来ない一視聴者としての、見解です。

投稿: kawaski akira | 2015年11月26日 (木) 13時51分

 人は言葉の論理を読みとるよりもその口調や表情、声質などからコメンテーターなど語り手の感情や人間性を読みとることは確かであり、それによって国民は語り手に対して様々な感情を抱く。だが政治や経済などの社会問題の是非に関して賛否を考えることと、特定のコメンテーターに対する好悪は別である。同じ徒党に属してもいても人間的には全く同感できないという例は多々ある。 問題は「公共放送」において特定の問題について賛成側又は反対側の意見だけを流し続けることにある。 kさんは視聴者(すなわち国民だろうが)のリテラシー水準を云々していたが、国民のリテラシー水準が高ければ特定の傾向の情報ばかりを聞かされても判断を間違うことはない、と言いたいのだろうか。知識人ばかりの集団は判断を過たないと言いたいのだろうか。日本ペンクラブ、日本弁護士会などの集団の過去の判断はすべて過つことがなかったのだろうか。 高度なリテラシー能力を持った国民集団であっても、一方的な情報ばかりを聞かされれば誤った判断を下す例は古今東西の歴史に明らかである。 筆者のブログは、そうした過ちを極力減らすために、民主主義下の公共放送であれば、「賛否両論を視聴者(国民)に紹介して適正な判断の材料に資することに徹するべきだ」というものであり、当然の指摘であると私は考える。

投稿: 齋藤 仁 | 2015年11月21日 (土) 10時48分

有名タレントや外人俳優が、某商品の広告をする。本人が実際にそれを使っているかどうかは、それほど気にしない。知識人や学者が、ある事件にコメントをする。内容はそんなに気にしないで、その人の話し方や問題にする切り口に注目する。再現ビデオの構成はあくまで疑似ドラマとして仮想であることを前提にしてみている。やらせか演出かなどと何を目くじら立ててるのか。テレビが始まってもう半世紀以上たっている。視聴者のリテラシー水準を考えずに、法律や規制や何やかやといっても、薄い薄い。

投稿: kawaski akira | 2015年11月20日 (金) 10時13分

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