映画「海難1890」を鑑賞…真の友好を考える!
518回目のブログです。
“しきしまの 大和ごころを さきだてて 道ある國と ひとにいはれむ”
明治天皇御製(明治37年)
敷島の大和の国の精神を先立てて、道義ある国家だと世界の人々に言われるようになりたいものだ…。
わが国の理想とは何でしょう。経済、防衛…これらはいずれも力を示すものであり、無視することはできない極めて重要なことではありますが、歴史と伝統の深奥にある「やまとごころによる道義国家」こそが真の理想と言えるのかも知れません。
道義国家は近ごろはほとんど耳にしない言葉ですが、覇権主義とか覇権大国とは対極にあるものと言えます。近隣の諸国には明確に覇権大国を目指している国や精神の極めて貧しい国もありますが、わたし達は、老いも若きも、男も女も、金持ちも貧乏人も、地位の高い人も一般の人も、本来有しているであろう大和心をまずおさめ、こころ豊かな文化に満ち溢れた、凛とした道義国家を目指すのが本筋だろうと思います。
先日、大変遅まきながら「海難1890」と言う映画を鑑賞しましたが、この映画で、明治時代の素晴らしき心(日本)とそれに感応する現代の精神(トルコ)が絶妙に映し出されていることに深い感銘を覚えた次第です。
【あらすじ】(webより一部抜粋)
○明治23年(1890)年9月、オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県沖で海難事故を起こし座礁、乗組員618人が暴風雨の荒れ狂う海へと投げ出された。500人以上もの犠牲者が出る中、地元住民の懸命な救助活動によって69人の命が救われ、トルコへ帰還。(この出来事によりこの地で結ばれた絆はトルコの人々の心に深く刻まれていった)
○そして、時は流れ昭和60年(1985)、イラン・イラク戦争のなか、サダムフセインのイラン上空航空機に対する無差別攻撃宣言により緊張が高まり、テヘランに日本人215人が取り残された。日本政府は現地が危険と判断し救助要請に応えず、やむなく日本大使館はトルコに救出を依頼する。トルコ首相はそれを快く承諾、500人近くのトルコ人が残されていたのもかかわらず、日本人に優先的に席を譲った。(トルコの人々に100年後まで受け継がれてきた真心と絆と友情を見るのである)
この映画の感想を述べたいと思います。
・100年も続く日本とトルコの友好関係の礎となった「エルトゥールル号
遭難事件」を題材に製作された日本・トルコ合作の映画であり、まさに
感動のヒューマンドラマといえるのではないでしょうか。
・監督は「利休にたずねよ」で有名な田中光敏。「家路」「臨場」の名優・内野聖陽が、エルトゥールル号乗組員の介抱に奔走する医師役で主演。ヒロイン役は新人賞を総なめした新人女優の忽那汐里がそれぞれの時代に生きる女性を1人2役で演じています。日本人、トルコ人ら出演者すべてが芸達者であり、映像も鮮明、素晴らしい映画だと思いました。
・それにしても、わたしは明治の時代精神を発露したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の海難事故について、微かに聞いたことがあるかなという程度で、ほとんど知識を持ち合わせていなかったのですが、これだけの素晴らしい物語はわが日本の教科書にも載せるべきではないでしょうか。
・一方、トルコでは、道徳教科書に一部エルトゥールル号のことが記されているとのことで、現代トルコ人にも知られているのかもしれません。
・映画では、和歌山県串本町大島の沖合に座礁したトルコ軍艦「エルトゥールル号」から海に投げ出され漂着した数多くの死体と船の残骸を映しながらも、まだ生存していたり、漂流したりしている乗組員を、村人総出で懸命な救助活動をする姿を丁寧に情熱を込めて映像化しているところが印象的です。
・そして、村長以下、不眠不休、食べるものにも困る貧しい漁村でありながら、食材を優先的にトルコ兵にまわすなど手厚く救援活動をしている映像をみて、ついつい涙を抑えることが出来ず、また、その気高い心意気に感応し、阪神淡路大震災、東日本大震災のことに思いを馳せた次第です。
・死者に対しての厳かな慰霊式、漂着した遺留品を母国に届けようと丁寧に磨く女と子供の姿には、日本人の誇るべき感性だと思いながら、胸を熱くするものでもありました。
というのは、国命に従って命を落とされた方々を慰霊する靖国神社に関する歪で不純な考えの横行を見るにつけ、現代のわたし達は、明治の串本町の貧しい人々と較べ、あきらかに清らかな精神を喪失してしまっているのではないかと思ってしまったからです。
・さて現代の1985年。各国が自国民を救援するために自国の航空機を戦争中のイランへ派遣しているにもかかわらず、わが国はテヘランに残された日本人215人を救出するための救援機(自衛隊機or日航機)を飛ばすことをしなかったのです。というよりもできなかった。
・外務省や内閣首脳はいろいろと言い訳をしましたが、第1は、危険な所へは飛ばせられないということ。第2は、戦争状態の所へ自衛隊機を派遣するのは戦争行為そのものであり、憲法9条で禁じられているではないかということです。
・この考えは今も盛んであり、現実の「国民の命」よりも観念の「憲法9条」の方が大切だとするリベラル・サヨクの思想です。215人の命などは通常のやり方で助かればそれで良く、万一助からなければよれはそれで仕方ないという、冷酷無比な、血も涙も人間性もない思想というべきでしょう。
・そのような考えは、北朝鮮拉致事件にもあらわれ、左翼の政治家(共産党から自民党まで)は「拉致事件を騒ぐことは日朝友好のために障害だ」とまで言う始末。彼らには、主権の侵害、人権の侵害などは意識のはて、現実の悲劇を回避することよりも、偽善と観念のいわゆる“友好”の方を選択しますので、これも、冷酷無比な、血も涙もない言動ではないでしょうか。
・わが国が救援機をイランに派遣せず、他国の温情に縋ったことに、現代日本の想像を絶するひどさを、あらためて感じます。やはり、おかしい。
・人と人との関係においても、困った時、悩んでいる時の支援、慰めほど心に沁みるものはありません。同じことは国と国の場合でも言えるのではないでしょうか。トルコ(土耳古)の、わが日本国民を救出するための航空機派遣は、およそ100年前の「エルトゥールル号」の海難事故対処への恩義を返したものであり“恩義には恩義を”の気高い精神を感じるのです。
・ひるがえって、近隣諸国との外交には、困難な山が立ちはだかっています。そう思えばこそ、1000年も恨まれる国とのお付き合いなどはほどほどにし、義理も人情も理解できる、素晴らしい人達、素晴らしい国とのお付き合いをより大切にしたいものです。
・いずれにせよ、この映画は「エルトゥールル号」と「トルコ救援機派遣」のふたつの物語において人間としての品性と道徳性の高さの素晴らしさを描いたものであり、これこそが真の外交であることを示唆していると思います。
久々に感動的な映画、泣ける映画を鑑賞しました。この映画をきっかけに、トルコと日本との間がさらに厚い友情で結ばれることを期待します。
「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」は和歌山県串本町に建立され、慰霊祭も行われています。
何はともあれ、映画「海難1890」の鑑賞をおすすめします。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
ヒューマニストを気取りながら、その実冷酷かつ利己的な人間の偽善と自己欺瞞には辟易します。9条と前文のおかしさは、自己卑下を献身であるかのようにごまかしていることです。トルコの船員を救った明治の村人たちは献身的でした。紛争地域への派遣を拒否する現代の日本人には、自己卑下しかありません。自分達をを犠牲にするのを肯定しているのは似ていますが、それにより何ら積極的価値を生まないのが、自己卑下です。だからいざとなると自己犠牲の恐怖に耐えられず、他者を犠牲にして我れ先に自己保身にはしるようになるのです。9条は集団的エゴイズムの正当化であり、その実は個々のエゴイズムの正当化、即ち人間としての尊厳を捨てた隷従の表明でしかないのです。
投稿: 矢野義昭 | 2016年2月 1日 (月) 01時07分